形式:文庫
出版社:幻冬舎
形式:単行本
形式:Kindle版
③「1995年以降がリトル・ピープルの時代」だ。拡張現実の時代であり、国際秩序はグローバリゼーション、戦争観はテロの連鎖となる。悪とされるのは原理主義者たちで、その原因はシステム化の反作用(小さな物語館の衝突)となる。ここでの悪のイメージは悪のヒーローであり、ヒーローは平成仮面ライダーとなる。2ちゃんねるやニコニコ動画などのインターネットや、ひぐらしや東方などのn次創作・メディアミックスに著者は可能性を見出す。ラストはインターネットで今までの大きな物語が完全に解体し、個人化が加速していく流れだ。
Amazonレビューを見ると、「万事が万事、自身のイメージだけで話しを進めている」「表層の文化現象をなぞっただけで分析の水準は十分ではない」との批判があって結構納得する。私もぶっちゃけ「通俗時代分析をサブカルに当てはめたもの」と思った。ジェンダー分析やフェミニズム批評と似ていて、先に答えがあって、それを好きなモノからも読み取っていく感じがする。そして、最後はインターネットやテクノロジーは世界を変えてしまうあるある論。2011年の本なので、当時の論壇で賑わせていたから仕方ないかもしれないけど。
ウクライナ戦争と米中対立によりビッグブラザーの影もやや復権したように感じるが、結局は「世界の終わり」は訪れず、そのときどきの大衆の正義押し付けゲームが続くだけなのだろうか。まあ、戦争よりは平たんな戦場の方がましだよな、とうっすら戦争の空気を感じると思う。
やー「はんちゃん、これ読んだのかぁ」ってその分厚さにおののく→さよなら👋~→する前にあとがき読んで中が気になる→序章読んでおおってちょっと思う→でも長いや!😂←今ここ。じゃあ第1章だけ読んでみるー。全然わからんかったらゴメン😂
そんなもん別に誰に謝る必要もないよ(笑) 「こういう本があって、あろうことか『ものすごく面白い』っていうヤツがいる」でも、立派な感想じゃんか(笑) 誰にも迷惑かからないし気にすることないんだよ。
これまで豊かな想像力を発揮していた村上でさえこの新しい時代を捉えきることができなかった。著者は、この新しい時代にポップカルチャー(ウルトラマンと仮面ライダー)を紐解くことで現代の日本を描き出す。無数の小さなものが無限に連鎖し、システムを形成しているものが現代の壁だ。まさに現実を変えようと思えば、世界の外側でなく内側に取り入れ、書き換えを選ぶことが有効であると考えるようになってきているのではないか。著者は平成仮面ライダーのなかに、同じような思考の変化を察知した。我々はサイバー空間にもう一つの現実を(続く)→
作るのではなく、〈いま、ここに〉どこでも潜り多重化し、つまり情報テクノロジーで現実を拡張するための想像力を問われている。
に「世界の終わり」(内面)と「ハードボイルド・ワンダーランド」(社会)の統合を目指して、結果的には前者が肥大してしまった村上の限界をみます。ウルトラマン=ビック・ブラザー、仮面ライダー=リトル・ピープルとして重ねて、後者から未来の可能性を考察しています。過去に対する整理は非常に鋭い反面、村上を現実に追いつかれたと批判するほど著者も未来に対する画を描けているとは思えず、後半に向かって尻すぼみになっているようにみえます。「レイプ・ファンタジィ」と批判する著者がアイドル文化に没入しているのは大きな矛盾でしょう。
文庫じゃない方読んだのに、間違えて感想こちらに感想を書いてしまった。修正とかあったらゴメンなさい。
大変おもしろかったのだが、「リトルピープル」という概念が、大きな物語の終焉に対して人々がミーイズムとかマイホーム主義によって自衛してきた状況の後追いというか、何を今さら感と、1つのジャンルの深堀りで仕方のない面はあるが、島宇宙内結論というか、捨象してしまったものが多すぎる感は否めないのではあるが。
それなのに何も変わってないなんて滑稽だね。
終章で「時代が望む時、仮面ライダーは必ず甦る」とか書いちゃうリリシズムは好き。
昔、読みました。サイバーさんも読まれたのですね。
この手の本にしてはめずらしく、自衛隊映画と言われるガメラ2にも、自衛隊は災害出動することで暴力装置的な意識を排除している、として一目置いている。ただ、ガメラと共同戦線を張った瞬間に国家権力が著しくなっていると断りは入っている。
p.183,213,217,223,236,282,334,355,372,384,415,423,437,480,485
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