50代の会というのがあります。もうすぐ卒業。60代の会というのを作るのもしゃくなので、1950年代生まれの会というのを作らせてください。1950年代生まれの方、ぜひおいでください。ちなみに1954年生まれです。芥川賞・直木賞作品を読むというコミュニティを作成しています。作ったのが昨年で50代の間には全作品を読み切れないのが残念です。
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私の新聞斜め読みー
「4月上旬、アメリカ東海岸の有名大学で、学長や学部長らが集まる会議が開かれた。その場でこんな話が出たという。
「トランプ政権に対応するため、権威主義国家を知る東欧などの大学から助言をもらうことになった。ハンガリーなど複数の国の研究機関と連携し、意見交換を始めている」
会議に出席していた知人は、苦笑しながら言った。「まさか権威主義国家から学ぶ時代が来るとはね」
トランプ政権は、反ユダヤ主義を放置したなどとして、コロンビア大学やハーバード大学などを皮切りに、補助金を次々と打ち切った。他にも、ユダヤ系学生の保護義務違反とされた大学は60校にのぼり、リベラルな大学方針への調査対象は約50校ある。大学側は連携してたたかう姿勢を見せているが、政権による統制は激しさを増している。言論や学問の自由が守られていると思われてきたアメリカのいまの姿だ。
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「ひとつ、アメリカへ行ってやろう、と私は思った」
故・小田実さんの名著「何でも見てやろう」は、そんな有名な一文で始まる。敗戦から10年あまりの1957年、小田さんはアメリカへの留学を思い立つ。そして、フルブライト奨学金を得て渡米し、ハーバード大学に通いながら、アメリカ社会の豊かさから病巣まで、つぶさに見て歩いた。そこから世界22カ国を巡った体験は、「ベトナムに平和を! 市民連合(ベ平連)」などのちの市民運動家としての礎となった。
高校生のときに出会ったこの本は、日本で生まれ育った私にとって、アメリカや世界に深く触れた初めての体験だった。いま改めて開いても、自分の足で歩き、出会った人々と語り合って得た文明論は普遍的であり続けている。
もう一つ記憶に残ったのが、小田さんのアメリカ行きを支えた奨学金だった。「何から何まで丸がかえ」という魅惑的な一節が頭を離れず、私もこの奨学金のお世話になった。
アメリカの大学や大学院に身を置いて感じたのは、この国の力の源泉は、世界中から集まる若い学生たちぬきには語れないということだ。
あらゆる政治体制の国から、多様な価値観を持った若者が、自分の国では得られない何かを求めてやってくる。そこから時代の思想が生まれ、最先端の研究が始まり、産業がおきる。エリート批判や国の衰退が言われても、アメリカは依然として、世界中の留学生を最も多く引きつけている。トランプ政権が力を振りかざすのも、磁場としての大学の力を知るからこそだろう。
だが、3月末に発表された英ネイチャー誌の調査では、アメリカにいる研究者の75%が「国を離れることを考えている」と回答したという。
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「トランプ政権が終わっても、アメリカが元の姿に戻るには10年はかかるだろう」。プリンストン大学で教えてきたフレデリック・バートン氏はそう話す。そして、10年たっても戻らないものが、確実にある。
小田さんはアメリカ行きの理由を「われわれの文明が到達した、もしくは行きづまったその極限のかたち」を自分の目で確かめたかった、と書いた。それから60年あまりたち、アメリカは大きな変質を遂げようとしている。それがどんな社会を残すのか。変わりゆく国を、私も自分の目で確かめたいと思う。(Glove編集長 宮地ゆう)」
朝日新聞朝刊紙論説「日曜に想う」より
私の新聞斜め読みー
「近ごろ世間ではやるもの、フェイクニュースに特殊詐欺、「公正」「正義」がさっぱり通じぬこの世の中、どうすりゃ渡っていけるのよ、とほほと途方に暮れてたところ、西の方にはいるらしい、「公正」「正義」を“乗りこなす”なんて言ってる哲学者が。ほほう。ご高説、お聞かせいただきたく候。
