
二人の対話は、父子の和解でも対決でもない。政治と仏法、能動と受動、王と修行者といった対立項は提示されるが、どれも安易に統合さるわけでも相対化されるわけでもない。ただ、互いの生が「そこに在った」ことだけが、静かに照らされる。上巻を読み終えて残るのは、答えではない。「選択とは何か」、「生を引き受けるとはどういうことか」という問いが、読者自身の足元に置かれる感覚だ。榮と彰之の生は、まだ交わり切っていない。その未完の交錯に期待を寄せながら、いざ下巻へ。
晴子の不在が結構効いてくる。晴子情歌も新リア王も、何度も読んできたが、この感覚はいままで無かったな。晴子情歌で蓄積された慈愛とユーモアの重力が、榮と彰之の二人をどう歪ませ、どう支えるかも見逃せない。
しかし母の最後の手紙で示されたのは、飛翔でも突破でもない。米内沢の庭に立ち、草木や空気や、息子の残した声や匂いを感じ切ること。その瞬間に訪れる歓喜だった。それは救済でも答えでもない。ただ、世界はこの程度で十分だったという静かな肯定だった。この小説を読むと、少し人にやさしくなれる気がする。人を好きになれる気がする。それでいいのだと、晴子は言っているように思える。
その不確かさは本書の多くの登場人物に共通している。彼らは、思想や時代に翻弄されながらも、心の揺らぎ、人間の弱さと美しさを鮮やかに放っている。康夫も、富子も、そして晴子もそうだ。そんな晴子だからこそ、募る思いを抑えきれず、迷い続ける息子を外側から支えたいという願いを、百通もの手紙に託したのだろう。彰之の揺れる心に寄り添い、ユーモアいっぱいで励ます、あたたかい手紙である。
小さくやってます
好きな作家は高村薫、塩野七生、湊かなえ、梨木香歩、嶽本野ばら、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 、西加奈子、綿矢りさ、伊藤計劃、ドストエフスキー、ミラン・クンデラ、辻村深月、太宰治、志賀直哉(順不同)🙋🙋🙋
嫌いな作家は本棚参照
趣味は読書(小説)と音楽(ライブ)とおしゃれと酒とヨガ
好きな音楽はyonige、さよならポエジー、OLEDICKFOGGY、bacho、LOSTAGE、The Slumbers、CONSTRUCTION NINE(順不同)など
好きな食べ物はセロリ。嫌いな食べ物は無し。
mbti はINFJ-T提唱者
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しかし母の最後の手紙で示されたのは、飛翔でも突破でもない。米内沢の庭に立ち、草木や空気や、息子の残した声や匂いを感じ切ること。その瞬間に訪れる歓喜だった。それは救済でも答えでもない。ただ、世界はこの程度で十分だったという静かな肯定だった。この小説を読むと、少し人にやさしくなれる気がする。人を好きになれる気がする。それでいいのだと、晴子は言っているように思える。