読書メーター KADOKAWA Group

他者の単一言語使用 あるいは起源の補綴 (岩波文庫 青N605-1)

感想・レビュー
16

データの取得中にエラーが発生しました
感想・レビューがありません
さきん
新着
最近ポスト構造主義にも興味があって読んでみた。岩波文庫は古典でばかり読んでいて、新刊ないかと思ってたら、2024年発行でまだこの装丁で出しているのかとビックリした。内容ははっきり言ってよくわからなかった。アルジェリアに住むユダヤ人でフランス語話者としう視点でベルベル人、アラビア、ユダヤ文化でもなく、宗主国フランスのエリート教育で生きてきた著者のアイデンティティの曖昧さが母語が自分のものではない=そこに帰ることができない=だからといって自己を持っていないというわけではないというハイデガーの哲学に対する
さきん

反証を試みているという理解。一方で、結局はフランス文化を彼は、アイデンティティとして結果的に選択したのではないか、さらにフランス社会はそのデリダを受け入れたのではないかとも思った。そういう意味では、構造主義を崩す主張にはなりえてないと思った。一方で、デリダ氏の代表的な脱構築主義という思想は自分にとっても理解できる。物事に白黒つけきれないという感覚、判断せざるを得ないであれば、あくまで仮に決断するという姿勢。交通事故において双方に一定の瑕疵を認めるという考えがそれに近い。

02/09 17:17
さきん

が、それが本書ではあまりつなげられてないし、触れられていないように感じた。 他には、あらゆる言語から逸脱しあ、または、本来的なを求める言語としてエスペラント語やヘブライ語を想起した。また、日本語も日本列島統一の過程で作られた言語であり、辺境にいたる話者ほど自分の言語と思えてないのではないかと思った。

02/09 17:22
0255文字
踊る猫
新着
本書におけるデリダの語りはよどみなく進むことなく、ときにオルタナティブな話者との対話形式を採ったりしつつスリリングに多層的に声をかさねることで展開する。そこから浮かび上がるのは、1人の人間に与えられた言語が決して自然に・無前提にそうなったわけではなく、むしろ高度な政治性の産物でありそれゆえに人はなんらかのかたちで「屈服」さえしつつ言語を話すという、そんな倒錯した構図を暴くことではなかったか。1人の人間の内部で展開する言語をめぐる政治学をここまで(晦渋にであれ)シビアに暴き立てた作品はちょっとないとも思った
0255文字
記憶喪失した男
新着
ネタバレ短いが、内容の濃い書だった。マグレブという北西アフリカ地方の生まれで、アルジェリア出身のデリダの言語についての奇妙な問いかけの哲学書。クレオール(宗主国生まれではなく植民地生まれ)ということばが印象的。
0255文字
ハンプティ
新着
自分の話している言語が自分のものではない、自己と言語が一致しないという感覚は、日本て生まれ日本で育ち、日本語を当たり前に話す分には中々できない発想で、デリダのいろんな要素が絡み合った出自だからこそ考え抜かれたものなのだと思う。中々難しく、理解が及ばないところが多かったが、言語と自己について考えるとき、繰り返し読み返したい。
0255文字
藤月はな(灯れ松明の火)
新着
ポルトガル・スペイン語の通訳もしている伯母の圧倒的なパワフルさを見ていて、このパワフルさはラテン系じゃないかと思っていた私は昔、こんな事を考えた事がある。「もし、生まれた時から日本語じゃない言葉をずっと喋っていたら性格も違ってくるのか?」と。自国の言語で話す事は思想やアイデンティティの固定化に繋がると仮定する。でももし、自分の喋っている言語が借りものだとしたら?そしてその言語を使う国の言葉やアイデンティティ、文化を以て翻訳に挑んだとしてもそれは完全に翻訳したと言えるのか。
0255文字
三色かじ香
新着
全ての人にひとつの母語がある、という認識は必ずしも正しくない、というところまでは読み取れました。いずれこのテキストをもっと読めるようになりたいです。
0255文字
Yasunori Hosokawa
新着
はじめに翻訳ありき。自己が安心してそこに住まうことができる「意味」はなく、その直接的伝達も無い。始源にズレ=絶対的翻訳があり、それが無限に続き、決して「本来のもの」には至らない。こういう記述は、この思想家のまとめ的なものだと思いますが、本書はそれがデリダ個人の生い立ちから来たものであることが述べられており、そこが特異なのではないかと思いました。正直自分には難解でしたが、それでも恐らく他の作品より読みやすい、取っ掛かりのある一冊ではないでしょうか。
Yasunori Hosokawa

