【参考】Wikipedia「ジョン・ジェームズ・オーデュボン(特に[オーデュボンの博物画(画像集)] 真ん中の列のいちばん下の絵)」,Wikipedia「リョコウバト(日本版)/Passenger pigeon(English/自動翻訳)」
2024年9月の読書メーター 読んだ本の数:23冊 読んだページ数:7652ページ ナイス数:2210ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/1255169/summary/monthly/2024/9
②(承前)☆ 自由に生きることの結末がそういうことになった時,周囲の人々はどう思うのかは(たまたま今読んでいる)町田そのこがよく取り上げる題材だが,実際のところ(実務ベースの話として)いろんな意味で厄介なことなのである。これに輪をかけるのが認知症の問題で,確かに和田秀樹が著書に書くように(認知症に)なった本人はある意味世の中の柵(しがらみ)から解き放たれるのだろうが,世の中の人間が全部「今だけ金だけ自分だけ」ではないので,同著の前半部が実に深刻な問題となっていく。著者も強調するように第5章は自分事なのだ。
②(承前)☆ 江戸時代の文化は来年のNHK大河ドラマで蔦屋重三郎が取り上げられるが江戸中期から後期の人物であり,同著が示すように江戸前期(元禄文化)は上方に勢いがあった。思えば昔の歴史の授業は政治や統治制度(内政・外交)の話があって,芸術・文化は後の方に付け足しのようにまとめられていた。上方と江戸という二つの重心を持つ江戸文化を理解するのに人や作品の固有名詞だけは足りなかったのだ(同著に則せば歌舞伎は「かぶき狂言」→「かぶき芝居」であり,浄瑠璃から義太夫節が分化した経緯も分かる(③へ続く)。
③(承前)☆ Wikipediaで近松門左衛門の項目を見ると作者がメインに使った史実が見えてくる。以前から書いているように歴史小説は史実を骨組みとし,作家の想像(創造)力でそれを膨らませるものである。だから主人公の名は最初から最後まで(杉森)信盛で通す(例えば近松の謂れとなる「金松寺」のエピソードはWikipediaにもある)。綱吉から吉宗までの将軍家を筆頭に井原西鶴や坂田藤十郎といった当代の文化人との係わりも創作の中にうまく織り込まれ,江戸時代のどの辺りでの話なのかが読んでいると掴めてくるのも良かった。
②(承前)☆ 著者の思いの丈(たけ)は第13章に語られており,それはそれで意義深いが,学ぶべきは①相手の出方(特徴,強味弱味)を知ること,②誰を味方に付けるか(どのように相手の理解を得,協力してもらえるか(そのために自分に何ができるか,どのように"汗をかく"か,③(想定)敵に対してどのように対抗(相手の論理を無効化)するか,④相手の論理に対抗する際,自分の論理を第三者に理解されるための工夫(言葉の用い方と使い方)などたくさんある。しかし全ての前提は「外交官は自分の国を背負っている」というプライドだろう。
【補遺】☆ 著者が(やや強硬な)右派論客(例えばカウンターパートになる中国人の表記を中国語と日本語とで使い分けている。当然"後者"に対する著者の評価は低い)であることを前提としても,同著に書かれたことは「国の進路」を考える上で非常に重要な提言であることは間違いない。なお,ぼくの文章の中に出てくるPRCとは"People's Republic of China(中華人民共和国)"のことで,この表記を用いるのは喋り過ぎるコメントの「字数を節約する」ためである。長文駄文失礼。
②(承前)☆ 同著の改版のやりかたは著者の性格を反映して非常に合理的である。また新版まえがきの冒頭で本人が自身を持って宣言しているように,基本的な内容に普遍性があるためデータ更新(途中に適切な注が入る)以外の骨組みは変わっていない。要は初版が出た時に同著に書かれていることを理解した人は再読の必要はほぼ無く(基本を確認するなら別),新しい読者は古い読者が旧版を読むときにしたように同著を注意深く読めば良いのだと思う。ここに書かれたことはBasicであり,Back to the basicには意味があるので。
