2021.12.5(日)
【江戸の史跡とニューオータニのショートケーキで キャッキャッ する会🍰】
https://bookmeter.com/communities/336913/topics/17323
のお散歩の参考に
あれこれ調べてみたよ♪
四ツ谷駅〜赤坂見附駅辺りと
関連して 彦根藩の世田谷御領地
彦根藩、紀伊和歌山(紀州)藩の豆知識
面白いね (๑`・ᴗ・´๑)
論説も面白かったよ❣️
『語る怪談と読む怪談 ---小泉八雲の 「洛」 の場合』
https://bookmeter.com/reviews/102776461
『Lafcadio Hearn(ラフカディオ・ハーン)のKwaidan (怪談)と神経内科疾患』
https://bookmeter.com/reviews/102776600
おまけ
【紀伊国坂が出てくる怪談など】
舞台を見た後だと 益々楽しいし
どれも10ページくらいで すぐに読めちゃうから読んでみてみて ✩⡱
『貉』3作
小泉八雲→
https://bookmeter.com/reviews/102776323
田中貢太郎→
https://bookmeter.com/reviews/102776700
芥川龍之介→
https://bookmeter.com/reviews/102776738
よなさん 昨日はありがとうございました👣
石垣の資料とお話も面白かったです
最後に立ち寄った赤坂見附の石垣
改めて写真を見たら 家紋が見えるような見えないような…?
今度 明るい時間に確かめに行きたいです (๑`・ᴗ・´๑)
上智大学1号館と
赤坂プリンスクラシックハウス
行ってみたいです🏫
保留になってる
よなさん企画の『江戸を建てる』と『漱石』散歩も 待ち遠しいですね (๑`・ᴗ・´๑)
社会科見学シリーズ
たぶんまた企画するので
みんなでわやわや言いながら
あれこれ見に行きましょう👣
たくさん、ご紹介ありがとうございます。聖イグナチオ教会、上智大学、赤坂プリンスクラシックハウスは行きました。上智大学は門から中には入れませんでした。
【おまけ】
新宿区の文化財関連施設(歴史博物館とか)では
なにやら度々やらかしてるみたいね。
資料の紛失とか転売とか
しかも幾度も繰り返してるって
ほんと どーなってんの (๑°ㅁ°๑)
https://sawadaayumi.blog.jp/archives/1072796952.html
「明治5年、この地域は紀伊徳川家・尾張徳川家・井伊家の頭文字を合わせて、「紀尾井町」という町名になりました」
ほぼ同じコースをお散歩してる人が居たよ (๑`・ᴗ・´๑)
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12595770280.html
③-14
赤坂御門の石垣と刻印
https://gamp.ameblo.jp/miwo-1231/entry-12215664155.html
几号水準点
https://sakamichi.tokyo/?page_id=2
弁慶橋の東、外堀沿の石垣の西端に几号高低標
赤坂御門跡の標柱のすぐ側
「不」の横長辺は7.5㎝、縦棒は10㎝、地上高70㎝
城門は侵入者を見張る目的なので「見附」
http://uenishi.on.coocan.jp/30lib-kigou/q321chiyoda.html
③-13
江戸城外堀 赤坂見附(赤坂御門)跡(石垣と几号高低標)
江戸城を守る主要な城門「江戸城三十六見附」のひとつで、外濠に位置する枡形門。
1636(寛永13)年、福岡藩の初代藩主黒田忠之らによって建造。
相模大山に参詣する際の大山道(青山通り〜玉川通り)の出発点として賑わっていた。
弁慶濠は、江戸城外濠で往時の姿を残す唯一の場所
https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk0391/
https://wako226.exblog.jp/15479849/
③-12
(帰り道↓)
さっき出てきた
紀伊和歌山藩(紀州)徳川家上屋敷跡
麹町邸(石組遺構 など)
紀伊和歌山藩徳川家上屋敷→北白川宮邸→李王家邸→ 赤坂プリンス クラシックハウス
https://visit-chiyoda.tokyo/app/spot/detail/655
http://www.wsk.or.jp/report/nakayama/02.html
続→)
江戸城外堀の中では最も高い地形に立地するため、寛永11(1634)年に築造が始まった江戸城外濠工事、外郭門(四谷見附、赤坂見附など)建築に先駆け、江戸城防御の要として構築されたと推測できる。
外濠が構築されてからは、真田濠と弁慶濠の間に位置している。
真田濠は埋め立てられて上智大学の野球場などグラウンド(上智大学真田堀運動場)になっているが、弁慶濠は今も水を湛えて現存。
③-11
江戸城 喰違見附跡(喰違橋門跡)
お堀、赤坂御所、青山を見渡せる絶景スポット。
夜景もまた幻想的。
https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk0390/
慶長17(1612)年、甲州流軍学の創始者・小幡景憲によって縄張りされたと伝わる江戸城外郭門のひとつ。
他の江戸城の城門は枡形門と呼ばれる 石垣をコの字型に巡らした強固なものですが、
