「私(親鸞)は老いてボケてしまった。浄土真宗の難しい教義は、忘れてしまったので、学識の高い先生に尋ねたらよい」と。弟子にとっては生死を別つ程の、重要な問いかけであったと想像できるのに、親鸞は突き放した言い方で咄嗟に答えた。根底には、賢さや知をよしとする常識の否定があり、考えぬかれた発言だ。賢い人や知的な人へ、無造作に憧れたり、逆に嫉妬を抱くようなウブな我々の心を解体せよと迫る。賢さや知を追求することと並行して、賢さや知でないものをどう取り入れていくかが、逆に、賢さや知の本当の課題だと。親鸞は面倒くさい
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