形式:新書
出版社:中央公論新社
きっしょい下手クソな文章…クソつまんねーコメント…死ねよガイジ
シュタウフェンベルクとともに処刑されたへフテンの妻が,別れの朝,夫(友達を裏切らず家族の大事なことも漏らさずに尋問に耐えられるか心配していた)にかけた言葉。/ 彼らがあなた方を引き渡したとき,何をどう言おうかと心配しないがよい。言うべきことは,その時に授けられるからである。語る者は,あなたがたではなくて,あなたがたの中にあって語る父の霊である。(マタイによる福音書第10章19-20)
追記>本書に出てくる多くの抵抗者の名の後に「一九●●年刑死」と記されているのが哀しい。彼らの行動は「自己の良心に基づく事柄」と著者は書くが、戦後に受けた生き残った本人や家族に対する中傷があったことを知ると難しい問題だなと思う。ネオナチが戦後まもなくに生まれていることを読むと、ヒトラーの影響の濃さを思い知る。
どいす、参戦! やばいです。伊弉諾
イラン、参戦!
…超えていたことである。それゆえ七月二〇日の抵抗者たちの行動は政党である。」◆「反ヒトラー独裁に立ち上がった人びとの復権は、《7月二〇日事件》に始まったが、無名の人びとを糾合した《ローテ・カペレ》を経て、孤独のなか不当な事態の解決を必死に考え決断し行動したゲオルク・エルザーをもって終えようとしている。着目してほしいのは、社会的エリートではなく一人の小市民の勇気が顕彰されるにいたったという事実である。それと同時に、被迫害者たちを救援した多くの「沈黙の勇者」たちがいたことである。人間としてまっとうに(続)
…生きることが難しい異常な時代であったからこそ、彼らはその本来の姿を示すことができたといえるかもしれない。(pp.254-255)」◆本書でも扱われた事項を映像化している『ワルキューレ』『白バラの祈り』はアマプラで公開されていず観られていない。関連映像としてBBCの『アウシュヴィッツ ナチスとホロコースト』『否定と肯定』を観る。
彼らの生き残りは戦後になっても、いまだ続いていたヒトラーの国民への影響と米英など占領軍の方針によって「祖国の裏切り者」とされ物心両面で困窮した生活を強いられたが、誇りを胸に逞しく生き抜き、のちに名誉を回復し称賛された。「ドイツ人の反ナチ活動とは、報われない孤独な現実に身を投じることであった」と本文にある。命を懸けて独裁者に抵抗した果てに刑死し、あるいは祖国の国民に罵倒された彼ら。世の中が、国が狂っているとき、正気を保ち信念を貫くことがいかに難事か。悪を見抜く知性や良心だけではなく勇気が必要だ。→続く
<クライザウ・サークル>の人びとや秘密教会の聖職者たちを支えたのは彼らの信仰であり、キリスト教徒の良心であった。わたしと彼らは宗派は違うが、同じく信仰を持つ者として、こういう時こそ信仰の真価が問われるのだと強く心を打たれた。そしてその彼らが、「もう一つのドイツ」構想のなかで合法的に独裁者ヒトラーを生んでしまった民主主義を戦後も採用することに懐疑的であったことが重い。大多数の人間が利己心に打ち克ち、知性と良心と勇気を併せ持つことは容易ではない。民主主義のはらむ危険性についても痛感させられた読書でもあった。
ドイツでは2000年ごろには大半の教科書にクライザウ・サークルやゲオルグ・エルザーなどの抵抗運動が詳述されるようになったそう。日本にも反戦・反侵略の草の根運動ああったのだろうか。またそれらの戦後社会的評価は?私が不勉強なのももちろんあるだろうが、戦後社会で十分敷衍されているとは言えないと思う。
内容としては非常に興味深い一冊だったがところどころ文章に読みづらさも感じた。耳慣れない固有名詞の多さが原因かもしれない。 また反ナチ市民やその遺族の生涯をドラマチックに消費するような言い回しがやや鼻についた。一般向けの新書なので取っつきやすさを意識したのかもしれないが、もう少し淡々と事実を述べるにとどまっても良かったのではと思う。
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