そう言われていないから不当な失望だと言われるともちろんそうだが、そうであるが故に同じように見当違いの期待を持たないように述べておく。 最後の章には少しだけ上述のような展開もあるが、分量としてはそこまで多くはなく、上のような期待から読むことはおそらく読者、著者ともに望んでいない結果を招くだろう。
どんな肉体労働も知的であり、それはその労働をロボットに担わせようとする際、どの程度の人工知能を必要とするか、を考えれば明らかであるという記述がある。前半部には一定の理解を示す必要があるが、後半の傍証はどうなのだろうか。動物の行動を再現する難しさは動物の知性を表現しているのだろうか。 最後のロシア・コスミズムについては最近の木澤佐登志氏の論などもあり、近く機会があれば積極的に触れたい。
またこれも立花自身ではない周縁的な部分になるが、メーヌ・ド・ビラン、ライムンドゥス・ルルス、テイヤール・ド・シャルダンの3人の名前が挙げられているのは驚いた。 彼らもいずれ読むつもりだったが、こんなところで聞くとは思っていなかった。
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます