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苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神 (集英社新書)

感想・レビュー
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kakoboo
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石牟礼道子さんを苦海浄土のみならず広く体系的に理解、する必要があるのか。と思いながらもやはり自分が読み進める中ででてきたモヤモヤを解消させてくれます。1人と向き合う際に1冊を読むのみならず歴史的背景や精神的なものまで向き合えることで少しでも理解に近づくと感じました。石牟礼さんとの対談では余すことなく自身の言葉で向き合っている姿も印象的でした。
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卍ザワ
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石牟礼道子を、理論・系統立てて解説。確かに、石牟礼道子のような小説を書く作家は、他には存在しない。日本だけでなく、世界広しといえど、思い当たらない。天湖、おえん遊行が、手元にあるのに、まだ未読で、ネタばらしさせられてしまった。タイミング悪し。
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こかげ
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田中優子さんの発言を動画などで拝見し、その理論的で的確な発言に好感を抱いた。もっと彼女の言葉を聞きたくて著書を検索したところ石牟礼道子さんに関する本書を見つけて即手に取ってみた。石牟礼さんの内に流れる世界観、時間軸を丁寧にひも解く。「この世と別世」「近代と古代」の境を自由に行き来し、しかもその魂の入れ替わりを俯瞰して眺めるもうひとつの視点を持つ彼女の特異性。『春の城』に沿って解説される「もだえ神」「闘う共同体」についてなど…とても興奮して読んだ。
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かふ
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石牟礼道子の足跡を辿りなが、家という制度から水俣、さらにもだえ神の精神と解説していく。石牟礼道子というと水俣という事件ばかり思い出されるが人と自然の繋がりにおいて人間が生を営んできた思想の中に古代から伝わる自然神がある。それは獣や虫たちも人と変わらない生を営んできたという水俣の海の姿。チッソを懲らしめるというのではなく、チッソと共に悶えていくという、それは日本人の生活が物質主義によって、失われた世界を想起させるものだ。水俣が天草の乱や東日本大震災と繋がりを持ってその中に生きる人々を晒す。
かふ

「毒死列島身悶えつつ野辺の花」という一句は福島の汚染水を詠んだような句でドキリとさせられる。そういうところが巫女的なのかなと。

09/16 06:20
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●●
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ネタバレ2020年の本。
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belier
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著者の石牟礼道子に対する敬愛がよく伝わってきた。18歳のときに苦界浄土を読んで衝撃を受けたという。その憧れの石牟礼との対談の様子や、その作品世界について江戸文化の専門家らしい思索と共感者としての深い思いを書き綴っている。代表作の分析もいいが、まだ読んでいないマイナー作品を紹介してくれていたのが特によかった。田中はこう書いている。「石牟礼作品の紡ぎ出す言葉の一つひとつには、いままでの文学にはなかった深い律動感のようなものがある。…声なき声を聴き取って書く。いわば苦海にあるいのちの代弁者である」至言と思う。
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Bin Si
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「苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神」田中 優子(集英社新書2020年)。「苦界浄土」第一部を読んだが、第二部、第三部もしっかり読む必要がある。樋口一葉論など江戸~明治の深い論考もあり、さすが総長を担うだけのものがあると実感。
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章魚 たこ
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いやあ、いい本でした。集英社新書、いいものたくさん出してます。
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algon
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著者は日本近世史を専門とする社会学者。異なるフィールドからの石牟礼道子の分析評論を読みたい思いで借り受けた。著者は1970年から石牟礼に魅せられ、対談を経てついに評論を手掛けるに至った。「苦海浄土」はもちろんだが多くを「春の城」「不知火」などに費やして石牟礼分析に難解な部分、魂やもだえ神の紹介や分析に挑んでいる。その上で自然の中に入り生類たちとの連携を取り戻すことが現代において人間になり直すこと、それらが石牟礼の遺した我々へのメッセージだと説く。難しい部分もあったが著者も熱烈読者の一人。興を持って読めた。
algon

石牟礼は能を2作書いている。「不知火」「沖宮」。能役者にとっても異質な作品だったらしいが、対談の中で石牟礼が過去に能を1度しか見ていないことを知って田中は絶句する。田中にしても石牟礼の描く伝統的な能表現がどこから来たのか全く分からないと。石牟礼本人もどこから出てきたんでしょうねと事もなげにしている。「天の言葉を預かる人」石牟礼らしいエピソードだと思った。全体として誠意を持った怜悧な表現で好感を持てた。本を読んで遠い昔わずかな時間でも著者と同じ空間・時間を共有したことを知った。これは個人的な感慨。