【余談】☆ このケルベロスを英語読みすると"サーベラス"となり,サーベラス・キャピタル・マネジメント(Cerberus Capital Management, L.P.)というJTCと渾名される一部の日本企業にとっては厄介な存在となるプライベート・エクイティ・ファンドを指すことにもなる。
②(承前)☆ その高校時代のエピソードが落合に映画についての書物を著させるほどに結実しているのが興味深いが,その頃からこの人物が「ある不動点からの観察」によって野球の内実を自然と掴んでいったと思わせるのは著者の力量だ。そしてこの人物の基本には「単独者(Single man)として生きていくためには何が必要であるか?」という問い,つまりプロ野球という環境の下,各選手がどんなレベル(技術+心構え)を持ってそこにいるべきかという問いの解を常に持っていたことを各エピソードから解き明かしていくのである(③へ続く)。
③(承前)☆ 結局はこうした合理主義は冷徹な衣を纏っているが,たとえアマチュアに嫌われたとしてもプロフェッショナルである以上,それが基本であるということを曖昧にしてはならないのだ。それを雄弁に語るのは「契約」に対する淡々とした割り切り(と延長に対する正当な対価の要求)にまつわるエピソードであろう。これが「がめつい」などという情緒的な批判に晒されている限り,真のプロフェッショナリズムは根付くことは難しいとぼくは思っている。また単行本未収録部分はその試合中継を見ていた者には本編の補足以上に意味あるものだった。
②(承前)☆ 同著の解説でシュールという言葉を久々に見た。ぼくが若かった頃にこの言葉が持っていたひんやりとした肌触りを久々に思い出した。物語の本筋が「謎解き」であるからミステリ小説には違いないのだが,コロコロと転がっていくストーリィ展開はこの作家の基調に「人生は多かれ少なかれ(ドタバタ)劇である」といううっすらとした諦念のようなものを感じさせる。同時に「人と人との繋がり」を描いていく普遍的かつ現代的作家であるということも。
【参考】Wikipedia「ジョン・ジェームズ・オーデュボン(特に[オーデュボンの博物画(画像集)] 真ん中の列のいちばん下の絵)」,Wikipedia「リョコウバト(日本版)/Passenger pigeon(English/自動翻訳)」
②(承前)☆ 同著から感じる日独の差はシュレーダー政権と小泉政権の差であったかもしれない。同時に新自由主義的政策に対して企業統治機構や特に労働組合の果たす役割に決定的な差があったことが両国の差に繋がったような感じがした。【補遺】最初に書いたように著者は1990年から30年以上ドイツに住んでいるのだが,後半の三章に同じようなことを何度も書いており,いささか興醒めしてしまった。編集者はそこを見落とすべきではなかったと思う。
②(承前)☆ 佐藤がここで話していることで確認しておきたいことは保守と革新の定義である。右翼左翼がフランス革命後の国民議会における議員の配置(議長から向かって右か左か)で決まった(加えて言えばロベスピエールらジャコバン・クラブに集った急進派は議席の上部に集まっていたので「山岳派」と呼ばれた)。保守の定義は佐藤が指摘する通りであるが,単純に「昔は良かった」とする"反動"とは異なることに留意すべきだ(もちろん両者の間の親和性の高さまでは否定しない)。
②(承前)☆ 税制の抜本改革が困難を極める理由も少なくともこの役所で実務を経験したであろう著者にも周知のことである筈だ。それは確かに政治(立法/行政)の問題である。だが論を立てるのであれば合理的対案も同時に求められるのではないか。その意味で若年層の資産形成を金持ちの益税の話にすり替えた第8章の論旨は唖然とさせられたし,逆に第9章は確かにそうだが自分事になってやしないかと皮肉に感じるところもあった。問題の立て方は理解できるので,もう少し大局的な議論を期待したいと感じた。
②(承前)☆ スタンスの大きく異なるふたりが,互いの立ち位置を認めた上で率直な意見交換を行う。"論破合戦"になりがちなディベートとは本質的に異なる議論の場(論座)であり,ここ数年の政治情勢(環境)を背景にシリーズ的にこうした考察が行われることは,ややもすれば声の大きさと上っ面の勇ましさだけがちやほやされる未成熟な論壇環境にあっては非常に貴重な場であると思う。