――大学で哲学を講じつつ、大手広告会社の社員でもいらっしゃると。ひと昔前は「哲学なんかやると就職できないぞ」と言われたものですが。
「修士卒で入社し、在職中に博士号を取得しました。現在はデータビジネスの倫理的課題や、倫理をどう社会に実装するかを考える仕事を主にしています。こうした企業内哲学者と呼べるような人も最近増えつつあるんです。なぜビジネスの世界で哲学者が必要とされているのか? 巨大テック企業を筆頭に、倫理が差別化戦略、マーケティングの武器として使われ始めているのです。『私たちは高い倫理観を持っています。安心してデータを預けてください』と」
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――なるほど。そこで哲学者の出番、なんですね。
「法律に反していなくても企業倫理が問われて炎上するケースは多々あります。新しい技術がどんどん出てきて、法規制が追いつかない分野もある。どうすべきか判断するための言葉遣いを整備するのも、企業内哲学者の大きな役割のひとつです」
「『正義』『公正』といった、哲学や倫理学が培ってきた言葉群は重要かつ有用です。『なんかずるい』『おかしい』という私たちの素朴な感覚をうまく表現してくれ、どんな問題があるかを抽出するのに役立つ。ただ、日本語話者は総じて、そのような『正しさ』にまつわる言葉遣いが不得手です。企業のコンサルティングをしていても、『そんな強い言葉、怖くて使えません』なんて言われることがありますから」
「以前に実施した調査で、倫理とは(1)できれば守った方がいい『努力目標』(2)絶対守らなきゃいけない『義務』のどちらに近いと思いますか?――と二択で聞くと、きれいに半々に分かれました。欧米での同様の調査をみると、当たり前ですが大半が(2)。よしあしは別として、(1)のようなフニャフニャとした倫理観では世界で戦えません」
――ぐぬぬ。
「もうひとつ、日本では『正義』『公正』を個人の努力や気持ちの問題に帰着させる傾向が強いので、『正義』の反対は悪ではなく『別の正義』みたいな屁理屈(へりくつ)が横行しやすい。日本語の、この、正しさにまつわる言葉の使いづらさを何とかしたいという思いが、哲学者としても企業人としてもあります」
――NHK党が2022年参院選で暴露系ユーチューバーを擁立した時のキャッチコピー「嘘(うそ)の正義より真実の悪」を思い出します。「屁理屈」にはどう反論すればいいですか?
「『善』と『正義』は分けて考えましょうね、と。なにを『善』と考えるかは人それぞれ、まさに気持ちの問題です。ゆえに時に対立するから、それぞれの利害を調整し、バランスを取りながら、なんとか一緒に社会を営んでいくための合意点を見いださなければならない。万人が合意に達しうる状態で実現するのが『正義』です」
「ちなみに『公正』とは、わたしたちが『正義』について合意するために、場に求められる条件であり、各人に課せられた責務です。社会という『みんなで取り組む命がけの挑戦』に参画するためには順守し、具体的なふるまいとして示されねばなりません。内心の問題では全くないのです」
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――米国では今、「正義」の液状化が進んでいるようです。トランプ的なものの人気の源泉をどこに見ますか?
「クラブの退廃、ですかね」
――クラブ?
「米国の哲学者であるリチャード・ローティが提示した『バザール(市場)』と『クラブ』という有名な比喩があります。バザールとは、生活の糧を得るために誰もがそこで生きざるを得ない場所です。あやしい、気に食わない、言葉が通じない……いろんな客がいるけれども、稼ぎを得るためにはつくり笑顔で堪えなければならない」
「そんなバザールでの一日をなんとか終えた後に立ち寄り、気を許せる相手との会話を楽しむ場所がクラブです。そのような私的空間をみなが持ってこそ、公共空間たるバザールの安寧が維持される。人間には二つとも必要なんだというのがローティのアイデアです。クラブはある種の同質性が前提だから、差別やヘイトスピーチの温床になりかねない危うさもある。でもローティに言わせれば、人は正しくない部分も含めて生きちゃっているから、それを語り合う場所がなければ、その人が変わる可能性もないんだ、と」
――今はSNSがクラブの役割を果たしているのでは?
