(『鏡と呼子』の続き) http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17522/ktk034-05.pdf 最後に卓見の息子が現れて、Kが”殴りつけてやりたくなる” のが、なんで??って思っていたけど、共同体の体制を崩すきっかけが”家出”であり、”家出”経験者(息子ではあるが...)は、窮地に追い込まれていたKにとって救世主に見えたのか...。最後あたりの文章を見る限りそりゃそうか・・。あと『飢餓同盟』が似たような題材を扱ってたりするのね。読む。
『棒』・・・主人公の”私”が棒になる話。資本主義下で道具的に生きる人間のあり方への批判。死者を裁くことが存在理由である3人衆が、”私”をあえて裁かない根拠を、棒であり続けることが”一番の罰”であるとしており(=”私”は道具的存在である以上、既に罰を受け続けている状態なので裁く必要がそもそもない)、道具的な存在に対する安部公房の確固たる姿勢を感じた。
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(『鏡と呼子』の続き) http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17522/ktk034-05.pdf 最後に卓見の息子が現れて、Kが”殴りつけてやりたくなる” のが、なんで??って思っていたけど、共同体の体制を崩すきっかけが”家出”であり、”家出”経験者(息子ではあるが...)は、窮地に追い込まれていたKにとって救世主に見えたのか...。最後あたりの文章を見る限りそりゃそうか・・。あと『飢餓同盟』が似たような題材を扱ってたりするのね。読む。
『棒』・・・主人公の”私”が棒になる話。資本主義下で道具的に生きる人間のあり方への批判。死者を裁くことが存在理由である3人衆が、”私”をあえて裁かない根拠を、棒であり続けることが”一番の罰”であるとしており(=”私”は道具的存在である以上、既に罰を受け続けている状態なので裁く必要がそもそもない)、道具的な存在に対する安部公房の確固たる姿勢を感じた。