形式:新書
出版社:光文社
『さらには目出し帽をつける。目出し帽など「銀行強盗をしたときに二、三度しか使ったことがない」という方がほとんどだと思うが……』
『バッタを倒しにアフリカへ』と文体もカラー写真の選定志向もとても似ているので編集者が同じなのかなと思いました。後半になるほど傾向が強くなり、アニメ『宇宙よりも遠い場所』のステマかというくらい時々話題に入れるのがくどかったかな(でも、機会があれば見てみたいです)。
南極に行きたいという意思は、およそ15年の間、足元を照らす火だった。位置を教える灯台で、危険を知らせるカナリヤで、方位を知らせる北極星だった。それはすべて失われた。30年生きてきた。何か人より秀でたわけではなかった。優れた業績を立てたわけではなかった。それなのに、先を決める方針すら失われた。 とはいえ、もういい大人である。指針がなくても、ある程度は歩いていけるし、自分が優れた存在ではないと認めても、生きていける。 この本が誰かの篝火になれば幸いである。世の中、何が役に立つかわからない。(P.316)
→個人的な動機、その2つの兼ね合いが独特の軽やかなテンポとなって読みやすかったですが、ラスト終章の5ページ、これが一番言いたかったことなのだな、飛び石を飛んで川を渡ってきたかのようなフットワークの軽さがこの本の軽やかさだったのだな、と納得。5ページ、立ち読みしてきてください(おい
今年の夏、第61次南極観測隊の夏隊に参加された方の展示を見学させていただく機会がありました。南極での体験も直接伺えたので、より豊かに味わえて良かったです。
「オゾンホールは大分回復傾向にありそれ自体は喜ばしいことだが、『南極の温暖化』が叫ばれている南極西部の欧米基地では確かに平均気温が上昇している一方、日本の基地が位置する南極東部では逆に寒冷化傾向が記録されており、それをもって地球が温暖化しているかどうかを判断するのは難しい」とも。だがそういう問題は専門家に任せていればよく、つまりは「自分の人生を『やる』のか『やらない』のか」と問われた時、『やる』と決めることは絶対的にマシなのだということ。
タイトルは、高校で講演を行った元南極観測隊のOBが言った「南極では静かすぎて、自分の心臓の鼓動が聞こえるらしい」という言葉から。「しらせ」内部の詳細や昭和基地の色々、CMなどで目にする勇姿とは程遠い、壮絶に泥臭い重労働をある時は腐し、ある時はユーモア交じりに綴る。あとがきも飛ばしてはいけない。結句一番頭に残ったのは、「人生、何が役に立つか本当にわからない」という言葉だ(著者風に言えば、「シャマランの『サイン』を見もせずに『くだらなすぎて見る気が起きない』と言う奴は、多分『やらない』側の人間だということ)。
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『さらには目出し帽をつける。目出し帽など「銀行強盗をしたときに二、三度しか使ったことがない」という方がほとんどだと思うが……』