
しょっちゅう振り返ったり布団をめくったりカーテンを開けたり気が休まらんのではないか。何かの下(裏、後ろ)に必ず何かある、それも名指すことができないようなあれが、とか、思いながら生きるのは本当に辛そうである。
自分が「道徳」をどこまで引き受けるかを決めるのは、自分と社会との間の(語弊があるけど)恣意的な決め事なのじゃないかと思うのです。だから、「わたし」がどういう社会に生きているかによって、「わたし」が道徳的であるか否か、道徳的責任をどの程度負うか、が変わってしまうということで、これは応報主義を廃絶するかしないかによって、よくなったり悪くなったりするものじゃないのではないかと思うのです。うーん、うまく言えないな。→
ウォーラーならまさにそういうことを個人の賞罰で眼を曇らせないなら詳しく分析できるようになる、というのだろうけど、そうじゃないのよね。応報主義が実際に「望むに値する賞罰」を与えるかもしれないし、常識的には与えていると思うので、ウォーラーはその辺でかなりナイーブだと思うのです。しかし、読むに値する500ページ上下段びっしりであると思う。現場からは以上です。
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しょっちゅう振り返ったり布団をめくったりカーテンを開けたり気が休まらんのではないか。何かの下(裏、後ろ)に必ず何かある、それも名指すことができないようなあれが、とか、思いながら生きるのは本当に辛そうである。