in medio tutissimus ibis.
『中間を行くのが、もっとも安全だ』
これはオイディウスの『変身物語』の一節。太陽の戦車を操りたいという息子パエトンの求めに応じざるを得なくなった太陽神が、はじめはそれは危険だからやめるようにといい、ついで向こう見ずな若者の意志が固いとみるやあれこれと戦車の差配について語るくだりである。
さらにその前後を抜き出してみる。
……この道を進むのだ! いくつもの車輪の跡が、はっきりと見えるはずだ。それから、天と地が等しい暑さを分かつようにしなければいけない。それには、進路を下げ過ぎたり、天頂を通ったりはしないことだ。高くのぼりすぎれば、天上の宮殿を焼くことになるだろう。低すぎれば、大地を焼く。中間をいくのが、もっとも安全だ。右にそれすぎて、とぐろを巻いた『蛇』にぶつかってもいけないし、左に寄り過ぎて、『祭壇』に行き当たってもまずい。……
(オイディウス『変身物語 上』中村善也訳 岩波文庫 57p)
中庸を説く警句として引用されるが、もとはと言えば文字通りの意味に他ならないのがわかる。危険な空中の旅をする息子へ安全な道をしつこいくらい言い聞かせる太陽神は、ここではどこにでもいる一人の親に他ならない。
あるいは、案の定迷走して天も地も焼いてしまうパエトンの未来を暗示した、神話的な底意地の悪い予言とも見ることができるか。
それにしても、巨大な火を引いていく戦車の道々には焼いてはいけないものが多すぎる。太陽神をして、そのつとめを「刑罰である」といわしめるのである。
さらに「戦車の乗り手」が、「宮殿」や「大地」に近づきすぎて、それらに火を点けない様にという、軍事力の制御に関する寓意であると読むことができるかもしれない。
このように人口に膾炙した警句が、その実いくつもの顔を見せてくれるのは、なかなかに興味深いことである。
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