喰違見附は土塁を前後に延ばして道をジクザクにして直進を阻むという、戦国期以来の古い形態の虎口(こぐち=城の出入口)の構造。
③-10
お堀の向こう
迎賓館を含む赤坂御用地は
紀伊和歌山藩(紀州)徳川家中屋敷「赤坂邸」跡
https://www.google.co.jp/amp/s/www.sankei.com/article/20150418-GPWWJK34PVMONNOUJLOSAKFJQ4/%3foutputType=amp
紀州徳川家は江戸に20以上の屋敷を構え、公的な施設は上屋敷「竹橋邸」→「麹町邸」、
私的な中屋敷が「赤坂邸」→
文政6年 麹町邸消失後は実質上の上屋敷
紀尾井町の「紀」は「麹町邸」
帰路に観よう
続→)
https://bookmeter.com/reviews/102776323
「一方の側には昔からの深い極わめて広い濠があって、それに添って高い緑の堤が高く立ち、その上が庭地になっている、道の他の側には皇居の長い宏大な塀が長くつづいている」
「上が庭地」がニューオータニ
「皇居の長い宏大な塀」は赤坂御用地かな
https://bookmeter.com/books/6178826
「左は紀州邸の築地塀、右は濠。そして、濠の向うは彦根藩邸の森々たる木立で」
堀の向こうの彦根藩邸がニューオータニ
③-9
尾張名古屋藩徳川家屋敷跡(石碑)
https://g.co/kgs/A3JTrV
上智大学の敷地の縁に石碑
御三家筆頭 尾張名古屋藩徳川家の中屋敷跡。上智大学一帯まで尾張名古屋藩徳川家の屋敷だった。
この辺りは
小泉八雲や田中貢太郎の怪談『貉』にも登場します。
永田町・赤坂見附駅辺り〜
迎賓館の横を四谷まで登るのが「紀国坂(きいのくにさか)」
https://andsmile.tv/cs/00016-clm16.html
③-8
上智大学1号館 赤レンガ校舎
https://g.co/kgs/m8u8W3
震災復興建築
今回はさらっと外観を
他にも
「クルトゥルハイム聖堂」とか観てみたいけど
https://g.co/kgs/mqW5yk
感染対策で たぶん学内には入れないので
Googleストリートビューで「virtual校内見学」してみちゃう?
歴史的建造物も公開してるよ✩⡱
https://www.sophia.ac.jp/jpn/aboutsophia/sophia_spirit/websophia.html
③-7
感染対策で教会の建物内は見学出来ないかもなので
レポート記事を↓
https://woman.chintai/article/odekake/1251_ignatius/
近隣の歴史(国際色豊かな街へ)
https://smtrc.jp/town-archives/city/kojimachi/p05.html
③-6
聖イグナチオ教会
https://g.co/kgs/QjwBkT
カトリックの男子修道会のひとつイエズス会の日本本部がある教会。
主聖堂「聖イグナチオ」の他、マリア聖堂とザビエル聖堂も。所属信徒数は日本最大規模。
図書館や多人数が集まれるホールも多数。
日本史でも有名な司祭で宣教師でもあったフランシスコ・ザビエルも、イグナチオ・デ・ロヨラ達と共にイエズス会を創立したメンバーのひとり。
新教会の設計はイエズス会員のイグナチオ・グロッペル。
Wikipediaも面白かったよ🔔
③-5
四谷見附橋
大正2年竣工。金属の欄干と石の欄干、モダンな街灯。迎賓館の意匠とリンク
http://www.kanko-shinjuku.jp/spot/-/article_397.html
新宿からくる甲州街道は、防御のためコの字型に造られており、明治時代になるとこれが交通の障害に。
そこで東京市は、明治44年、外堀に架橋して街道を直進させる工事に着工し大正2年に完成。
これが『四谷見附橋』で
迎賓館および付近の風景との調和を図るよう、フランス風クラシック調のデザインに設計。
平成3年に架け替え
③-4
江戸城外堀四谷見附跡(石垣)
江戸城三十六見附のひとつ。防御のため外堀と同時に築かれた枡形門。
https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk0389
江戸城半蔵門から甲府に向かう重要な甲州口を守るため、寛永16年 (1639年)、外堀の内側に四谷御門が造られ、見附番所が置かれて甲州街道の要衝に。
門は明治5年に撤去され、現在はわずかにその石垣の一部を残している。
真田信之が築いた外濠(真田濠)は埋め立てられ、上智大学真田堀運動場に。
近隣の歴史
「宮家の邸宅地とその後」
https://smtrc.jp/town-archives/city/kojimachi/p07.html
(現在「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」がある場所一帯のお話で)
久邇宮良子女王(ながこじょおう)は、1924(大正13)年に昭和天皇と結婚、のちに香淳皇后となるが、結婚が内定した1918(大正7)年、この地にあった「久邇宮邸」内に皇太子妃教育を行う学問所「お花御殿」も建設されている。
「お花御殿」ヽ(゜▽゜)ノ
写真はないのね。ざんねん。。
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