ニュ=ピエの反乱は、歴史学者から(いまも昔も)いまいち関心が向けられることが少ない事件らしいけれど(ぼくもまったく知らなかった)、フーコーはこの反乱が軍事の権能と司法の権能が明確に分離し、司法が軍事の上位につく決定的な瞬間だと考え、きわめて細かく、登場人物らの儀礼的なふるまいにまで視線を向ける。さらにそれが、その後、資本主義の形態をデザインし、戦争とどう関係していったのか、測定と調査が真理の扱いをどう変えていったのか、というところにまで論及する。
必ずしもイオニア自然哲学を中心にした古代ギリシア哲学史の概説というわけではなくて、この本の大きな焦点は、ロゴスとミュートスの関係について。ギリシアの神話的世界の構造から腑分けし、エポス(談話)とロゴス(真理を表す言葉)の中間にあるものをミュートスとする。まあ、教科書的というか、一種の進歩史観ではある。 後半はプラトンとアリストテレスの哲学の対比で、アリストテレス哲学はプラトン哲学のひとつの完成体だとする(むかしの日本のアリストテレス学徒によくある話で、ぼく個人としてはさすがに言い過ぎだと思うけれども)。
さておき、内容もほんとうに面白い。精細な読解を通して、エネルゲイア/キーネーシス、実体概念をかなり明快に整理し直している。実は読み始めて気がついたんだけど、ぼくはこの本を一度読んでいる。たぶん20代前半の頃じゃないかと思う(のっけからぶっこんでくる――アリストテレス界隈では珍しい――『範疇論』偽作説のくだりで気がついた)。その頃は実体論の解読が明快でとても勉強になったのを覚えている。どのくらいこの本は学部生に読まれているんだろうか。ちょっと気になる。
おじさんになって読み返すとやっぱり第4章「自然学」が面白い。アリストテレス思想は生物学が中心になっているはずで、可能態や生成の概念(だけではないが)は、生物を学的に語るために必要なツールだったろうと思う。目の前にあるじっとしていたりうごめいたりする多様なものを一貫して語るために、さまざまな概念を発明していくアリストテレス。自分が生きている世界が巨大なスケールで組織化されていく高揚感があったろうな、それはどんなものだったろうか、などとぼんやり思いながら読んでいた。
p.217に「統計学者の柳沢保憲」とあるが、たぶん、柳沢保恵のことではないか? 第一生命保険の初代社長で柳沢統計研究所を設立し、日本の国勢調査制度の確立に尽力した人物。もしかしたら、出典元の中川愛水『四季の台所』の記述が間違っているのかもしれないが。
それにしても「アテナイはペロポネソス戦争以後、最前線で戦った将軍や指導者への根拠のない政治的弾劾と処刑つづき、有能な人材を失い続け、どんどん衆愚政治の泥沼へ堕ちていった」みたいな古代ギリシア史のイメージがけっこう流布しているようにも思うんだけども、実際には(たしかに衆愚政治に堕してしまったのは間違いないが)、弾劾手続きをそうあからさまに乱用したわけではなさそうで、これまでなんとなくもっていた「常識」を覆される。
雑でキャッチーな通史を読んだり動画で見たりして古代ギリシアの歴史を「知る」よりは、こういう本をちびちび読んだほうがいいように思う。そして、民主制を支える基本的な原則は、公職者の行動は徹底的に監察する制度こそが民主政を支える基盤だということを思い知ったほうがいい。
本の前半にほんの少しだけペイガニズムの曖昧さやオリエンタリズムについて書かれた箇所もあるが、そこは(おそらくわざと)はっきりさせないまま、解説に終始している。ペイガニズムとヨーロッパのゴシックメタルやシンフォニックメタル、さらにナショナリズムやオルタナ右翼の関係が気になっているぼくとしては、カラー図版の多さは嬉しくはあるけれども。 そういえば、ちゃんとしたペイガニズムの研究書って、日本語ではないっぽいなあ。あるのかな。監修者の河西せんせいによる論文くらいしか、まだないのかもしれない。
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