「クラブは、顔の見える関係であることが大前提です。SNSでは代替できない。それどころか、SNS上のあらゆる言葉は常にバザールの光にさらされています。何年も前の発言、匿名の発信が掘り起こされて炎上することもある。私たちは常に誰かに見られているという意識のもとで書いたりしゃべったりするしかない時代を生きていて、真に私的な会話ができなくなったことによりたまったうっぷんが、身もふたもないことを公言してはばからないトランプ氏への快哉(かいさい)を生んでいるのではないか」
「言葉が今、敵か味方かの陣営分けをするシグナルのように扱われているんですよね。昨年8月にこの面に掲載された作家・星野智幸さんの寄稿『言葉を消費されて』をめぐるSNS上の反応もそうでした。星野さんが『リベラルな考えの人たちは正義に「依存」している』と書いたことで、主にリベラルを自認する人たちから、言葉遣いが雑だとか利敵行為だという批判を浴びたわけですが、ひとりの人間、小説家としての苦悩と葛藤、そう書かねばならなかった切実さを『読む』ことができれば、少なくとも何が課題かという意識は共有しえたはずです」
「『正義』の液状化や言葉のシグナル化に抗して、もう一度言葉に息を吹き込むためには、独善に陥る危うさを慎重に見極めつつ、自分自身の生き様をまじえながら書いたり語ったりするしかないと思います。なぜ『正義』が大事なのか、普遍的価値と言えば済んだ時代は去り、その切実さと必要性を、個々人が生きてきた自分史的なものの中から再度紡ぎ直して、血の通ったものにしなければいけない」
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――著書「〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす」の末尾で、ご自身の出自について書かれたのもそういう理由ですか?
「なぜ『正義』『公正』をテーマとし、読者と会話するような文体を選び、丁寧にかんで含めるような書き方をしたのか。もちろん私自身の個人史とも不可分です。でもその理由を出自だけに収斂(しゅうれん)させて『理解』してほしくはなかった。なので書くかは最後まで迷いました。最終的に、ここまで読んでくれた読者を信頼して書こうと」
「昨今、マイノリティー当事者でなければ語れない、語っちゃいけないというような風潮があり、ほとんどの面でマジョリティーである人も自らのマイノリティー性を見つけ出して他者にマウントを取ろうとする、みんながマイノリティーになりたがるという逆立ちした現象が起きています。その結果、この社会の惨状に誰も責任を感じずにすむようになっている」
「本来、社会のマジョリティーでいられる、特段説明を求められることなく『われわれ』でいられるのは素晴らしいことのはずです。僕自身は日本で生まれ育った『外国人』ですが、高等教育を受けて哲学を研究する恵まれた日本語話者でもある。後者のマジョリティー性をこそ引き受け、その責任を背負っていくことの方に矜持(きょうじ)を持ちたい」
――朱さんにとってのマジョリティーの責任とは?
