彼の言う本当の宗教心とはどのような意味だろう。その意味を深く調べたい。私はキリスト者ではありますが信仰熱心に見られたらそれはとんでもない話です。人間が決められる話ではないし。キリスト教も宗教の一つとされていますが、私は宗教という捉え方より関係の中で信じている信仰に過ぎないのかなと。キリスト教は世の宗教のような単なるご利益宗教ではありません。それを考えればキリスト教は単なる宗教ではないという事も分かるのではと。
結構、講演しているので、お近くに来られた際は行ってみると良いかもしれません。http://antaiji.org/ja/muho/events/ てらいのない正直な方ですよ。
日本人は優れた宗教観にあるのですね。しかしながら、私は一見宗教には寛容に見えてキリスト教の話題になると途端に嫌悪されていると感じますが。それなのにクリスマスやゴスペルソングは喜んで受け入れたり日本人の宗教観はむしろ頓珍漢にあると感じますけど。また日本人の宗教観に対する寛容さが仇となりカルト宗教などの被害が急増している事も忘れてはなりませんね。
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日本人は優れた宗教観にあるのですね。しかしながら、私は一見宗教には寛容に見えてキリスト教の話題になると途端に嫌悪されていると感じますが。それなのにクリスマスやゴスペルソングは喜んで受け入れたり日本人の宗教観はむしろ頓珍漢にあると感じますけど。また日本人の宗教観に対する寛容さが仇となりカルト宗教などの被害が急増している事も忘れてはなりませんね。
そもそも、この著者は元キリスト教徒だったのに何故仏教に変えたのか?そこが最も気になる点である!私がキリスト者になったのもそれは聖書の教えが人間が信じる極自然な内容だったからです。<神ははじめに天と地を創造された。>人間はこの創造主なる唯一の神によって造られたのだから!その他にこのような神は存在しないのだから!人間が本来の人間の姿にするために教えたのが聖書です!自分とは何者か?何故人間関係に争いが起こるのか?など人間のアイデンティティが壊れたのも人間には<原罪>という罪があるからです!