選手入場時の使用曲は以下の通り。
https://www.nikkansports.com/m/olympic/tokyo2020/news/202107230000867_m.html?mode=all
◆ドラゴンクエスト「序章:ロトのテーマ」
◆ファイナルファンタジー「勝利のファンファーレ」
◆テイルズオブシリーズ「スレイのテーマ~導師~」
◆モンスターハンター「英雄の証」
◆キングダムハーツ「Olympus Coliseum」
◆クロノ・トリガー「カエルのテーマ」
◆エースコンバット「First Flight」
◆テイルズオブシリーズ「王都-威風堂々」
◆モンスターハンター「旅立ちの風」
◆クロノ・トリガー「ロボのテーマ」
◆ソニック・ザ・ヘッジホッグ「Star Light Zone」
◆ウイニングイレブン(Pro Evolution Soccer)「eFootball walk-on theme」
◆ファイナルファンタジー「MAIN THEME」
◆ファンタシースターユニバース「Guardians」
◆キングダムハーツ「Hero's Fanfare」
◆グラディウス(Nemesis)「01 ACT 1-1」
◆NieR「イニシエノウタ」
◆サガシリーズ「魔界吟遊詩-サガシリーズメドレー2016」
◆ソウルキャリバー「The Brave New Stage of History」
中国河南省鄭州市など記録的な豪雨で冠水、大規模被害の現地の様子「鄭州地下鉄車両が水没、中国ダム決壊で車も流され各地で洪水が発生」
https://twitter.com/JustinP56075199/status/1417540212679319555
障害者いじめ自慢した小山田圭吾が謝罪。長年批判されてきたことをスルーし続けた結果の東京五輪大炎上
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinoharashuji/20210718-00248581
問題となっているのは、1994年に発行された『ロッキング・オン・ジャパン(1994年1月号)』と、翌年の『クイック・ジャパン(95年vol.3)』に掲載されたインタビュー記事です。
記事では小学生から高校生にかけての学生時代に「障害者をいじめていた」と告白。後述しますが、批判しているブログや報道によると、いじめの内容を簡潔に書くと
段ボール箱に入れてガムテームでぐるぐる巻きにした
ジャージを脱がして裸にした
(山形マット死事件の例を出しながら)マットレス巻きにした
うんこを食べさせた
バックドロップをかけた
洗濯紐で縛って自慰行為をさせた
などなどです。
書幅:「人生似幻花 人生似幻化」 - かごしまデジタルミュージアム 資料詳細
http://www.digital-museum.jp/index.php?app=shiryo&mode=detail&list_id=1918185&data_id=3043996
解説: 中国の詩人、陶淵明の「人生似幻化終当帰空無」(「人生ハ幻化ニ似タリ 終ニ当ニ空無ニ帰スベシ」)という詩句を念頭においた言葉。
春日靜坐(しゆんじつ せいざ) 夏目漱石 明治三十一年三月
青春二三月
愁隋芳草長
閑花落空庭
素琴横虚堂
蠨蛸挂不動
篆烟繞竹梁
獨坐無隻語
方寸認微光
人間徒多事
此境孰可忘
曾得一日靜
正知百年忙
遐懐寄何處
緬邈白雲鄕
青春(せいしゆん)二三月(にさんぐわつ)
愁ひは芳草(はうさう)に随(したが)ひて長し
閑花(かんくわ) 空庭(くうてい)に落ち
素琴(そきん) 虚堂(きよだう)に横たふ
蠨蛸(せうせう) 挂(か)かりて動かず
篆烟(てんえん) 竹梁(ちくりやう)を繞(めぐ)る
独坐(どくざ) 隻語(せきご)無く
方寸(はうすん) 微光を認む
人間(にんげん) 徒(いたづ)らに多事(たじ)
此(こ)の境(きやう) 孰(たれ)か忘るべけん
会(たまたま)一日の静(せい)を得て
正(まさ)に百年の忙(ばう)を知る
遐懐(かくわい) 何処(いづこ)にか寄せん
緬邈(めんばく)たり白雲の郷(きやう)
青春:春。「青」は春を象徴する色。
閑花:しずかに咲く花 空庭:人影のない庭
素琴:飾りの施されていない琴
虚堂:人の気配のない室内
蠨蛸:あしたか蜘蛛
挂:「掛」と同字。ここでは蜘蛛が巣に留まっているさま
篆烟:篆書の線のように屈曲して立ちのぼる煙。「烟」は「煙」と同字。
竹梁:竹製の梁(はり)
隻語:わずかな言葉
方寸:心
遐懐:「遐」は「遠」と同義
緬邈:遙かさをいう語
ひたちと歩く言葉の森散歩
http://www.shodo.co.jp/blog/hitati/2013/03/post-252.html
相馬の金さんは本名を戸村福松と云つて、徳川幕府の添番といふ役をつとめ、一年百俵の禄を受けてゐる御家人であるが、その素行すこぶる修まらない。かれは一種の直侍であつた。結局それがために、今日で云へば論旨冤官といふ格で、隠居させられることになつた。それは慶応三年の夏頃のことで、あくる四年の春には幕府顛覆、江戸中は引つくり返るやうな騒ぎになると、金さんは家を飛び出して、上野の彰義隊に這入つた。彰義隊が負けて、一同ちり/"\になつた際に、金さんは函館にゐる榎本武揚の手に合するといふので、同志の者二十余人と和船に乗り込んで出ると、その船は銚子沖で沈没して一行は溺死したとも云ひ、または上陸して上総あたりで戦死したとも云ふ。いづれにしても、彼は主家の徳川幕府と運命を倶にして亡びたのであつた。前にも云ふ通り、かれの本名は戸村福松といふのであるが、世間からは専ら相馬の金さんと呼ばれてゐた。金さんはその幼名で、彼の家は相馬將門の後裔であると称してゐるので、相馬の金さんがその通称となつたのである。
三田村鳶魚氏が「事業の日本」に書かれたこの話を読んで、わたしが面白く感じたのは、かの金さんの意氣と行動である。金さんの平生から考へると、幕府がほろびて官軍が江戸へ乗り込んで來るといふ時節に、彼は逸早く逃亡してしまふか、或ひはそのドサクサ紛れに軍用金をあつめるなどと称して、斬取り強盗でも働きさうなものであるが、彼はそんな卑怯なことをしなかつた。相馬の金さんは敢然として彰義隊に身を投じたのである。千人や二千人が上野の山に楯籠つたところで、絡局の勝目の無いのは金さんも流石に承知してゐる筈である。たとひ最初は勝つ積りで加盟したとしても、唯一戦に敗れた以上、彼もその運命の非なるを覚つたに相違ない。而も脱走して再挙を図らうと企てたのである。其人を以て其事を廃せずとか云ふのは、金さんの場合にも當て嵌ると思ふ。相馬の金さん、たとひ實際は放蕩無頼の人物であつたとしても、この行爲は悲壮である。わたしは金さんを可愛いと思つた。
それが「相馬の金さん」を芝居に書いてみようと思ひ立つた動機である。金さんが単に一種の直侍に終つてしまつたのならば、私はかれを劇化しようとは企てなかつたであらう。わたしは金さんの江戸つ子振りが嬉しかつたので、三田村氏の承諾を得た上でそれを三幕に脚色して、中央公論に掲載したのであつた。
勿論それを劇化するに就いては、實録以外に私は色々の事實を構造した。第一幕の質店で、金さんが蛇を種に強請場を演じるのは本文そのまゝであるが、第二幕以下は殆どわたしの空想である。金さんが上野で死ぬやうにしたのは、劇として纏まりを付ける都合上、まことに已むを得なかつたのである。併し、金さんなる人物はいはゆる忠義のために死んだのではない。江戸つ子の一人として自家の意氣と面目との爲に死んだのであると云ふことは、出來るだけ詳しく説明して置いた。金さんは其當時の口癖になつてゐる「徳川家三百年來の御恩」などの爲に死んだのではない。彼は自分のために死んだのである。
實録に金さんの艶聞は傳はつてゐない。併し我が金さんに惚れるほどの女が一人くらゐ無くては、江戸に女がないやうで残念だと思つたので、常磐津文字若といふ女をこしらへた。ほかにもわたしが勝手に作り設けた人物が多い。わたしにこの材料をあたへられた三田村氏はいかなる意見を有してゐられるか知らないが、わたしは金さんを愛するが爲にこの芝居を書いたのであることを断わつて置く。(昭和二・一一)
底本:岡本綺堂 綺堂劇談
青蛙房 昭和31年2月10日発行
入力+校正 和井府清十郎
おことわり
原文の旧字のようになっていない箇所があります。
綺堂ディジタル・コレクション
http://kidojibutsu.web.fc2.com/contents/somakin.html
小品「往生繪卷」も「孤獨地獄」と同じやうな意味で私には面白かつた。……五位の入道は、狩りの歸りに、或講師の説法を聽聞して、如何なる破戒の罪人でも、阿彌陀佛に知遇し奉れば、淨土に往かれると知つて、全身の血が一度に燃え立つたかと思ふほどに、急に阿彌陀佛が戀しくなつて、直ちに刀を引き拔いて、講師の胸さきへつきつけながら、阿彌陀佛の在所を責め問うた。そして、西へ行けと教へられたので、彼れは「阿彌陀佛よや。おおい。おおい」と物狂はしく連呼しながら、西へくと馳せてゐたが、やがて、彼れは波打際へ出て、渡るにも舟がなかつた。「阿彌陀佛の住まれる國は、あの波の向うにあるかも知れぬ。もし身共が鵜の鳥ならば、すぐそこへ渡るのぢやが、しかし、あの講師も、阿彌陀佛には、廣大無邊の慈悲があると云ふた。して見れば、身共が大聲に、御佛の名前を呼び續けたら、答へ位はなされぬ事もあるまい。さすれば呼び死に、死ぬまでぢや。幸ひ此處に松の枯木が、二股に枝を伸ばしてゐる。まづこの松に登るとしようか」と、彼れは單純に決心した。そして松の上で、息のある限り、生命の續く限り「阿彌陀佛よや。おおい、おおい」と叫んで止まなかつた。……彼れはその梢の上でつひに橫死したのであつたが、その屍骸の口には、まつ白な蓮華が開いてゐて、あたりに異香が漂うてゐたさうである。
この小品の材料は、この作者が好んで題材を取つて來た今昔物語とか宇治拾遺とか云ふやうな古い傳説集に收められてゐるのであらう。その傳説が作者の主觀でどれだけ色づけられてゐるのか分らないが、私はこの小品を「國粹」といふ雜誌で讀んだ時に、非常に興味を感じた。ことに「孤獨地獄」と對照すると、藝術としての巧拙は問題外として、私には作者の心境が面白かつた。孤獨地獄に苦しめられてゐるある人間が、全身の血を湧き立たせて阿彌陀佛を追掛けてゐると思ふと、そこに私の最も親しみを覺える人間が現出するのであつた。しかし、これ等を取扱つてゐる芥川氏の態度や筆致が、まだ微温的で徹底を缺き、机上の空影に類した感じがあつたので、私は龍之介禮讃の熱意を感じるほどには至らなかつた。
私は、この小品の現はれた當時、その讀後感をある雜誌に寄稿した雜文の中に書き込んだ……五位の入道の屍骸の口に白蓮が咲いてゐたといふのは、小説の結末を面白くするための思附きであつて、本當の人生では阿彌陀佛を追掛けた信仰の人五位の入道の屍骸は、惡臭紛々として鴉の餌食になつてゐたのではあるまいか。古傳説の記者はかく信じてかく書きしるしてゐるのかも知らないが、現代の藝術家芥川氏が衷心からかく信じてかく書いたであらうかと私は疑つてゐた。藝術の上だけの面白づくの遊びではあるまいかと私は思つてゐた。
