
絵画も純粋な平面ではなく、アイライン、GLを低く設定し仰ぎみる構図にすることで、その躍動が額縁を超えて別の造形と組織で結びつき、観者の動きが誘発され、空間の構成を経験することができる舞台装置として機能する。これも総合的芸術としての側面として言い得るかな。
多様性の包摂、じゃなくて、多様への包摂性なのだろうか。多様であることに、はじめから何らかの性質の考えや主観らがある前提の議論であるべきなのかどうか。多様性を認めるだと、何か一つの状態を指すでもなく、ほんとうに多種多様な言葉のママを想定したうえで、主観の保持というか、自我は保存されたまま、自分の中に相手をどう位置づけようとしているか、といったニュアンスが知らず知らずある気がする。許可であり、消極的な受容。自身もマイノリティであるという自覚から、主体の融解があってもいい。積極的な喪失。
許してクレメンスの”クレメンス”ってそういえば、clēmēns(クレーメーンス)の寛恕が語源だったことを、ラテン語のクレメンティア(Clementia)から思い出させられたのなんか複雑。
つらつらとクソみてーな読書日記つけてます。
・西洋美術
・建築史
・西洋哲学
・猫🐱
・考古学
・競馬
・発達障害
・小説、ノンフィクション
・ゲーム
・国語
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます