には、事実として、貧富の差が存在していました。芥川の『トロッコ』での「線路」の使われ方は、賢治の『月夜のでんしんばしら』での「線路」の使われ方と、似ていると思います(どこが似ているのかについては、まだうまく記述できません)。作中で恭一(子ども)は、晩に鉄道線路の近くを歩いているので、おそらく彼は家から追い出されたのでしょう。僕は『注文の多い料理店』(短編集、角川文庫)を読み終えました(まだ感想文を書いていない作品がありますが)。そのうえで僕が1番書きたいことは、これらの作品では、「非日常の世界」が、
作中の主人公たちにふさわしいかたちで出現していることです。賢治は、主人公たちのこころを映しとるように、「非日常の世界」を描いていると僕は思っています。たとえば、『月夜のでんしんばしら』では、線路を辿っている恭一が、「非日常の世界」に入りますが、この世界の方々は、少なくとも恭一を騙そうとはしていません(おそらく恭一の境遇が映されている)。反対に、『注文の多い料理店』では、紳士たちのこころを反映して、この世界の方々は、紳士たちに容赦がありませんでした。
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電気総長が走っている汽車に乗り込んで、室内灯を直すのがカッコいいです。あんな目立つ行進していて、汽車の乗客には、見つかってはいけないのも、お間抜けで楽しいです🤣。
えかさん、なるほど。それがえかさんが、この作品をこよなく愛する最大のポイントだったのですね。