形式:新書
出版社:朝日新聞社
本書でもそうですが、まともな経済学者は経済そのものを対象に議論するのではなく、経済への人々の認識を対象としているのだと最近気づきました。当然経済政策も、人々の感覚にアプローチするものであるということです。減税したから可処分所得が増えて自動的に景気がよくなるのではなく、負担が減れば生活が楽になるだろうという気持ちが消費を誘って景気をよくすると考えるのです。逆にどんなに収入があっても、将来が不安なら景気はよくならないということです。このふたつの経済観はまったく違うものだと思います。
◇①IMF不信(スティグリッツも承認していたかな)の意味。米国財務省・連邦準備制度理事会の思惑に左右されすぎ。メキシコ危機の支援に激怒した米国議会を慮り、アジア通貨危機対応には積極性を欠く。◇東アジア通貨危機は流動性の危機であり、逃避資金分の別途注入が必要。ところがIMFは返済能力の危機と誤読し、構造改革・制度改革で返済能力の長期的な回復を目指した。しかも返済能力の向上とは無関係な制度改革も要求(ただしこれは東南アジア各国の政治的自由・精神的自由の顕著な制限を露わに。この問題意識自体は間違っていない)。
◇②国際資本(海外資本)で経常収支の赤字を埋めることは、(逃げ)足の速い資本に依存し過ぎることになり危険。行動経済学的に言うならば、非合理的な悲観論に支配されてしまうから。◇③理論が現実に克ち過ぎるフリードマン(「不確実性」を認められない。認めると彼の経済理論が破綻する)の害悪が見て取れる(著者は敬意を払っているようだが、所詮、フは悪い意味での理論屋)。
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます