小品「往生繪卷」も「孤獨地獄」と同じやうな意味で私には面白かつた。……五位の入道は、狩りの歸りに、或講師の説法を聽聞して、如何なる破戒の罪人でも、阿彌陀佛に知遇し奉れば、淨土に往かれると知つて、全身の血が一度に燃え立つたかと思ふほどに、急に阿彌陀佛が戀しくなつて、直ちに刀を引き拔いて、講師の胸さきへつきつけながら、阿彌陀佛の在所を責め問うた。そして、西へ行けと教へられたので、彼れは「阿彌陀佛よや。おおい。おおい」と物狂はしく連呼しながら、西へくと馳せてゐたが、やがて、彼れは波打際へ出て、渡るにも舟がなかつた。「阿彌陀佛の住まれる國は、あの波の向うにあるかも知れぬ。もし身共が鵜の鳥ならば、すぐそこへ渡るのぢやが、しかし、あの講師も、阿彌陀佛には、廣大無邊の慈悲があると云ふた。して見れば、身共が大聲に、御佛の名前を呼び續けたら、答へ位はなされぬ事もあるまい。さすれば呼び死に、死ぬまでぢや。幸ひ此處に松の枯木が、二股に枝を伸ばしてゐる。まづこの松に登るとしようか」と、彼れは單純に決心した。そして松の上で、息のある限り、生命の續く限り「阿彌陀佛よや。おおい、おおい」と叫んで止まなかつた。……彼れはその梢の上でつひに橫死したのであつたが、その屍骸の口には、まつ白な蓮華が開いてゐて、あたりに異香が漂うてゐたさうである。
この小品の材料は、この作者が好んで題材を取つて來た今昔物語とか宇治拾遺とか云ふやうな古い傳説集に收められてゐるのであらう。その傳説が作者の主觀でどれだけ色づけられてゐるのか分らないが、私はこの小品を「國粹」といふ雜誌で讀んだ時に、非常に興味を感じた。ことに「孤獨地獄」と對照すると、藝術としての巧拙は問題外として、私には作者の心境が面白かつた。孤獨地獄に苦しめられてゐるある人間が、全身の血を湧き立たせて阿彌陀佛を追掛けてゐると思ふと、そこに私の最も親しみを覺える人間が現出するのであつた。しかし、これ等を取扱つてゐる芥川氏の態度や筆致が、まだ微温的で徹底を缺き、机上の空影に類した感じがあつたので、私は龍之介禮讃の熱意を感じるほどには至らなかつた。
私は、この小品の現はれた當時、その讀後感をある雜誌に寄稿した雜文の中に書き込んだ……五位の入道の屍骸の口に白蓮が咲いてゐたといふのは、小説の結末を面白くするための思附きであつて、本當の人生では阿彌陀佛を追掛けた信仰の人五位の入道の屍骸は、惡臭紛々として鴉の餌食になつてゐたのではあるまいか。古傳説の記者はかく信じてかく書きしるしてゐるのかも知らないが、現代の藝術家芥川氏が衷心からかく信じてかく書いたであらうかと私は疑つてゐた。藝術の上だけの面白づくの遊びではあるまいかと私は思つてゐた。
かういふ私の批評を讀んだ芥川氏は、私に宛てて、自己の感想を述べた手紙を寄越した。私が氏の書信に接したのは、これが最初であり最後でもあつたが、私はその手跡の巧みなのと、内容に價値があるらしいのに惹かれて、この一通は、常例に反して保存することにした。今手許にはないので、直接に引用することは出來ないが、氏は白蓮華を期待し得られるらしく云つてゐた。「求めよ、さらば與へられん」と云つた西方の人の聖語を五位の入道が講師の言葉を信じて疑はなかつたと同樣に、氏は信じて疑はなかつたのであらうか。
私はさうは思はない。氏は、あの頃「孤獨地獄」の苦をさほど痛切に感じてゐた人でなかつたと同樣に、專心阿彌陀佛を追掛けてゐる人でもなかつたらしい。芥川氏は生れながらに聽明な學者肌の人であつたに違ひない。禪超や五位の入道の心境に對して理解もあり、同情をも寄せてゐたのに關はらず、彼等ほどに一向きに徹する力は缺いてゐた。
心朽窩旧館 心朽窩主人藪野唯至
http://yab.o.oo7.jp/textsyousetu.htm
■正宗白鳥
芥川龍之介 http://yab.o.oo7.jp/masamuneaku.html
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