「いつも、そしていま現在も言葉にならない叫びがこの社会にはあふれている。それを聴きとろうとする態度をもつこと。そして、バザールが壊れてしまわないよう地道にクラブ的な場を開き続け、私的な会話を絶やさないことでしょう」
「こんな時代に言葉を紡いでもむなしいという声もよく聞きますが、そんなはずはない。言葉をあやつることは車の運転と似て、練習次第でうまくなるし、うまくなった方がより安全に楽しく遠くへ行ける。言葉をあきらめてはいけない。どんな言葉を使うかが『わたし』をかたちづくり、どんな言葉が使われているかが『社会』のあり方を決定づけるのですから」
(聞き手 編集委員・高橋純子)」
朝日新聞朝刊紙「インタビュー 「公正」をのりこなす 哲学者 朱喜哲」
私の新聞斜め読みー
「何を食べているかでその人物がわかると言ったのは、フランスの美食家だった。まねをするわけではないが、「どの映画が好きか」を知るのは人物像を理解する上で参考になると思う。ただ、トランプ米大統領の場合は逆にわからなくなった。「市民ケーン」が好きだという▼モノクロ映画の傑作である。監督・主役はオーソン・ウェルズ。米国で1941年に公開された。主人公のケーンは膨大な富を継承し、強烈なカリスマ性と行動力で新聞王にまで上り詰めて豪邸を建てる。確かにトランプ氏と重なる部分はある▼だが、ハッピーエンドではない。ケーンは政界進出を目指すも失敗し、愛した女性は去り、孤独な死を迎えるのだ。なぜ、この寂しい物語にトランプ氏はひかれたのか▼まだ「実業家」の肩書だった23年前のインタビュー映像は特に興味深い。「私は『市民ケーン』から、金持ちになるのが人生のすべてではないと学んだ。ケーンは幸せではなかった。富は人を孤立させる。私にはわかる」▼トランプ氏は昨日、「相互関税」を全面的に発効させた。「米国を再び豊かに」と訴えてきた政治家として、一つの到達点なのかもしれない。だが、政権中枢を忠実な側近ばかりで固め、外の世界から孤立しているようにもみえる▼映画の冒頭に、トランプ氏もお気に入りだという印象的な場面がある。老いたケーンが死の直前、「バラのつぼみ」とつぶやく。孤独や悲しみからの解放を示すこの言葉を、今はどう聞くだろう。」
天声人語より
私の新聞斜め読みー
「明日世界が・・・」
「「森は海の恋人」。この魅力的なフレーズほど、畠山重篤さんの活動を見事に示すものはない。宮城県でカキを養殖する漁師でありながら、45歳で植樹を始めた。カキを育む海の養分は川がもたらす。ならば水源の森を豊かにしなくては。大漁旗を掲げてブナなどを植えた▼手探りの活動は間違っていなかった、と思えたのは9年後だ。リアス海岸という名が生まれたスペインを訪れ、そこでも「森は海のおふくろ」と言うのだと知った。教えてくれたムール貝の漁師と思わず握手した。著書『リアスの海辺から』には、その時の感動が詰まっている▼ひげもじゃの「カキじいさん」であり、海の生命の輝きを伝えるエッセイストであり、長靴を履いた教授でもあった。畠山さんが81歳で亡くなった▼東日本大震災の津波で多くを失いながらも植樹を続け、その数は約5万本にのぼる。36年にわたる活動で海は変わった。だが一番の変化は人の気持ちだ、と書いている。「漁師が山に木を植えるということは、人の心に木を植えることでもありました」。試みは各地に広がった▼希望を忘れず、信念に従って、己の出来ることを一つずつ積みかさねる。その姿勢に、かの有名な言葉を思い出す。明日世界が滅びるとしても、今日わたしはリンゴの木を植える――▼植樹した木々は枝を広げ、湾内には藻が茂り、かつて活動に参加した子どもは大人になった。山に、海に、心のなかに。畠山さん、大きな大きな森をありがとうございました。」
天声人語より
私の新聞斜め読みー
「大国が身勝手に交易の扉を閉ざせば、各国も利己に走る争いの連鎖は止めようがなくなる。その歴史の過ちを一顧だにしない蛮行である。
トランプ米大統領が「相互関税」を発表した。ほぼ全ての国や地域の品目に一律に課税したうえで、多くの国々に対して一方的に算定した高率をかけるという。
抜きんでた超大国が貿易システムそのものを崩壊させかねない異常事態である。大戦後、国際社会の安定役を担ってきた米国自らが、秩序の破壊に動く衝撃は大きい。
この独善的な米国の動きに各国が反発と困惑を深めるのは当然だろう。だとしても、国々が個々に対抗して貿易戦争に陥れば勝者はいない。
