
2025年10月の読書メーター 読んだ本の数:11冊 読んだページ数:3173ページ ナイス数:380ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/1255169/summary/monthly/2025/10
「一色」姓は京都府内でも宮津市に偏って多く見られ(といってもめちゃくちゃあるわけではないようですが)この名を聞くと、もしかして…と思ってしまいそうです。ちなみに青山学院大駅伝部でかつて一世を風靡した一色恭志選手は京都府の与謝野町のご出身ですよね。
②(承前)☆ 伝記小説としてのこの作品のポイントは統一されたトーンであろうか。タイトルの翠雨(草木の青葉に降る雨)とカバー画で分かるように,雨季でもスコールでもない「梅雨のある国」に生まれた主人公がその「雨」に導かれるように科学への興味を持ち,科学的な事実への飽くなき探求心と先達への尊敬(崩れるものもあったが)を胸に,様々な人々との邂逅や助けを借りつつ,かの女の「道」を掴み取っていく物語だと感じた。変な譬えだがこれは『太閤記』と同じで,主要なエピソードの後(エピローグ)は素っ気無い。でも,これでいいのだ。
②(承前)☆ つまり同著は「相手と喧嘩をする前に何を備えなければいけないか」ということを丁寧に説明しているのである。特にカウンター・インテリジェンスに関しては実際の例(対処方法含む)を挙げてその重要性と早急な対応が必要(どうしても民主制におけるコンセンサス獲得という過程が要るので)ということを強調しており,首肯するものだ。また著者は集団としての日本人の弱点を指摘する一方で,認知戦を仕掛ける主体の特徴と「なぜ現在こうした動きを活発化させているのか(≒相手方の弱味)」を指摘しており非常に参考になる。
【補遺】☆ プロパガンダという「戦争」は「誰をターゲットとしているか」という視点で考えなければならない。例えば某国が「日本は軍国主義に回帰している」と喧伝する時,ターゲットは二つで反射的効果も一つある。ターゲット①日本(人)。これに感情的に反発すれば反射的効果として第三国の日本への印象を悪化させる。ターゲット②その主張を行う某国の国民。これには二つの意図がある。ひとつは国としての意志を示すことでそれにそぐわないあらゆる行動を抑制すること。もうひとつはその国の反日感情を高めることにより国内を引き締めること。
②(承前)☆ 個別の情勢分析については両者のスタンスもありコメントしない。ただ上に書いた"問題"に即して言えば,日本国が防衛すべきものは他国の地域ではなく自国内の安全である。自国の領域やそこに暮らす「普通の人々(=非戦闘員)」の生命・安全を守るのは国家として当然の義務であり,そのことに対して「言いがかり」をつけることは明らかな「内政干渉」だから,某国お得意の表現でいえば「強烈な不満を示すと共に断固として反対する」ことが独立国として当然の権利であることは言うまでもないだろう。理由は同著内で述べられたとおり。
②(承前)☆ 著者はまるで「トウモロコシ畑の中に野球場を作るかのような情熱」で語り続けるのだが,自ら編み出した「術語」とその「定義」が頭の中で反響し続ける。例えば「私的」と「私的さ」はおそらく"private"と"individuality"に相当するのだろうが,「具体的」と「超具体的」となると著者の丁寧な説明を読んでも腑に落ちない(非常に感覚的な"差"であり,理解が難しいのだ)。そして著者が望むような形で"手帳類"が「図書館」に並ぶ時,著者の求めた「私性」は逆に公知されてしまうのではないかと感じるのだ。
②(承前)☆ 同著全体から受ける印象として非常に知的好奇心の強い著者だと思う。それは単なる野次馬根性ではなく,現地で現物を見て現実的に考えるという三現主義が徹底しているからだと感じた(その結果ギャグまんが的体験までしている)。多くの人が知らない分野のことを説明,解説しようとするとき,それを話す本人がそのことに興味を持っているかどうかで結果が大きく違ってくる。ぼくは同著はとても面白く興味深く感じたが,なにより著者自身がいろんなことに興味を持ち,調べたうえで書いているからだろうと思う。知的案内人かくあるべし。
【メモ】同著53頁。安部龍太郎が「ブラックマンデー」と書いている。マーケットの推移的には正しいのだが相場史的にはやはり最初の暴落が起きた木曜日「暗黒の木曜日」でないと1987年10月19日の「ブラックマンデー」と区別がつかなくなるから良くないと思う。
②(承前)☆ 同著の前半を読んで気付くのはバーンアウトの反動が凄惨な犯罪に繋がりうることで,本邦でもそうした事案は枚挙に暇がない。その特徴はやはり自分自身を心身的に消耗(というより"自己搾取"かもしれない)し尽すことにあると思う。これが後半のバーンアウトに向かわないために必要なこと(もの,心持ち,環境設定)に繋がっていくのだろうと思う。バーンアウトは著者も言うように個人に帰すべきもの(いわゆる"自己責任論")ではなく,そのような社会の在り方(文化的なもの)自体を見ていく必要がある。(掲載場所ミスの訂正)
②(承前)☆ 知的財産権という権利の範疇は同著の冒頭「本書を読む前に(特に13頁の体系図と16頁のマトリクス表)に明らかなように広い上に権原が異なる。ここがこの権利の煩雑さの根幹なのだが,その上で展開される権利とそれを巡る争いの態様は非常に興味深い。この煩瑣な中身を初学者にも分かるよう嚙み砕いて(時に軽く脱線しながら)語っていく著者の力量はさすがだなと思わせる(ついつい乗せられて著者の前著『楽しく学べる「知財」入門』を購入することに^^;)。非常に面白くかつためになる本だった。
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②(承前)☆ 伝記小説としてのこの作品のポイントは統一されたトーンであろうか。タイトルの翠雨(草木の青葉に降る雨)とカバー画で分かるように,雨季でもスコールでもない「梅雨のある国」に生まれた主人公がその「雨」に導かれるように科学への興味を持ち,科学的な事実への飽くなき探求心と先達への尊敬(崩れるものもあったが)を胸に,様々な人々との邂逅や助けを借りつつ,かの女の「道」を掴み取っていく物語だと感じた。変な譬えだがこれは『太閤記』と同じで,主要なエピソードの後(エピローグ)は素っ気無い。でも,これでいいのだ。