かういふ私の批評を讀んだ芥川氏は、私に宛てて、自己の感想を述べた手紙を寄越した。私が氏の書信に接したのは、これが最初であり最後でもあつたが、私はその手跡の巧みなのと、内容に價値があるらしいのに惹かれて、この一通は、常例に反して保存することにした。今手許にはないので、直接に引用することは出來ないが、氏は白蓮華を期待し得られるらしく云つてゐた。「求めよ、さらば與へられん」と云つた西方の人の聖語を五位の入道が講師の言葉を信じて疑はなかつたと同樣に、氏は信じて疑はなかつたのであらうか。
私はさうは思はない。氏は、あの頃「孤獨地獄」の苦をさほど痛切に感じてゐた人でなかつたと同樣に、專心阿彌陀佛を追掛けてゐる人でもなかつたらしい。芥川氏は生れながらに聽明な學者肌の人であつたに違ひない。禪超や五位の入道の心境に對して理解もあり、同情をも寄せてゐたのに關はらず、彼等ほどに一向きに徹する力は缺いてゐた。
心朽窩旧館 心朽窩主人藪野唯至
http://yab.o.oo7.jp/textsyousetu.htm
■正宗白鳥
芥川龍之介 http://yab.o.oo7.jp/masamuneaku.html
[やぶちゃん注:ここに示された芥川龍之介の正宗白鳥宛書簡は、大正一三(一九二四)年二月十二日田端発信の岩波版旧全集書簡番号一一六二である。以下に全文を引用する。
冠省文藝春秋の御批評を拜見しました御厚意難有く存じました十年前夏目先生に褒められた時以來最も嬉しく感じましたそれから泉のほとりの中にある往生繪卷の御批評も拜見しましたあの話は今昔物語に出てゐる所によると五位の入道が枯木の梢から阿彌陀佛よやおういおういと呼ぶと海の中からも是に在りと云ふ聲の聞えるのですわたしはヒステリツクの尼か何かならば兎に角逞ましい五位の入道は到底現身に佛を拜することはなかつたらうと思ひますから(ヒステリイにさへかからなければ何びとも佛を見ないうちに枯木梢上の往生をすると思ひますから)この一段だけは省きましたしかし口裏の白蓮華は今でも後代の人の目には見えはしないかと思つてゐます 最後に國粹などに出た小品まで讀んで頂いたことを難有く存じます往生繪卷抔は雜誌に載つた時以來一度も云々されたことはありません 頓首
二月十二日 芥川龍之介
正宗白鳥樣 侍史
白鳥も記している通り、旧全集では正宗白鳥宛書簡は、この一通ぎりである。]
心朽窩旧館 心朽窩主人藪野唯至
http://yab.o.oo7.jp/textsyousetu.htm
■正宗白鳥
芥川龍之介 http://yab.o.oo7.jp/masamuneaku.html
「しねばいいのに」の使い方
http://www.dobuusagi.com/sinebaiinoni/
2.自分を元気付けるためのものです。
人間の価値観は人それぞれですが、なかには理解できないような理不尽な事態に遭遇する場合があります。
それは、 人間であったり、物体であったり、誰かの行動の成れの果てだったり、宇宙の法則であったりさまざまです。
そしてそれはストレスという形に変えて、自分の中に溜め込まないといけない場合があります。
そんなときに、この歌を心の中で思い出してください。きっと笑顔になれるはず。
決して取引先や上司、学校の先生の前などでうっかり歌ってしまわないように気をつけましょう。
しねばいいのにMP3
http://www.dobuusagi.com/sinebaiinoni/dBu_sinebaiinoni_KAITO.mp3
~~ Book Published by T. Hasegawa ~~
Karma, A Story of Early Buddhism
by Paul Carus, Third Edition
http://www.baxleystamps.com/litho/hasegawa/karma.shtml
「蜘蛛の糸」