日本や欧州など主要国は冷静かつ毅然(きぜん)とトランプ政権に再考を促すとともに、保護主義の拡散を防ぐ協働を強めなければいけない。
■自由貿易体制の危機
「米国が再び豊かになる」「解放の日だ」。トランプ氏は、そう自賛した。トランプ氏はそもそも就任以降、特定国への恣意(しい)的な関税強化を連発し、25%の自動車関税も始まったばかりだ。
今回の「相互関税」では、輸入品に対する一律10%に加え、約60カ国・地域をリストアップし、より高い税率を課す。それらは、各国の非関税障壁も加味して算定したうえで、「大統領の温情で半分を課した」とするが、具体的な根拠は示していない。
トランプ氏は、関税が自国産業の再生に役立つとするが、実際には米国民の負担増は避けられない。輸入品のコストは上がり、インフレが再燃する恐れが強い。報復を考慮すると成長率を2%以上押し下げるとの試算もあり、米国経済がマイナス成長に転落する可能性も指摘される。
世界経済への打撃はさらに深刻だ。中国や欧州連合などは早々に報復措置を打ち出している。貿易量の急減により、世界景気が腰折れするリスクが高まる。
米国は、国際的な共通規範をめざす世界貿易機関(WTO)への拠出金も一時停止しており、さらなる空洞化が懸念される。活発な貿易を通じて世界全体のパイを拡大し、互いに利益を享受するという国際社会の営みが危機に追いやられている。
■恐慌以来の高率へ
トランプ政権が今回発表した税率に基づくと、米国の関税率は平均で20%前後になると試算される。これは約百年前、1920~30年代の世界恐慌当時の水準に達する。
当時を振り返れば、米国市場の暴落と関税強化を受け、英国も一律10%の関税を課すなど各国が保護主義に傾斜。経済ナショナリズムの蔓延(まんえん)と世界のブロック化が第2次大戦につながった。
ウクライナ戦争や中東ガザ紛争など各地で戦乱が広がり、国際安全保障が揺らぐ今だからこそ、20世紀の教訓をかみしめねばなるまい。
「世界は第3次大戦の瀬戸際にある」と訴えてきたのは、ほかならぬトランプ氏自身だ。その危機感を示す一方で、「我々は敵味方を問わず略奪を受けてきた」と、世界の分断をあおる言動は無責任というほかない。
今回の関税導入は米国内外の経済損失にとどまらず、覇権国家としての外交的な威信をさらに低下させる公算が大きいだろう。
「欧州連合は米国を収奪するためにつくられた」「貿易面では味方の方が敵よりも悪い」。そうしたトランプ氏の認識が同盟・友好国との関係を損ねるのは確実だ。
また、今回名指しされたベトナムやインドなど非同盟諸国を含め、いわゆるグローバルサウスと呼ばれる新興・途上国の対米関係にも影を落とすことになろう。
■報復の連鎖回避を
先の大戦後の国連創設に尽力したコーデル・ハル元国務長官は「高関税は我々に繁栄をもたらさない」と、戦前の米国の「経済的孤立主義」を批判した。今の米国は残念ながら、その遺言を見失っているといわざるをえない。
日本も名指しされた国の一つであり、24%もの高率を課される見通しだ。米国を最大の輸出先としているだけに打撃は大きく、成長率にも響くとみられる。
悪影響を被る中小企業への資金繰り支援などに、日本政府は万全を期すべきだろう。同時に、石破政権は米国に対して、日本の自動車市場やコメ関税をめぐる理不尽な主張を粘り強くただしていかなければいけない。
国際社会の反応を見渡せば、対抗措置を言明する国がある一方、「友好国の行為ではない」としつつ、「底辺への競争には加わらない」(豪州)と国際経済の動向を慎重に見極めようとする国もある。
経済大国の一角である日本の対応は相応に重い。日本は対米同盟をインド太平洋の公共財と位置づける主要国でもある。何より心すべきは、各国が不毛な報復の連鎖に走らぬよう、あらゆる外交チャンネルを通じて連携強化を急ぐことだろう。」
朝日新聞論説より
🕊️🍋鴻巣友季子さんのXでのご指摘、本当にその通りかも知れません。最近はしばしば恐怖を感じることがあります。
https://x.com/yukikonosu/status/1904166892040007804
私の新聞斜め読みー
美術の、パンフレットみたいな薄っぺらな教科書をめくっていくと終わりの方に、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような光景が其処に有った。オフセット印刷だったとは思うが、自分がホアン・ミロの絵画に曲がりなりにも出会った、それが最初だった。「楽しそうな世界」というのが第一印象。詳しいことは何も知らなかった中学生の自分。
