を持たぬ言葉は虚ろな形のみの姿で形而上を浮遊するためである。人はそのように浮遊する言葉を見つけ出すとその形に適合する実を注ぎ込もうとする、それは己の認識を言葉の形に改編する行為に他ならない。こうした経験は誰しもあることだろう。つまり既に人の意識は言葉による改変を受けているのである。言葉は増殖しようとする、その媒体に人を利用しているのだ。言葉に意識はないかも知れない(無論あるかも知れない)、ただ本能はある。この場合の本能とは性質のことである。増殖し、変質する(編集中)
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