形式:文庫
出版社:岩波書店
ウェーバーはともかく、フロイトは「社会思想の歴史」という論点から浮いていないか?と思うが、現代だとそれだけ精神分析の影響力が低下しているということかも。カントにおいては最高の価値を与えられている「社会」とドイツ・ロマン主義における「国家」の対立(合理/感性、部分/全体、機械/有機体、非歴史/伝統)を乗り越えたのがヘーゲルの国家観というのが面白い。市民社会の向こうに想定される国家は割と全体主義的。しかしこういう国家に憧れる気持ちは分からんでもない。「青年ヘーゲル派」がどういう集団なのかも分かった。
終章はマルクーゼについて。名前しか知らなかったがこういうことを言っていたのか。物質的には豊かになったプロレタリアが革命の主体として期待できなくなり、ソビエトを始めとする東側諸国の抑圧の実態も明らかになり「それでも革命を起こしたい、さあどうする!」から導き出されたのがマイノリティによる暴力行使の是認と権威の破壊。著者もそういう味方に親近感を覚えているよう(楽観主義には慎重だが)だし、68年がポストモダンの根幹として持つ重みがよく分かる。
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