古来から、日本人は和歌(短歌)を詠んできました。それこそ萬葉集や古今和歌集だけでなく、今も歌会始にたくさんの応募があったり、新聞短歌に若い作者も多く見られます。けして和歌は古臭いものではなく、またお年寄りだけの趣味でもありません。せっかくたくさんある歌を放っておくのはもったいない。そこで、今もこの世に生み落とされ続ける短歌(和歌)を鑑賞するコミュニティを作ってみました。
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和歌と短歌の違いについて。
辞書的な意味で言えば、
大分類としての「和歌」に
小分類としての「短歌」が
含まれます。
つまり
「和歌」の中に
「長歌」や「短歌」、
または「施頭歌」などがあり、
短歌は和歌の中の一分類だと
いうことです。
それはそれで
正解なのですが、
私自身、
あまり好きな答えでは
ありません。
では、
明治以降の「短歌」と、
それ以前の「和歌」の違いとは。
その答えは、
「外来語が含まれるのが『短歌』で、
含まれないのが『和歌』」
ということが言えそうです。
実際に見てみます。
★幼きは幼きどちのものがたり葡萄のかげに月かたぶきぬ/佐佐木信綱
★春のくるあしたの原を見渡せば霞もけふぞ立ちはじめける/源俊頼
信綱は明治の歌人、
俊頼は平安時代後期の歌人。
信綱の歌にある「葡萄」は
今や日本語になっていますが
これは漢語、
つまり外来語です。
対して俊頼の歌には、
外来語は一切ありません。
漢字こそ使われていますが、
たとえば霞(かすみ)も
元々あった「やまとことば」に
対応する漢字を当てただけで、
外来語ではありません。
続けて、
★マンモスが大き臼歯に磨りし草 坪すみれなど混りゐたりしや/葛原妙子
★月影は森のこずゑにかたぶきてうす雪しろし有明の庭/永福門院
葛原は昭和の女流歌人、
永福門院は鎌倉時代の女流歌人。
これはもう
お分かりですね。
葛原の「マンモス」「臼歯」は
和歌には絶対に使われない。
ではどうして、
和歌には外来語が
使われないのか。
そこには、
かつての日本人の、
涙ぐましいまでの
コンプレックスの克服と
言いましょうか、
アイデンティティ確立の
物語があります。
「和歌」を発音すると、
当然「わか」ですが、
それはいわゆる「音読み」で、
訓読み(やまとことば)では
『やまとうた』
と読みます。
でも、
日本の歌には違いないのに、
なぜわざわざ「やまと」を
付けるのでしょうか。
それは、
中国大陸からやって来た
『漢詩(=「からうた」)』
との対比のためです。
菅原道真が
遣唐使を廃止して、
国風文化が発展した、
というのを
学校で習ったかと思いますが、
我が国の文化を
深化させてゆく過程が、
そこから始まりました。
最初の勅撰和歌集、
『古今和歌集』が
成立した(905年)のが、
遣唐使廃止(894年)の
後の出来事だというのは、
偶然ではありません。
何しろ古今集までの間に、
日本では勅撰漢詩集が
すでに三集作られていますし、
平安時代初期には
空前の漢詩ブームが
起こっていたのです。
それへの対抗として
単に「うた」と
呼ばれていた和歌を
「やまとうた」として見直し、
外来語としての
漢語を排除する運動が
当時あったと思われます。
そして、
漢詩にはほぼあり得ない
女流作家の存在、
また、
恋歌の研鑽など、
我が国独自の表現を
和歌に見出だした
かつての歌人たちの努力に、
いくら賛辞を贈っても
私は足りないくらいだと
思います。
和歌と漢詩との違いを
徹底的に洗い出し、
現代短歌に続く長い歴史の
基礎を築いた人々と、
それを受け継いで
発展させた人々。
彼らがいなければ、
『源氏物語』も、
『平家物語』もなく、
日本語の文学は
違ったものに
なっていたことでしょう。
ここまで書いて、
いま改めて、
かつての日本人の偉業を
かみしめているところ。
短歌とプライバシーについて。
近代以後の短歌には、
必ず作者名が付いています。
どういうことかと言うと、
「詠み人知らず」がない、
ということです。
例えば、
★男とはふいに煙草をとりだして火をつけるものこういうときに/俵万智
こういう、
想像力をかきたてられる歌に
作者の私生活を覗くような
雰囲気がありますね。
特に俵万智さんのように
有名な人であればなおさら、
どんなことがあったのか
気になるというものです。
でも、
読者がいちばん知りたい、
具体的なプライバシーを
短歌にしないことで
この歌は成り立っています。
古いところでは、
★かき抱けば本望安堵の笑ひごゑ立てて目つぶるわが妻なれば/北原白秋
白秋は隣家の人妻と密通して
姦通罪で収監され、
新聞に大きく扱われました。
この歌は、
その事件後に発表したもの。
人気作家の
スキャンダルのその後は
どうだったのか、
世間の反応を逆手に取るような
見事な詠みっぷり。
人によっては
そこまで私生活をさらけ出すことに
