"なぜ三人からN人へと一挙に飛躍できるのか(…)いくつもの問いがそこから紡ぎ出されてくる。まず、N人の平等な「市民」から成る社会を設定したからこそ、レヴィナスはある社会と別の社会との界面やそれを通しての交通をまったく問題にせず、また、平等の理念のもとに存 在する種々の格差をどう処理するかという、まさに正義論の課題にも触れることがなかったのではなかろうか。→
第二に、「第三者」の現存は経験的事態ではないのだから、むしろ「対面」という二人の関係を切り取ったことが「最初の暴力」なのではなかろうか。この問いは、選択の余地なき「隣人」の選択に恣意性が混入しているのではないかという(…)問いともつながっている。"(p.188)
ラクラウの理論では代表性は紋切り型のエリート主義に還元された批判とは違って、既存の接合関係を組み替え、新しい同一化の形式を準備する開かれたヘゲモニー闘争の場として重視される。代表者と被代表者が一致するような、閉じられた代表関係が到来することはないからである。
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