慈悲深き僧がいと懇に摩訶童多の創口を洗ひ清めたるとき、彼はしきりに懺悔して曰く「吾は多くの惡事を働き一善をも行はず、われ如何にして我執の一妄念より織出したる瀰天の罪網を遁れ出づべきか、己が業報は我を地獄に導くべし、解脱の御法は遂に聞くべからず」と
僧「善因善果、惡因惡果は天の道なれば、御身が今生にてなせる罪業はめぐりめぐりて來生に報ひきたるべし、されど失望すべからず、眞の教に歸して、我執の妄念を刈除したるものは、一切の情念罪慾を離れて、自他利生、圓滿ならずと云ふことなし
「茲に一つの例を示すべし、むかし犍陀多と云へる大賊ありしが、懺悔せずして死したるにより地獄に墮落して惡鬼羅刹のために苦しめられ、大苦大惱の淵に沈められたり、七劫波の長き月日を經たれども此苦境を出ること能はず、時に佛陀あり閻浮提に現はれて大覺の位に昇り給ひぬ、正にこれ空前絶後の時節、大千世界を照破したる光明は奈落の底までも徹したりなん、一縷の光、犍陀多の群にも輝きわたりたれば、彼等の喜び言はんかたなく生命と希望ともをて活動するに至りぬ、このとき犍陀多さけびけるは『大慈大悲の御佛よ願くは憐をたれさせ給へ、己が苦惱は大なり、われ誠に罪を犯したれども正道を蹈まんとの心なきにあらず、されど如何にせん遂に苦界を出づる能はず、世尊願はくば吾を憐み救ひ給へ』と、蓋し惡因惡果は業報の定理にして惡をなすものは遂に亡びるに至らざるを得ず、されど徹頭徹尾、罪惡の化身となれるものはあらず、何となれば此の如きは本來有り得べからざることなればなり、而して善行は之れに反して生に赴くの道なり、われらの一言一行も必ず其終りあれども、善行の進歩には極あることなし、一小善と雖も其裡には新しき善の種子あるが故に、生々として長じて已まず、三界に輪廻する間と雖もわが心を養ふこと限なく、遂に一たびは萬惡を除きて涅槃の城に至らしむるものなり、かくて佛は地獄の中に惱める犍陀多の熱望を聞き給ひ宜ふやう『犍陀多よ汝は嘗て仁愛の行をなしたることなきか、之れあらば今また汝に酬い來り汝をして再び起たしむるに至らむ、されど汝は罪業の應報によりて嚴しく苦しめられ、これによりて始めて一切の我執を脱し、貪瞋痴の三毒を洗ふにあらざれば、永劫解脱の期あるべからず』
「犍陀多は黙然たりき、彼は残酷なる人なりしが故に、生來嘗て一小善事をも爲さずと思惟したればなり、されど如來は知り給はざる所なし、この大賊の一生の行爲を見給ふに、彼嘗て森の中を行けるとき地上に一つの蜘蛛の蠢々たるを見たりしも彼は『小虫何の害をもなさず之を踏み殺すも無殘なり』と思惟したることありき
「佛は犍陀多の苦惱を見て慈悲の心に動かされ給ひ、一縷の蜘蛛の糸を垂れ蜘蛛をして云はしめ給ふよう『この糸を便りて昇り來れと』蜘蛛去れるとき犍陀多は力を盡して糸に縋りて上りたるに、不思議や糸は甚だ強くして次第に其身の上方に動くを認めぬ、然るに俄爾として糸の震ひ動くを覺えたれば、彼は驚きて下の方を眺めたるに彼が仲間の罪人等がかの跡を慕ひて同じく昇り来らんとするなりけり、犍陀多は之を見て驚怖言はん方なく思へらく、糸は細くして弱し半にして断絶せんも圖られずと、そは多數の人の之に縋りたるによりて延びんとするの傾ありたればなり、されどその蜘蛛の糸は尚強くして彼を扶くるに充分なるが如く見えたるこそ不思議なれ、彼は今まで上の方のみ望み居たりしに、此事ありし以來只下にのみ心を取られて、信仰やや亂れ来り如何にして此く細き糸もて無數の人々を扶け上げ得べきかと、一念疑の心動きたれば恐怖の思ひ禁ずる能はず『去れ去れ此糸はわがものなり』と覺えず絶叫したりしかば、糸は立刻に断絶して其身はまた舊の奈落の底にぞ落ちたりける