嫌悪を感じるかもしれません。
でも、
こういう歌は
興味を引くものですし、
逆に言えば
これが出来る人が、
歌人なのだと思います。
はっきりと作者名を出すことが、
いわゆる近代的自我の表れだと
言う人もいます。
自分が何者かを明らかにして、
読者が何を求めているか
作品で応える。
こういう、
絶妙なバランス感覚を持った歌人が
現れなければ、
短歌はとっくの昔に
なくなっていたかもしれません。
ところが、
21世紀になって、
インターネットなどで
プライバシーの問題が
ややこしくなってくると、
俵万智さんや
北原白秋のような歌は
減っているように思います。
例えば、
★雨の日は雨の降らないストリートビューを歩いてきみの家まで/岡野大嗣
★フェイスブックにしずかにならぶ友だちとその奥さんとがなんだが光だ/石井僚一
恣意的に選んでみましたが、
ここまで来ると
作者が何者かは、
歌には影響しないのではないかと
思います。
つまり、
作者名のついた「詠み人知らず」。
現代短歌の転換点が、
訪れているのかもしれません。
短歌の作り方(作られ方)について。
短歌は五七五七七、
と学校でも習ったかと思いますが、
この「五七五七七」というのが
じつに曲者です。
というのは、
俳句(川柳)の五七五も
一緒に習うため、
「五七五」+「七七」
という先入観が
知らず知らずのうちに
インプットされてしまうのです。
短歌を作るための
最初の障壁は、
この五七五+七七を
捨て去る意識と言っても
間違いじゃないです。
初心者が陥りやすい罠として、
最初に五七五を作り、
後から七七を付け足す、
というのをやりがち。
五七五を作った時点で
川柳(俳句)が成立してしまい、
七七をどう付け足そうにも
蛇足にしかならない危険性が
あります。
この危険性を回避して、
「短歌らしい短歌」にするためには
どうしたらよいか。
その答えは、
「七七から作る」、
あるいは
「五七七から作る」
というのが
効果的です。
これだけで、
五七五の呪縛から
解放されます。
では、
七七から作る場合、
何の言葉を当てはめるか。
近代以降の短歌の場合、
黄金律とも定理とも言うべき
セオリーがあります。
それは、
「五七五に情景、七七に心情」
という作り方。
例えば、
★清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき/与謝野晶子
この名歌は
ばっちりセオリーに則って
作られていて、
「情景+心情」の組合せが
これ以上ないほど
決まってます。
この組合せが
きれいに決まった時
(他の言葉に置き換えができない時)
作者のものの見方が
歌の外側に現れるのだと
思います。
この晶子の歌で言えば、
人々がみな美しく見える華やかさは、
恋をしている女性の
ものの見方に他ならないと
私は思います。
さて、
今回はセオリーのひとつを
紹介しましたが、
歌人ひとりひとりは、
こういうセオリーやパターンを
いくつも持っています。
手クセとも言うべき
短歌の作り方を
見つけてみるのも、
短歌の読みであります。
歌のうまさについて。
以前、Yahoo!知恵袋で、
うまい歌と下手な歌の違いが分からない、
みたいな質問を見つけて、
単純な質問ながら
深く自問自答したことがありました。
その質問じたいは、
私も昔疑問に思っていました。
たとえば、
司馬遼太郎『世に棲む日日』で、
吉田松陰の母親が詠んだ狂歌
★あかぎれは恋しき人の形見かな 文みるたびに会ひたくもある
を引用して、
司馬遼太郎は「巧みな歌」と
書くんです。
要は、
「踏みみる」→「文見る」
「会ひたく」→「あ、痛く」
の掛詞(駄洒落)になっていて、
それが「巧み」であると。
笑点の答えが歌のうまさだと。
確かに江戸時代以前の
和歌や狂歌には
そういう「うまさ」がありますが、
じゃあ近代以降の短歌での
「うまさ」とは何か。
この答えは実はとても簡単で、
読んだ人が「うまい」と思えば
それが「うまさ」であると
私は思っています。
先程引いた松陰の母親の歌も、
現代のあなたが見て
うまいと思えないなら、
それだけの歌だと言うこと。
とは言っても、
近代以降の歌人が積み重ねてきた
「うまさの基準」みたいなものも
当然あります。
ありますが、
そこに関わってしまうと
どれだけ短歌を勉強しているか、
みたいな価値観に
引きずりこまれてしまうので、
私は敢えて
そこは詳しく書かないようにします。
心を豊かにするはずの短歌で、
勉強してないからと
閉じこもってしまうのは
なんともつまらない。
読者である一人一人が
秀歌だと思えば、
それが秀歌なんです。
誰かが秀歌と言ったから秀歌、
みたいな考え方は、
自分のものの見方を
狭くするだけで、
楽しめなくなります。
なので、
どうか自由に読んで、
自由に秀歌と出会って欲しいと、
切に思います。
禿童子さん
第三回、聞いてみました!
