形式:新書
出版社:筑摩書房
イタリア戦争によりハプスブルク家とフランス王家との対立が浮かび上がる。以後オーストリア承継戦争が終わるまではこの対立構造が基本だ。アウグスブルクの宗教和議でルター派は公認された。スペインは新大陸に派遣して金銀財宝を奪取して黄金期のようだが、財政は火の車だった。ネーデルラント独立戦争や無敵艦隊の失敗もあり、フェリペ2世は3回破産する。大航海時代になるが、経済的にはアジアであった。ユグノーとルター派の広がり方を示す地図は参考になる。⑩「17世紀」テューダー朝が途絶えステュアート朝になる。この時代は30年戦争。
ボヘミア・プファルツ戦争、デンマーク戦争、スエーデン戦争、フランス・スエーデン戦争と戦争の性格を変えて続いた。この中で三国王戦争(清教徒革命)がおこる。30年戦争はウエストファリア条約で終結。イギリスでは名誉革命を経て議会政治が成長して行く。フランスも宰相リシュリュー以降力をつける・世紀の初めにヌルハチがおこした後金が力をつけて、明を滅ぼし清が中国を統治する。この世紀も清・ティムール朝・サファヴィー朝・オスマン朝の時代だ。だがヨーロッパではニュートンを初めとする科学の時代が始まり、来世紀にその花が開く。
ムガールの方がなまっていて、アミールが元なのでした(^^) 有難うございます。
ゆいぞうさん、こんにちは。お世話になっております(^^)昼迄、都心のクリニックに外出しておりました。時間は色々に拝見いたしております。途中で、切れたりして、煩わしいと思いますが、ご容赦下さい。
165頁。1635年、帰順したダヤン・カアンの直系で北元最後の皇帝、エジェイ・カアンから大元ウルスの玉璽を譲られたホンタイジは、1636年、満州族、漢族、モンゴル族から推戴を受けて皇帝を称し、皇后を大清グルンと改めた。ホンタイジは、満州族のリーダーであり、中華帝国の皇帝であり、草原の遊牧民の大カアンとし即位した。清の皇帝は、後には、チベット仏教の大施主ともなった。清の皇帝は、このように4つの顔を持っていた。すなわち、清は実態的に四重帝国だった。
171頁。1648年、ポーランド・リトアニア共和国の治下にあったウクライナで、コサックのヘーチマン(頭領)、ボフダン・フメリニツキーが反乱を起こした。世にいうフメリニツキーの乱である。この乱は、結果的に、ヘーチマン国家を誕生させ、それを保護国化したロマノフ朝の強大化とポーランド・リトアニア共和国の衰退を招いたので、東欧史を書き換える画期となった。
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