形式:単行本(ソフトカバー)
出版社:河出書房新社
『学問は世の中のためにするものじゃないか。自分一身の経営もできないものが学問をして何になるのだ。そういうことをちゃんとやれるようになってから、学問をやりたまえ』。柳田國男が門下生を叱りつける場面。一身上の事はそりゃ自分でなんとかしなければならないが、生活費の問題とか、金銭面でも不安定なのでは学問にちゃんと向き合えないのも事実。現代に至り、大学に残って研究するという選択が、こんなにも厳しい時代になったのでは、国も豊かにはならないと想像される。
→先生の旅程や旅の風情は戦争不可避の社会情況でも悠揚迫らぬものがあり、行く先々で地元の名士方と会談・会食などをされ、著者もそれに同席したり、宿によっては先生と相部屋で泊まったり、それが連続して17日間の密着行動だから、気苦労や気づまりも絶えなかったろうと推量される。だが、考えようによれば、若い時に碩学から特別講義を受けたようなものであり、先生の人徳にも触れ知己を得たことは、著者のその後の新聞記者生活や人生に於いて多大な恩恵に繋がっただろうと推測される。若い時の苦労は買ってでもせよと言うではないか。
tanami様。東雅夫著『文学の極意は怪談である』の折口信夫の項に、民俗学の立場から怪談について書く著者のことが紹介されていました。本書の「はじめに」についても、触れられていました。著者を含め折口信夫や渋沢敬三など同じ67歳で亡くなっていると云うことでしたね。符合というにはなかなか恐ろしくゾッとしました。東雅夫はエピソードをこうまとめています。「霊界の折口大人の「引き」の強さや恐るべしというべきか、はたまた、齢六十七にして精力的に九州一円を旅してまわる柳田こそ真に恐るべしというべきか……」
玄趣亭様、コメントありがとうございました。東さんの著書は知りませんでしたが、拝見して私も背中が寒くなりました。柳田は超別格ですね。80を過ぎても、記憶力には絶倫なものがあったと読んだことがあります。
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