これはとても貴重な情報をありがとうございます!
何か私の通ってきた道をなぞられたような、不思議な感覚に襲われました。方向はたぶん、間違えてなかったんだな、と(苦笑)。
言葉になってない思いを読者が読み取るという、ある意味「手間」みたいなもの。
昨今の読みやすさ偏重の風潮に一石を投ずる、素敵な講演でした。いい番組だなぁ。
全部聞いてみよう…。
内藤銀ねずさんの短歌と哲学の書き込みを何度も拝見しているうちに、私が別のコミュニティ(文春新書『生きる哲学』を精読する https://bookmeter.com/communities/336816 )で読んでいる若松英輔という批評家の言葉を連想しました。
引用:「ここでの「歌」は単に五七五七七の三十一文字を指すのではない。「歌」の姿をした意味の塊を指している。本書では、言語の姿にとらわれない「言葉」をコトバと片仮名で書くことにする。」これは、古今和歌集の『仮名序』"やまとうたは、人の心を種として、よろずの言の葉とぞなれりける"で始まる有名な一節について述べている言葉です。
同じ若松英輔さんがNHK第2のラジオ番組で話されているのを聞いても銀ねずさんの言葉が共鳴するので、よかったら聞いてみてください。
http://www4.nhk.or.jp/P1929/29/
短歌とは何か。
私はこの設問に
「短歌とは哲学である」
という答えを持って
臨んでいます。
では、
哲学とは何か。
この設問に対する私の答えは、
「一人一人のものの見方である」
です。
哲学は言葉になる前の
人間の考えで、
それを言葉にしたものが
「思想」
です。
思想は、
同じ思想に賛同する人々が
集まったりできますが、
(例えば、「戦争反対」だったり「原発反対」だったり、「アベ政治を許さない」と、たくさんの人たちが集まってデモできるのは、それらの思想が言葉になっていて賛同できるからです)
哲学は言葉になっていない分、
その人だけのもので、
他の人は共有することができません。
短歌が哲学だというのは、
作者のものの見方
そのものだからです。
例えば、
★くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る/正岡子規
この子規の名歌も、
子規のものの見方そのものです。
春雨のそぼ降るなか、
赤い薔薇の芽のトゲを見つけて、
それが「いい」と思ったから
子規は歌に詠んだ。
「いい」は
「好き」でもいいし、
「短歌にふさわしい」でもいいし、
とにかく
その瞬間の、
子規のものの見方そのものです。
私たちが、
写真を撮る時。
何で目の前にあるものを
写真に残そうとするのでしょう?
・きれいな景色だから?
・オリジナルアクセサリーだから?
・もう会えない仲間だから?
・芸能人だったから?
・インスタ映えしそうな料理だから?
短歌を詠むことは、
カメラのシャッターを押すことと
そんなに違いはないと
思います。
目の前にあるものが、
「いい」と思ったから、
歌に詠んだ。
でも、
「いい」と思った対象を
写真に撮ったり
短歌に詠んだりしても、
『「いい」と思う』こと自体は
写真にも短歌にも、
言葉にも、なっていない。
読者が本当に読むところは、
その、
言葉になる前の
作者のものの見方です。
作品として
目の前にある短歌(言葉)ではなくて、
言葉になる前の、
作者の哲学。
そこに気づいてゆくことが、
短歌を読むことなんだと
私は思います。
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