05/18 22:17
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宮崎太郎(たろう屋)
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田中優子さんによる石牟礼道子さんの評伝。水俣病、島原の乱。石牟礼さんが語る豊饒な世界観を伝えています。掲載されている石牟礼さんの写真の凛々しい佇まいにハッとしました。
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ıɯɐɯɐ‾oʇɐs
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江戸文化に詳しい田中優子さんによる「石牟礼道子考察」といった感の著書でした。石牟礼さんの作品は読んだことがないのですが、島原の乱における天草四郎と水俣闘争における石牟礼道子の重なりについて語られており面白かった■明治を境にして勢いよく流れ込んできた新しい西洋文化を日本人はスポンジのように吸収していった。それは同時にヨーロッパの文化と日本の文化を比べることにもなったのだと思います。今とむかしや西洋と日本、優劣ではなくそれぞれを「知ること」に意味があるのかなぁと考えさせられる一冊でした。
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yokkoishotaro
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『苦海浄土』は解釈できなくていいのかもしれない、と思わせてくれた。確かにぐっとくるが、なぜぐっとくるのかわからない、それに迫った著者。石牟礼との対談では、「復興」にも触れていた。どういうイメージで都市を「復興」させるか、よくわからん、と。それは強烈な指摘で、その通りである。このような分析力が『苦海浄土』を書かせたのかもしれない。読み方が変わるきっかけとなる著書であった。
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ぐうぐう
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「家」というものに疎外され、女性ゆえの矛盾や苦悩を覚えながら、しかし石牟礼道子は女性解放運動に向かわなかったのはなぜか、と田中優子は疑問を抱く。道子は言う。自我を主張することで誰かが傷つくのではないか、そうなら、女性解放運動よりも新しい共同体を作るにはどうすればいいかを考えた、と。その方向性こそが石牟礼文学の本質だと、田中は気付くのだ。そのような近代的自我の形成にはおよそ関心がなく、魂の拠点を古代の母達に置くのが道子である。(つづく)
ぐうぐう

「もだえ神」という言葉が何度も出てくる。神が悶える、この矛盾した現象は、だからこそ人間にも宿る。もだえが共鳴を可能とし、巫女となりて『苦海浄土』が書かれた。しかしそれだけでは『苦海浄土』が世界文学には成り得なかったのではないか。魂の行方を冷静に見る「もう一人の道子」の存在を田中は説く。本書は『苦海浄土』と『春の城』の二作を柱に語られている。田中によれば、『春の城』は時空を超えて甦った遠い時代の『苦海浄土』なのだという。(つづく)

08/03 23:01
ぐうぐう

この二作が強く共鳴し合っているのであれば、いずれ『春の城』を読まねばならないと改めて思わされた。

08/03 23:01
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今庄和恵@マチカドホケン室/コネクトロン
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読み始めたとほぼ同時に新聞で著者の自伝連載が始まり、江戸志向の根拠がわかった。共感力を失うかもしれない恐れは、自らをもだえさせ続けるのだろう。救われることを潔しとしないかのように。
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アッキー
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やっと読んだ
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go
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ネタバレ20210416 祈るべき天と思えど天の病む 島原・天草一揆や水俣病、東日本大震災そして新型コロナウイルスまで。 「もだえ神」石牟礼さんの来し方をほんの少しだけ感じることができた。 #石牟礼道子
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マウンテンゴリラ
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今、石牟礼道子を読み直す、或いは生前の氏の言葉に耳を傾ける、ということが密かな風潮になりつつあり、希望の灯であるとも感じられる。本書もその流れを汲むものであると思うが、女性差別、ジェンダー批判の視点から石牟礼道子論に言及されている点が、私には新鮮な、かつ重要な観点と受け取られた。古代より、もだえ神という存在は女性に多く、それが時代が下り家父長制社会が発展するにつれ存在価値を忘れられてきたのかもしれない。もしかしたら、卑弥呼の時代には、もだえ神の精神が社会を安定させる大きな要因であったかも知れない。→(2)
マウンテンゴリラ

