★山上のまひるの光あかあかと十方浄土あかるかりけり/古泉千樫
大正四年「茂吉に寄す」。
明治四十四年、後白河院の撰による『梁塵秘抄』が発見された時、歌人の反応はすさまじく大正初期の短歌にその影響が見られます。この千樫の歌で言うと「十方浄土」がそれ。東西南北の八方向に上下を加えた「十方」。それこそあまねく世界のこと。
これは斎藤茂吉がその歌に使ったことで大いに流行った四字熟語でした。
さらに茂吉の処女歌集は『赤光』でしたし、「あかあかと」も茂吉の歌語。
古泉千樫についてはまた詳しくやりたいです。
★み空かぜ夜に入るかぜは吹きつげど都のたよりもたらす聲なし/中村憲吉
大正12年。
中村憲吉はアララギの重要歌人の一人で、この歌を詠んだ時大阪にいた。何の歌かと言うと、関東大震災の貴重な記録だったりする。
何を呑気に歌詠んでるんだ、と思いたくなる気持ちは置いといて、東京からの通信が途絶えた焦燥感は「かぜ」を二回も入れたところに出ています。落ち着いて推敲できなかった、とも。
呑気に歌を、であっても中村憲吉のこの歌は貴重な証言のひとつ。我が国の一大事に立ち会った表現者の、苦悩のあと。
★君かりにかのわだつみに思はれて言ひよられなばいかにしたまふ/若山牧水
『海の聲』。
恋人を海に取られてしまうというファンタジー。「わだつみ」は、そのまま海を意味しますが、歌人が「わだつみ」を持ち出す時は、万葉集以来の長い歴史を思わせますし、波を荒らげる海神がそこに居てもいいと思います。
ただ、現代だと字数合わせの為にわざわざ「わだつみ」を持ち出したな、とも思う人もいるかも。
「わだつみ」に、他の言葉に置き換えられないほどの想いが込められている、と思えたら、ただただ素敵。
★北斎の天をうつ波なだれ落ちたちまち不二(ふじ)は消えてけるかも/北原白秋
「雲母集(きららしゅう)」。
この歌を見て、葛飾北斎の有名な「神奈川沖浪裏」を思い出してくれれば、それでいいです。
この時白秋は三崎にいて、海岸から見る富士山をいくつも歌に残しています。北斎のあの絵の、一瞬あと。こういうお茶目な白秋は、実は逃避の真っ最中だったりします。
★のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり/斎藤茂吉
「赤光」。
教科書にも載っていたこの歌の「のど赤き」について、私の習った先生は燕の首すじと言ってた記憶があります。
でも大人になってからよくよく考えたら、「のど」って言うくらいだから口の中だよなあ、と。
要は、母燕がエサを運んできて、それを欲しがって鳴く燕のヒナが二匹騒がしかったわけで、その騒がしさと母の死に直面した哀号とを重ね合わせた歌なんですよね。
それを知るだけで、胸が掻き毟られる思い。
★やは肌のあつき血潮にふれも見でさびしからずや道を説く君/与謝野晶子
「みだれ髪」。
若き女を目の前にして何もしないのかあなたは! と男性をなじる歴史的な名歌。穂村弘さんはこの歌に「豪速球のような歌だと思う」と、これまた見事な感想を述べていますが(「短歌という爆弾」)、よくもまあ、明治の男社会にこれを発表したもんです。与謝野晶子はこういう奔放で赤裸々な歌で毀誉褒貶が凄まじかったそうですが、古典の女流歌人の流れを汲む重要な歌人のひとり。
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