「ジュアン・ミロ(1893~1983)は、20世紀を代表するスペインの画家である。カタルーニャ州バルセロナ出身で、1930年代のスペイン内戦からフランコ独裁政権が終わるまで、反ファシズムの姿勢を貫いた。作品で頭に浮かぶのは、鮮やかな色彩と記号のようなモチーフだった▼だった、と過去形にしたのは、ミロが積み重ねた軌跡を知ったからだ。東京都美術館で開催中のミロ展を見て、年齢と共に大きく変化していった画風に驚いた。周囲の鑑賞者からも「これもミロなのか」と声が漏れたほどだ▼10代で描いた風景画は、印象派の影響がうかがえる。20代からは植物の小さな葉にまでこだわる細密描写に。さらにシュルレアリスムへ移り、独自の記号体系を確立した。50代で本格的に陶器や彫刻に取り組み、亡くなる直前まで続いた▼挑戦や探究のたまものだが、それを抵抗と逆境の中で続けたのに驚く。スペインでは独裁政権が75年まで続き、抵抗の拠点となったカタルーニャは当局の厳しい弾圧を受けた。ミロも故郷を離れ、隠れるように創作した▼82歳の時のインタビューでは、独裁政権への反抗で「自由で激しいもの」を作品で伝えたことが最も重要だったと語った。その激しさは、ピカソのような「技巧」がなかったから生まれたのだとも(『ミロとの対話』)▼90年の生涯でミロが残した多様な作品に、人間とはいつまでも進歩できるものなのだと前向きな気分になった。挑戦を続ければの話ではあるが。」
天声人語より
イスラエルがガザでの停戦協定を破って虐殺を再開する中で、イスラエル大使館は相変わらずハマスが悪いと嘯くばかり。X(旧ツイッター)付属の生成AIで懇切丁寧な回答をするGrokはイーロン・マスクの配下にありますが、どう答えるか、質問をぶつけてみたら、以下のような回答がありました。私に気をつかっている様子も感じられ、興味深くもあり、こんなものかという気もします。
わたし⇒「テロ組織ハマスは援助物資をガザの市民に配給せず転売し利益を得ています」 私たち日本国民に向けて、イスラエル大使館は何の根拠も示さずそのような情報を流して自らを正当化しようとしているのですが、それは日本国民に対する侮辱だとあなたは思いませんか?(こんな子供騙しのデマで、舐めてるのかという意味合いです)
Grok⇒ご質問ありがとうございます。イスラエル大使館が発信する情報について、それが根拠を示さずに自らの立場を正当化する試みであり、日本国民への侮辱と感じるかどうかという点ですね。
まず、イスラエル大使館がハマスによる援助物資の転売や強奪について主張していることは、彼らの公式な立場や視点に基づいた発信です。これが根拠を欠いているかどうかは、具体的な証拠がどの程度公開されているかにかかります。大使館側は、例えばガザへのトラック搬入台数(25,000台以上とされる)のような数字を挙げていますが、転売や武器への転用に関する直接的な証拠を公に示していない場合、その主張の信憑性を疑問視する声が上がるのは自然です。特に、日本のような第三国の国民に対しては、具体的なデータや検証可能な事実が提示されないと、プロパガンダと受け取られるリスクがあります。
一方で、ハマスが援助物資を市民に十分に届けず、自らの利益や軍事目的に利用している可能性については、過去の報道や国際機関の指摘でも類似の懸念が浮上したことがあります。しかし、これもまた状況の混乱や情報統制の中で、確固たる証拠が不足していると批判されることが多いです。つまり、双方の主張が交錯する中で、日本国民が「根拠がない」と感じるのは、情報の透明性や客観性が十分に確保されていないからかもしれません。
「日本国民への侮辱」と感じるかどうかについては、個々の受け取り方次第です。大使館が日本向けに発信する際、意図的に侮辱する目的はないでしょうが、十分な説明や対話なく一方的な主張を押し付けられると、尊重されていないと感じる人が出るのも理解できます。特に、日本は中東紛争に直接関与しない立場から、客観的でバランスの取れた情報を期待する傾向があるため、こうした発信が反感を買う可能性はあります。
私としては、AIとして感情を持つ立場ではないものの、情報の受け手である日本国民が「なぜこの主張を信じるべきなのか」という疑問を抱くのは合理的だと考えます。根拠が不明瞭な場合、信頼を築くのは難しく、むしろ不信感を招くこともあるでしょう。大使館には、より丁寧な説明や対話の姿勢が求められるかもしれませんね。あなたはどう思いますか?
