形式:単行本(ソフトカバー)
出版社:新潮社
(続き)いざその時に日本だけが無関係、局外中立の立場を取ることは物理的に不可能だ。日米安保条約の条文がどうであろうと日本に米軍基地と部隊が存在すること自体が極東有事に対する抑止力となっていることは現実だ。しかし日本人は(日本人に限らず人間とはそういうものなのかもしれないが)「戦争になってほしくない(こうあってほしい)」「戦争は絶対に起こしてはならない(こうあるべきだ)」という「願望・理想」が先行し、その「願望・理想」が破綻したときにどう対処してどう終わらせるか、という議論自体がタブー視されている。(続く)
(続き)有事の際、敵対勢力は日本人のそのメンタリティを突くことで日米の連携を妨害することで自らにとって有利な形勢を作り出そうとするだろう、というのが本書の趣旨である。そう考えると、(少なくとも外交や安全保障について)日本人はあの戦争から何も教訓を見いだせず、自らの意識を変えることもできなかったのだろうか…?
確かに有事の際に指揮権にバラバラではやりにくいのでしょうが、そこまで米国に頼み委ねなければならないのでしょうか?韓国やNATOのような例もありますが、少なくとも現時点では自衛隊を米軍の指揮下に委ねる事には賛成しかねます。
ケース2:中国が台湾に侵攻、在日米軍基地・自衛隊基地に弾道ミサイル攻撃、与那国島・石垣島を占領。日本では「即時停戦・外交的解決論」が広がる。米国は中国軍に壊滅的被害をもたらしたが中東情勢の緊迫もあり、台湾の継戦論を拒否し中国との休戦会談を開始。日本の二島は自衛隊単独の奪還作戦も厭戦的世論のため実行されず、占領されたまま。・・・と、現在の日本国内の政治・社会・報道環境に関して、限りなく悲観的な見通しばかりだ。著者のような「安全保障意識高い系」の人は、どうしてかくも自分は少数派だと思っているのだろう。
⇒前提として、日米同盟は筆者が「極東一九〇五年体制」と呼ぶ地域秩序を維持するための同盟網の一環だ。つまり中国・北朝鮮に対して日韓台の勢力均衡を保つことが目的であり、日米同盟は米韓同盟、米台安全保障連携と密接な関係にある。ところが日本人は、戦争を忌避するあまり国内向けの論理(集団的自衛権違憲論等)構築に汲々としたり、核兵器に対するアンビバレントな感情に引き裂かれたりして、安全保障を観察する眼を曇らせ、日米同盟の地政学的意味をずっと直視しないままに過ごしてきた。このことを筆者は強く危惧する。⇒(2/3)
⇒朝鮮有事も台湾有事も「極東一九〇五年体制」を突き崩し、近代以降の極東における勢力図を塗り替える事態にほかならない。日本が無視を決め込めるはずもないが、一部世論はそうした危機への備えを求める声や、中国の覇権主義に対抗する日米同盟の再編を「戦争を煽るもの」と唾棄して、筆者が危惧するドメスティックな論理の殻に閉じこもったままだ。そういう人たちには、本書末尾の「シナリオ」を読んでほしい。もし内向きの態度を克服できないにままに有事が起これば、日本は戯言では済まされない屈辱を味わうことになるだろう。(3/3)
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