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井戸端覚書

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井月 奎(いづき けい)
新着

【井戸端ひとり言「奈良旅行つらつら回想記」】
この木、金、土曜日と奈良旅行に行ってまいりました。奈良の人々はいい距離感で観光客を放置しています。心地の良い解放感に包まれます。
一日目に興福寺、東大寺というメガテンプルにお邪魔しまして、興福寺の五重塔の姿にさっそく胸を貫かれました。大地を踏みしめるような姿は仏舎利を抱き世の安寧を見渡していてくれるように感じて「釈迦如来様に見守られているならはしゃぎまわらしていただこう」という都合のいいとらえ方をして、参詣散策いたしました。
興福寺では国宝館の仏像二尊についてのおしゃべりを。
旧食堂の本尊、「木造千手観音菩薩立像」はいわゆる仏様の実際の体格と言われるいわゆる丈六(約五メートル)の仏様で、その美しさと優しさに包まれながら拝んでいましたら、手の一つ一つに柔らかなまろみと温かさ、厳しさを感じたのです。
手を動かすことはすなわち頭や心を動かすことです。千手観音菩薩様はそれを千の手、一つのお心でおこなっているのです。私は二本の手で行うことも上手く制御できません。多くの利他的なことを一つの崇高なお心でおこなうことが如来さまなのだなあ、と感じ入った次第です。
そして、その昔には山田寺の本尊であったという「銅造仏頭」を拝んで感じたのが、「仏様はお寺にいてこそ、そのお力を発揮できるのではないかなあ、ということです。この澄んだ表情が可愛らしくも思える仏頭は五年ほど前、東京藝術大学美術館においでになっていまして、その時にお会いしているのです。その時は当然、感嘆して拝見したのですが、今回のほうが、そのまろみ、すずやかな目、力強さが格段に感じられるのです。いるべきところにいる。そのことについて考えさせられました。興福寺という境内にいるだけで東京での様子と多分に違うのですから、東金堂に、今はない山田寺にいらしたらどのように輝くのでしょう。
二日目は私を奈良に誘った物語、『死者の書』を心に刻み、身体で感じたく当麻の地に行き、二上山を登り、當麻寺を参詣したのです。
大津皇子という(物語では滋賀津彦)死者がこの世と自らの存在意義を捨てきれずにいる。その皇子が中将姫(物語では藤原の郎女)に自らの命と存在のあることを知らしめるために訪れるのです。中将姫は少しずつ、蓮の花が開くように照る仏性が自らを、大津皇子を、周りの人々を浄土へと導きます。
あまりにも素晴らしい物語に心を揺さぶられて、その山越しに阿弥陀仏が姿をあらわすという二上山に登ってきたのです。
自らの人としての魅力、能力が裏目に出て、叔母である持統天皇に討たれたという大津皇子のお墓が双耳峰である二上山の雄岳にあり、手を合わせてきました。識者や学者の中には雌岳側のふもとにある鳥谷口古墳が大津皇子のものであるという人もいます。私もそれに賛成なのですが、山頂にお墓があることによって大津皇子の魂は安らいだと思うのです。叔母に誅されて粗末な石棺に葬られた皇子を誰かがきちんと弔わなければ、そう思い春分秋分にはその山の中央に日が落ちるという二上山の頂上にお墓を造営したのでしょう。その心はかの皇子に伝わっているはずで、清々しく思い、心温まりました。あ、登山ブログなどを見ると「ハイキング程度」やら、「超初心者向け」と書いてあるのもありますが、けっこう歩きで、ありましたよ。
當麻寺には日没までいまして、仏心を求めて読経三昧の中将姫の心を、この夕日が毎日包んでいたのか。そう思うと胸に温かさと切なさがせまり、胸がいっぱいになる、そんな夕日と当麻の地です。山の心がすとんと身に入るように思いました。
三日目は法隆寺です。これがまたなんとも。暑いさなか、南大門をくぐると、すうっと心が涼しくなり、実際に広いのですけれども、広大無辺というような感じにとらわれました。西院伽藍に入ると、その感覚はさらに強まり、背筋を伸ばさずにはいられません。これはたぶん祈りや仏、僧の思いや力が回廊や壁が結界となり充満しているからだと思うのです。東大寺や興福寺のように解放されているお寺はその場その場でじわりと力や広がりを感じましたが、法隆寺はそれが境内に満ちているのです。どちらが良い、どちらが悪いということではもちろんありません。寺院や場所の性格だと思います。
この三日間で多くの仏様にお会いしましたが、その中で二尊、若くして亡くなった従兄弟に似ている仏様がいらっしゃいました。
素晴しい旅ができたことを感謝しています。
あ、食べ物もおいしかったです。当麻寺駅まえの「中将堂本舗」、ここの草餅が美味しい、お店でいただけば出してくれるお茶もまたとろりと甘くてたまらんのですよ。