(2)人類の歴史の大半が、戦争と権力闘争、自然破壊の歴史であり、それがある意味では、人類の繁栄をもたらしてきたとも言えるかも知れない。しかし仮にそれが真実であったとしても、それは人類の成果と言うより、地球の包容力のおかげであったと言えるかも知れない。その地球の包容力もいよいよ限界に達しつつあるように見える現在、これまでのような男性原理で歩みを進めていくことが可能だろうか。その行き詰まりを打開する価値観の転換がここに示されている。そしてそれは、決して未知のものでもなく、現在においても、→(3)

04/11 14:55
マウンテンゴリラ

(3)類い稀なる能力かも知れないが、もだえ神の精神、苦難を抱える他者への限り無い共感力とその表現力を持つ石牟礼道子のような女性、また、それを紹介する著者の精神として、古代より脈々と保たれてきた。その女性原理とでも言うべき価値を女性の活躍とともに、ますます広げてゆくことが、地球的規模での課題であると感じられた。

04/11 15:17
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高高一
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令和3年の雛祭りの日に読了。水俣病の公式確認から70年近く時を隔てて、忘れていたが再び思い起こされた。経済優先の名の下に人間が傷つき死に至った、企業がおこした病が令和の時代になっても無くなってはいない事を改めて記憶した。
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菊田和弘
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「苦海浄土」を読んでから3年、あの衝撃はずっと残っている。石牟礼道子という人間が、生い立ちや対談を通じて浮き彫りになっていた。石牟礼作品に籠められた思いも新たに汲み取ることができた。ともに悶え、あの人は私だったかも知れないという想像を失わないこと。原始から続く本当の豊かさ。命の声の代弁者であること。言葉は天から預かるものであること。
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ネギっ子gen
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「おわりに」で、著者は書く。<50年。私が石牟礼道子の言葉を心に刻んでから、それほど長い月日がたってしまった。もっと早く書けばよかった、という思いとともに、長く心にとどめておく作家がいることは、とても幸せなことだ、という思いもある>と。わたしと同年生まれの著者の、この思いに納得。そして「もっと早く書けばよかった」を、「もっと早く、しっかり読んでおけばよかった」に変換すれば、そのままわたしの存念に。出逢いには、時がある。盲亀の浮木、優曇華の花。今生での出逢いに感謝して、石牟礼文学にじっくり沈潜していたい。⇒
ネギっ子gen

<道子は18歳で最初の自殺未遂をし、新婚4ヵ月でも3回目の自殺未遂をしている/よき夫に尽くす妻、という傍目にはなんの問題もないような結婚生活が、道子には何ももたらさなかったことを意味している。自分の魂の自由を奪う家というもの、結婚というものが嫌でたまらず、おもかさまのように「あちら側の世界」に行ってしまいたいという衝動が不意につきあげてきたのだろうか/うわべは取り繕っていても、家や結婚というものに道子の魂はこれっぽっちもなじめず、苦しみしか見いだせなかった>。この記述で、みすゞの自死に至る哀しみを想起……

01/24 10:07
ネギっ子gen

【漂浪(され)く道子の魂】<道子の言葉によれば、「悶えてなりとも加勢(かせ)せんば」とは、悲嘆にくれる人を心配して何を措いても駆けつける。駆けつけるけれども、何もできないでただ立ち尽くしてもだえているだけ。そのような人の在りようだと/そこにはなんの計算も見返りを求める気持ちもなく、相手の気持ちに乗り移るがごとく「瞬間的に悶える」のだという。道徳的な意味合いの強い「相手の気持ちになって考える」ということではない。第一、道子は「考えて」はいない/苦しむ魂の傍らに道子の魂が瞬間的に移動>。賢治の「デクノボー」か

01/24 10:22
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Masakazu Fujino
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法政大学総長の田中優子氏が自らの石牟礼道子との出会いと、石牟礼道子作品の文学的社会的意義について述べた作品。石牟礼道子の入門書としても、良いと思う。
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yuki
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石牟礼道子さんを、今の時代にこそ読むことの意味を伝えてくれています。「近代の夢想した豊かさが自然の豊かさを食いつぶすことによってしか実現できないものだった」という田中さんの言葉や石牟礼さんの言う「もだえ神」…「何もできない。せめて共にもだえることで何とか力になろう」とする人々の生き方に深く感動しました。
0255文字
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苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神 (集英社新書)評価83感想・レビュー22