形式:文庫
出版社:文藝春秋
形式:単行本
形式:Kindle版
その代わり大量に出てくるのが登場人物の内面心理描写。もういいわと言いたくなるほどやたら出てくる。読んでてフラストレーションが溜まるばかりで2~30ページで本を閉じてスマホのくだらない記事を読みたくなってしまう。なんやかんやで一冊読むのに一週間以上かかってしまった。もっともラスト100ページでジリ貧だった興行が突如大ブレークして上に書いたような不満の一部説明はあったし、それ以降はまあまあだったけど。全体的に面白くないわけじゃないんだけど、なんか残念というか勿体ない作品だった。
全く知らない世界の物語だったので、是非今の文楽でこの演目を観たい。
虚実皮膜という近松の言葉が出てくる。 その作品執筆のために、虚に取り込まれそうになる半二達が描かれる。 作品は誰かの作品を土台にして作り直されていく。それは肯定も否定もされず、当然のこととしてある。 半二の人生を過ぎていった人たちが、渾然となってあるキャラクターに形を変えること。 タイトルにあるように、あらゆるものがぐちゃぐちゃに、そうする意図もなく取り込み取り込まれて新しい作品ができる。
そうした「みんなの」作品だった浄瑠璃は、いつか「みんなが知っている」作品になり、いまは「みんなが知っているわけではない」予習が必要な作品になっている。 観る方も遣る方もスタンスは変わっているのだろう。 それでもまだ文楽が続いているのは(以下要まとめ)
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