また、最初から「自分のものでない」言語を、ただ一つの言語として受け入れざるを得ない在り方、であるからこそ、決して本来性には至らないままであるというのは、やはりユダヤ教的思考を感じます。安易に母語の特権性を信じ、自らの故郷として回帰してしまうことは、デリダにとって偶像崇拝のようなものなのでしょうか。そして、「自らのものでない」言語に生きる存在は、何かの到来、それはやはり突如として、絶対的に「自分のものではない」ものとしての救済の到来を予感するのでしょうか。

10/24 09:48
Yasunori Hosokawa

今回この本を手に取ったのは、デリダもついに岩波文庫か、と発売時に感じたことが理由でした。もう歴史に属した哲学者ということなんでしょうか。しかし「差異の戯れ」といった言葉は情報化社会を表現していたように見えつつ、一方で情報化のニヒリズムとは全く異質な思想なのだと今回のこの本から感じました。自分はまだきちんと読解できる能力ないですが、これから岩波文庫で別作品も続けて出るようなので、読んでみたいと思います。

10/24 09:48
3件のコメントを全て見る
0255文字
カワサキゴロー
新着
伝えたい深い苦悩はなんとなく感じられるんだが、靴掻掻痒感がありつづけた。 対話形式もあるし、周りくどいのもある気がする。
0255文字
悸村成一
新着
これ程こ難しい書き方では私などの読書は難渋する。しかも酷暑の夏に刊行された本だ。金範石の評論集を読み返したくなった。すぐには取り出せないのだが……。
0255文字
遊動する旧石器人
新着
2024年8月9日第1刷発行。言語を主体として近代社会が前提としているアイデンティティを幻想化させる1冊。近代社会が前提とした、特に日本でも明治期に目指された「単一の」を基盤としたアイデンティティが、支配者的な人工的なイデアであることは、21世紀世界を生きている我々には目にも明らかだが、そうした近代の概念を脱構築させ、ポストモダン(後近代)に進めた一人がデリダと言っても過言ではない。本書は其中でも言語に対するものであるが、今日も英語帝国主義の世界であり、研究論文の世界でも、「英語で書かないと」が実存する。
0255文字
sansdieu
新着
難解だけれど、感動。植民地のフランス人の立場から単一言語を話すことの不可能について明らかにしている。それは単一言語や国家的言語の使用という考えかたを脱構築する試みなのであるが、脱構築の哲学者として認知されてからもう何十年の経っている。そのため、すでに触れたフランスの植民地の歴史への言及、他者、歓待などの概念によって、文学批評、哲学の領域を飛び越え、歴史、行為に到達しようとしているように見えた。 守中氏の解説はないよりはまし。「絶対的翻訳」に関する氏の理解は正しいのだろうか。
0255文字
記録用
新着
この本がデリダ入門によいのか悪いのかじぶんにはわからない。とりあえず最後まで読み切った初のデリダ本になった。著者の本にしては読みやすい本だと思う。私はアルジェリアリアの歴史等には知識がないのではじめとっつきづらく感じた。なのではじめに訳者解説を導入として読んだ。
記録用

宮﨑裕助氏が『人文会ニュース 147号』に載せた 「15分で読む 母語の狂気から他者の単一言語使用へ」 がこの本のガイドとしてとても有益で助かった。 (PDFあり) https://jinbunkai.com/jb_jbnews/%e4%ba%ba%e6%96%87%e4%bc%9a%e3%83%8b%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%82%b9%e3%80%80147%e5%8f%b7/

09/07 14:31
0255文字
tyfk
新着
今年は他にもいろいろ文庫で出るし、これを機にデリダ再入門してみるか。原註が充実してる。
0255文字
踊る猫
新着
ぼくは日本語話者であり、日本人として生きてきたことに苦悩したことはあってもその言葉が自分の母国語として自明であることまで疑ったことはなかった(と思う)。デリダはこの刺激的な書物を通して、まさに自らの中になまなましく巣食う言葉がいかに「異物」でありうるかを問い直さんとしているかに映る。もちろんそれを単にデリダの個人的なストラッグルの産物(ものすごく平たく言えば「生きづらさ」ゆえ)と読むのは礼を欠いているし、面白くもなんともない。「法」が所与のものとして与える言葉やアイデンティティを「ずらす」ことは不可能か?
0255文字
オオタコウイチロウ
新着
デリダが批判する「住むこと」と、〈暮らすこと〉とは、半分同じで、半分違う。
0255文字
全16件中 1-16 件を表示
他者の単一言語使用 あるいは起源の補綴 (岩波文庫 青N605-1)評価64感想・レビュー16