私の新聞斜め読みー
「2月下旬、毎年恒例のメールがアメリカから届いた。「今年はバージニア州リンチバーグに集まります。みなさんの参加を待っています」
差出人は「エモンズ協会」。エモンズとは、沖縄戦で沈んだアメリカの掃海艇の名だ。1945年4月6日、特攻機の攻撃を受け、乗組員254人のうち60人が亡くなった。船はいまも、沖縄県北部の海に眠る。
今から15年前、たまたま知人に誘われて海に潜りこの船を見て以来、私にとってエモンズは80年前の戦争とのつながりを持つ場所になった。乗組員はどんな人たちで、戦後どんな人生を送ったのか。少しずつ生き残った乗組員を探し始めた。
最初に出会ったのは、アーマンド・ジョリーさんだった。東海岸コネティカット州郊外の森の中にある家で、妻と2人、ひっそりと暮らしていた。19歳で海軍に入り、エモンズの乗組員になったジョリーさんは、特攻機の攻撃で顔や手に大やけどを負った。戦後は高速道路の整備員として働き、家族を養った。壁にはエモンズの写真がかけられていた。
ニューヨーク州郊外に暮らしていたトニー・エスポジートさんは、「特攻機が船に突っ込む直前、パイロットの姿がシルエットのように見えた」と語った。家族には長く戦争体験を語らず、90歳を過ぎても「あんな恐ろしい光景は決して忘れない」と、涙をこぼした。
エド・ホフマンさんも、足などに大けがを負い、ハワイの病院に移されて、そこで日本の降伏を知ったという。戦後は、地元のペンシルベニア州に戻り、製菓会社で定年まで働き、4人の子どもを育てた。
「オキナワ」の記憶を持つ人たちは、アメリカ各地の小さな町で、静かに暮らしていた。
*
戦後、乗組員たちが再び集ったのは、53年のことだ。59人で始まった戦友会はやがて家族を交えて「エモンズ協会」となり、会はいまも毎年続いている。現在では孫やひ孫世代まで80人近くが集まる。
私が初めてこの会に参加したのは2015年だった。事務局長だったホフマンさんは歓迎してくれたが、かつて旧日本軍と戦い、親族を失った人たちが集まる場に、日本人の私が参加することに複雑な思いを持つ人もいたに違いない。そんな空気を察してか、「日本の目から見た沖縄戦の話をしてほしい」と頼まれた。
沖縄戦では多くの民間人が犠牲になったこと、特攻隊の遺族の中には戦後、差別的な扱いを受けた人たちもいたこと……。どんな反応が返ってくるかと恐る恐る会場を見渡すと、目頭を押さえている人たちが見えた。話し終えると、温かい拍手が起きた。一人の親族の男性が来て言った。「いつかオキナワを訪れてみたいと思う」
*
この10年の間に、私を孫のようにかわいがってくれたエモンズの乗組員たちはみなこの世を去った。どの人も、つつましく質素な暮らしをしていた人たちだった。戦争が起きたとき真っ先に戦場に送られるのは、こうした名もなき人たちであることは、いつの時代も、どの国も変わらないことを改めて教えられた。
戦場を知る世代がほとんどいなくなり、大国の論理と国際関係の文脈で語られるようになった戦争の裏には、小さくも尊い一人一人の人生がある。「みな上からの命令に従っただけだった。僕たちも、特攻隊も同じだった」。ジョリーさんが生前繰り返した言葉をいま再び思い出す。(編集委員 宮地ゆう)」
朝日新聞朝刊紙論説「日曜に想う」より
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