現代社会は、これまでと比較して、自己啓発本すら読まれなくなり、SNSの情報(自分が知りたい情報)のみを選択的に得ている人が多くなっている中で、あえて生産性の低いものに触れていくことは大事にしたい。それでも、時代は回ると言われるように、近い将来、「効率性を追い求め続ける社会」の反動で、「非効率を楽しむ文化」が盛り上がる気がしなくもないなと、思う。
見知らぬ人に話しかける──なんでもいい、姉さんのろうそくを消してくれそうなことをやってみる!── だっていまは、すさまじい稲妻が世界を照らしているんだ!そのろうそくを吹き消してくれ、ローラ── そして、さようなら.....」 このセリフにおける「すさまじい稲妻」とは何を指し、なぜ「ローラのろうそく」を吹き消して欲しいのか、このセリフに込めたトムの想いをこの作品を読む度に考えてしまう。あまりに長くなってしまうので、ここに全ては書きはしないけど、個人的に3つの解釈があるかなと思っている。
1つ目は、物語を素直に読んだ通りの解釈、2つ目は、「『稲妻』という広い意味での強い光」と「ろうそくの火」の対比からの解釈、3つ目は、「ローラ(詩)とジム(散文)」の対比からの解釈。あとは、多くの共通点が見られる、D.H.ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』と関連させるともっと深読みできそう。
「ひとりで遠くまで歩くためには、過去に多くの悩みが必要である」
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現代社会は、これまでと比較して、自己啓発本すら読まれなくなり、SNSの情報(自分が知りたい情報)のみを選択的に得ている人が多くなっている中で、あえて生産性の低いものに触れていくことは大事にしたい。それでも、時代は回ると言われるように、近い将来、「効率性を追い求め続ける社会」の反動で、「非効率を楽しむ文化」が盛り上がる気がしなくもないなと、思う。