②(承前)☆ 地政学について書かれた本を何冊か読んだが,そういった本を読んだ後で「基本の基本」を識る上で同著は極めて役に立つと思う。また勢力均衡説が必ずしも「保守派の古臭い論説」ではない現状であることや中国(PRC)の海洋進出の背景としての陸上(領土)の安定化など見落としてはいけない指摘も多い(戦狼外交に関する判断も同様)。コンパクトなので国際政治学/外交史/国際関係論などを学ぶ(学びたい)人は,ぜひ目を通してほしい。
②(承前)☆ どのパートもなかなか興味深いのだが,対話を通じて感じることは「多面的に見ること」の重要性だろうか。(今日に限らず何時でも)世界は「行き詰まって」いる。どうしてかと言えば「正解のない問題(事象・事件)」に満ち溢れているから。この「正解の無さへの恐れ」は本来的な(≒寿命の制約を受ける)人間の弱点なのだろう。安易な「正解?」を口にするTalking Heads(≒コメンテーター/YouTuber/その他)が持て囃されるのも,そのせいだろう(③へ続く)。
③(承前)☆ 同著は"謎のタイトル"を付けているが,このタイトルが言いたいことは「正解なき世界」の見方といってよいように感じられた。本の"帯"は昨今のそれにありがちな煽りっぽく見えるが,同著の本質に触れていると感じる。
②(承前)☆ もちろん横道世之介は二酸化マンガン(無機触媒のひとつ)とは異なり,ニンゲンという名の有機物であるから二酸化マンガンのように「何の変化もない」ということはない(355頁)。前作同様1年という時間の中で,その周囲を含む「彼の世界」は大きく変わっていく。そしてこれも前作に引き続いてだが「その1年(1993年度)」と「(彼のいない)現在」とがときおり対比され,語り手である作者も物語の中に顔を出す。この「どうということのない世界」が魅力的なのだ。『フォレスト・ガンプ』(映画のほう)をチョッと思わせる。
おはようございます。二酸化マンガン=触媒=助け。二酸化マンガンが増えたところで、発生量は変わらない。ただ、多いほど早くなります。なにかその二酸化マンガンが誇らしげに見えてしまいました。
②(承前)☆ ジュエリーと一口にいうが,その実態は名前のとおりの宝石(宝物)といわゆる宝飾品に分かれるようだ。著者はハイジュエリーブランドの価値は宝石自身の価値だけでなくブランド自身の価値が含まれ「価格」と「価値]が分かれていると言う。さらにウォーレン・バフェットの発言「価格はあなたが払うものであり、価値はあなたが得るものである」を非常に効果的に引用する(117頁)。このようにジュエリーに対する幻想を払い蒙を啓く一冊だ。そして人工石に対する厳しい意見も非常に納得性が高い。とても良い勉強ができたと思う。
②(承前)☆ 先日ある読者さんと「話題作は古典たりうるか」ということで楽しい意見交換をした。話題作はその作品が登場した時代を反映する部分を持ち(たとえ"歴史"小説やライトノベルでも),多くの読者に受け入れられる(≒共感される)作品である。この「多くの読者を持つこと」は古典としての十分条件であるとぼくは思う(少数の専門的読者を持てばアカデミズムの対象となる)。一方で話題作の多くは(ポピュラーソング同様)「時の篩(ふるい)」にかけられる。そこで「読み継がれた」作品だけが古典としての必要条件を満たすのである。
【補遺】☆ Wikipediaによると大津城が廃城となった後,その石垣を用いて膳所成(廃城)が造られたという。ちなみに上巻で出てきた近江塩津にある同名駅はJR西日本湖西線に属し滋賀県内最北端のJR駅である。ここまで書けば別の作家の現代小説の名前が浮かび上がる読者さんもいるかもしれない
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②(承前)☆ 同著の解説でシュールという言葉を久々に見た。ぼくが若かった頃にこの言葉が持っていたひんやりとした肌触りを久々に思い出した。物語の本筋が「謎解き」であるからミステリ小説には違いないのだが,コロコロと転がっていくストーリィ展開はこの作家の基調に「人生は多かれ少なかれ(ドタバタ)劇である」といううっすらとした諦念のようなものを感じさせる。同時に「人と人との繋がり」を描いていく普遍的かつ現代的作家であるということも。