「我執の妄念は尚ほ犍陀多の胸中に蟠まり居たりしなり、彼は上の方に登りて正道の本地に到らんとする決定信心の一念に如何なる不可思議の力あるかを解せざりしなり、唯是信心の一念繊きこと蜘蛛の糸の如くなれども、無邊の衆生は悉く之に牽かれてこそは解脱の道に到るなれ、其衆生の數多ければ多きほど尚ほ正道に歸すること一層容易なるわけなり、されど一たび我執の念に惹かれて『是は吾がものなり、正道の福徳をして唯われのみの所有ならしめよ』と思ふことあらんには、一縷の絲は忽ちに断滅して汝は舊の我執の窟宅に陷らん、そは我執の念は亡びにして眞理は生命なればなり、そも何をか稱て地獄といふ、地獄とは我執の一名にして、涅槃は正道の生涯に外ならず
僧説法を了りたるとき瀕死の賊魁、摩訶童多は悄然として曰く「われをして蜘蛛の糸を採らしめよ、われ自ら務めて地獄の深坑より遁れ出でん
(ポール・ケラス『因果の小車』長谷川商店、1898年、15-19頁)
コロナ「死亡率」5・37%、全国で最も高いのは岩手県
https://medical-tribune.co.jp/news/2020/1221534158/
岩手県と盛岡市は20日、新型コロナウイルスの感染者2人が死亡し、新たに5人の感染が確認されたと発表した。累計で県内の死者は18人、感染者は335人となった。感染者に対する死者の発生率は5・37%となり、読売新聞のまとめでは20日午後8時現在、都道府県別で最も高い。
PCR検査を受ける人数が、日々の効率化と検査キットの増加により増えているので、1日の感染者数より検査による陽性率を出したほうがより正確かもしれません。そもそもの分母数が増えているので。
日本は10月21日時点で3%弱。対してフランスは10%強という話なので、もちろん欧州のコロナ禍第二波到来は間違いないかとは思われますが。
イタリアは14日、1日の新規感染が7332件と、大規模検査が始まって以降で最多を記録。
ポーランドは14日、1日当たりの死者が116人と過去最多を更新。
ロシアは13日、1日の新規感染者が1万4000人近くに上り、過去最多となったと発表。
ベルギー政府は、現在の感染状況が続けば11月半ばには、国内の集中治療室全2000床が満杯になると警告。
オランダは14日夜から4週間にわたる部分的なロックダウン。バーやレストランなどが閉鎖。
チェコは一部地域で13日から3週間のロックダウン、飲食店や学校が閉鎖。
アイルランドは15日夜から、他世帯の訪問が禁止。
ポルトガル政府は15日から、6人以上の集会を禁止。
スペインのカタルーニャ自治州は、15日から15日間、バーやレストランの営業がテイクアウトのみに制限。
https://www.bbc.com/japanese/54521432
https://www.bbc.com/japanese/54549707
そういえば、9月に例年より遅めのツールドフランスが無事終わりました。
開催期間中、200名近い参加選手の陽性反応は奇跡的な0。チームスタッフは数名が陽性反応になっただけで、コロナ禍における観客有りの大規模なスポーツイベントとして、ひとつのロールモデルになるだろうとフランスのマクロン大統領も宣言しました。
IOC(国際オリンピック委員会)は東京オリンピック開催にあたり、ツールドフランスという成功例を見本にすることを明言されたとのことです。
「コロナと共に生きる」
GDPのかなり高い比率を観光業でカバーしているフランスがそれを今体現している以上、僕らもその方向にシフトする必要があるのかもしれません。
Microsoft、煮ても焼いても喪失しない石英ガラスデータ記録技術 https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1216865.html
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