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ローズマリ・サトクリフをよみながらつぶやく会

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Merlin
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ヘンゲストとホサの兄弟が449年にブリトン人王ヴォーティガンの傭兵として現在のケント州あたりに足をついた。給与の問題で反旗を翻し、ホサは戦死するも、ヘンゲストはケント王国を建設した。 6世紀後半エゼルベルト王(580頃~616)のもとでヘンゲストは台等した。 ローマ人がブリタンニアを放棄してからほんの数十年しか経っていないこの時代には、ケントには他の地域よりも多くのローマ帝国の名残が残っていた可能性が指摘されている。  5世紀になると大陸からブリテン島へ渡る侵入者の数が大規模となり、この中にはアングル人、サクソン人、ジュート人、フリース人がおり、その他にも多くの部族の者がいた。この部族たちは5世紀末にはイングランドの東部、南部を支配下に置くようになっていたが、バドン山の戦いでブリトン人勢力に敗北、以来50年の膠着状態が続いた。しかし550年ごろからブリトン人の勢力に陰りが見え始め、それから25年もの間にイングランド南部のほとんどの地域がこれら侵略者の手に委ねられた。  ケントはバドン山の戦い以前にすでに侵略者の支配を受けていたと思われる。史的資料、考古学的調査からケント王国はユトランド半島南部からのジュート人の手によるものという証拠が挙がっている