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挑読会~読むのに負担がかかる本を読む会~

プールと読書
トピック

koheinet608
2018/12/14 15:35

かれこれ20年近くプールに行っています。
毎日行く時もあれば、何週間も行かない時もあります。
行く場所も、固定しているわけではありません。

それでも、かくも長い期間、プールに行っているということは、
私にとって大きな意味がある思っています。
その意味が、どうやら、読書と非常に似ていると最近は思っています。

個人的には、功利的な理由で、
何かを、ずっと続けることは、
非常に難しいと思ってます。

プールに行くと、痩せる、筋肉がつく、ダイエット効果がある、
だから、プールを続ける。

本を読むと、知識が増える、視野が広くなる、頭がよくなる、
だから、読書を続ける。

などなどです。

この動機で、水泳や読書を続けられる人は、本当に少ないと思います。
なぜなら、この動機だとすぐに飽きてしまうからです。

水泳や読書に関わらず、多くのことに対して、
効用が得られないと、人は、飽きてしまいます。
それでも、何かを求めるのが人間ですが、求めれば、求めるほど、
多くの時間と労力を消費してしまいます。

○○すれば、○○になるというのは、非常にまっとうなロジックだと思われます。ノウハウという形で、世に出てくるものの多くが、この形をとっています。しかし、人が何かを継続するという視点では、こういった考えは、かなりの問題を抱えています。

話しをプールに戻し、何で長い期間、続けられたかというと、
プールの役割や機能を自分なりに考えてきたからだと思います。

若い時、プールに求める役割や機能は、
よりよりカラダ作りや、スピードと距離の最大化でした。
より速く、より長い距離を泳げれば満足でした。
その分、カラダへの変化もありました。

しかし、スピ―ドや距離を追い求めることには、かならず限界が来ます。
私の場合は、20代後半近くには、はっきりと、カラダでわかりました。
「ああ、自分は、もう2度と、以前より速く泳げることはないな」と自覚しました。正直悩みました。あがきました。

練習量や技術を向上すれば、以前と同じレベルで泳げるんじゃないかと。でも、一生懸命やればやるほど、うまくいかない。そして、「もう、どうでもいいや」と思い、適当に泳ぎ始めました。

それからしばらくして、ふと、自分がプールで楽しんでいることを自覚しました。「泳ぐって、意外と楽しいんだな、以前は、訓練という形で、計画を立てて、激しい練習をしていたけど、こういうのもありだな」と思うようになりました。

それは、自分の中で、プールの役割や機能が、変わった瞬間です。
正確に言うと、プールに以前とは違った意味を、自分自身が自覚した瞬間です。

プールは訓練の場

プールは楽しむ場

への変化です。

そう思ったら、別にプールを人間観察の場としてもいいですし、
社交の場と思ってもいいですし、自分のカラダの情況を理解する場でもいいですし、もう一度戻って、ダイエットの場でもいい。

つまりは、プール自体の役割や機能は、
何でも自分で変えることができると、はっきりとわかりました。

この経験は、衝撃的でした。
なぜなら、人は何かをするって、結局は、自分と何かとのバランスをとるためであって、その何かはなんでもいいんだなと、はっきりわかったからです。

少なくとも、どんなことでも、自分がよりよく生きるために、カスタマイズすることができると思ったからです。この考え方は、水泳だけではなく、読書も、仕事も、料理も、歩くことも、誰かとご飯を食べることにも、全部の「すること」に応用できるからです。

それは、読書の役割や機能を固定する必要はないということです。
「挑読」という読書スタイルは、あくまで、読書の役割や機能の一形態です。
自分にとって、読みにくいもの、心理的距離があるものを、
読むことが「挑読」です。

仮に挑読した所で、頭が良くなるわけでもないですし、
知識が増えるわけでもありません。挑読は、自分のバランスをとるためにあります。もっと追及すれば、その行為自体が、自分にとって、価値あるものだと自覚することでしょう。そう、全ての行為は、自分にとって、価値があることです。それを、自覚する人が、読書を通して、また、あらゆる行為を通して、自分のバランスをとり、よりよい人生を送っていけると思います。

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