【第四章 真理の獲得と主体の変容】【第五章 神の存在証明と精錬の道】 デカルトは真理の基準を「明晰判明」とし、真理を万人に通用する公的なものとして位置付ける。これは、近代科学の基礎にも繋がっており、スピノザの真理感とは対照的である。しかし、スピノザはデカルト哲学の中にも、真理(神の観念)を我が物とするためには、私的である他ない精錬の過程(真理についての長い思索)が欠かせないという考えが含まれていたことに着目していた。(その視点で、デカルト論を残している。)意外と親和性があったのである。(続く)
(続き)ここから想像を膨らませると、本作においてデカルト哲学は大学病院の医療、スピノザ哲学は地域病院の医療に置き換えられる。一見、対立するようだが、それはアプローチの違いである。人の命にどう向き合うかという根本のところには、答えはないのは同じで、両者ともただただ精錬を続けるしかない。だからこそ、本作のように、両者が両輪でなくてはならないと思う。
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【第四章 真理の獲得と主体の変容】【第五章 神の存在証明と精錬の道】 デカルトは真理の基準を「明晰判明」とし、真理を万人に通用する公的なものとして位置付ける。これは、近代科学の基礎にも繋がっており、スピノザの真理感とは対照的である。しかし、スピノザはデカルト哲学の中にも、真理(神の観念)を我が物とするためには、私的である他ない精錬の過程(真理についての長い思索)が欠かせないという考えが含まれていたことに着目していた。(その視点で、デカルト論を残している。)意外と親和性があったのである。(続く)
(続き)ここから想像を膨らませると、本作においてデカルト哲学は大学病院の医療、スピノザ哲学は地域病院の医療に置き換えられる。一見、対立するようだが、それはアプローチの違いである。人の命にどう向き合うかという根本のところには、答えはないのは同じで、両者ともただただ精錬を続けるしかない。だからこそ、本作のように、両者が両輪でなくてはならないと思う。