
(3)気づいた幾つかの誤りは以下のとおり。●31頁 駐イギリス大使デイヴィッド・オームズビー=ゴア→駐米イギリス大使 ●49頁 ジョン・ショー卿→サー・ジョン・ショー ●53頁 レオポルドビル→レオポルドヴィル(他の箇所との平仄) ●91頁 脅迫観念→強迫観念 ●228頁 目と鼻の先であり。→…である。 ●288頁 ニーアム・ファーガソン→ニーアル
(4)●本書は至る所で「構造化された差別・不平等」という表現を水戸黄門の印籠のように振りかざしているが、それが何なのか、さっぱり分からない。「歴史をたどることで明らかになるはず」(117頁)というが、だったら具体的にたどって説明してみたらいい。本書のそれは理解の浅い学生が答案の中で一つ覚えのように繰り返すマジックワードみたいなもので、無内容で全く評価できない。この種のあやふやな理屈に基づいてアファーマティブアクションやクオータ制はゼロサムゲームではないなどと強弁されても、いい加減にしろと思う。
(5)補足する。例えば日本の大学入試を例に取った場合、都道府県別の大学進学率は東京の男女がともに75%-80%、宮崎の男子は40%強、宮崎の女子は40%弱のようだ(大まかな数字)。これらの数字が平等でないのはそうだとしても、その内どの程度が「構造化された差別・不平等」の結果で、どうなれば著者は満足なのか、本書の議論からは全く分からない。東京と宮崎で全く同じ数字になるべきなのか、一定の地域差や性差は許容されるのか。その辺を掘り下げないと全く無内容でつまらない抽象論にとどまるだけだと思う。
(5-1)本書はクオータ制について、違法の可能性を認識しながらも推進する考え方を示している(206頁)。役所の副大臣や副知事、大企業の副社長が「違法でもやってみる価値はある」などと主張すれば大問題になるだろう。大学は治外法権なのだろうか。違法性(違憲性)の指摘に一定の応答をしてから話を進めるのが最低限の作法だろう。人種と性別の違いはあるとはいえ、米国で大学入試のアファーマティブアクションに違憲判決が出たばかりなのだからなおさらだ(米国では人種クオータ制や一律加点制についてはもっと以前から否定されている)。
(5-2)著者は若い女性を子供扱いしたくないとの思いから「女子大」等の表現を極力避けると宣言している(34頁)。好きにしたら良いが、難癖だ。例えば「男子禁制」の大奥は成人男性なら入って良いという意味の場所ではない(余計に問題だろう)。辞書には「女子=おんな。女性。婦人。-大学」との意味や用例がちゃんと載っている。少し調べれば分かる話でこの調子なのだから、一事が万事だろう。あまり真面目に取り上げる価値のある本ではないのは明らかだが、心ある人にだけでも伝わればと思い、長めの感想を書いておいた。
(8)●本書は「地方女子」をタイトルに掲げるが、「地方」に力点を置いているのは第1章(計26頁)だけで、第2章から第4章(計110頁)は専ら「女子」の話だ。いささかバランスが悪いと思う。そして、17頁の図1(都道府県別・男女別の四年生大学進学率)や140頁の図4(図1に短大を加えたもの)を見る限り、どう考えても男女差よりも地域差の方が大きい。そして短大も加味すれば女子の方が高等教育進学率は高いのに、なぜか(地方)女子=呪縛の図式に流れてしまう。本当に不可解だ。
(9)●他にも言いたいことは山ほどあるが、キリがないのでやめておく。一読した読後感を言えば、結局、(地方)女子=かわいそうな存在、と言わなければいけない社会的(あるいは業界的)「呪縛」が存在するのではないだろうか(朝日・岩波系はそればっかりだ)。本書に限らずこの種のものに共通する特徴だと思うが、無意識のバイアスだとか「阻害」だとか、一見すると女子に寄り添っているように見えて、その実は女子の自主性を軽んじるような物言いになっていないだろうか。女子は(男子も)きっとそんなに愚かじゃないよ、と言いたくなる。
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(4)●本書は至る所で「構造化された差別・不平等」という表現を水戸黄門の印籠のように振りかざしているが、それが何なのか、さっぱり分からない。「歴史をたどることで明らかになるはず」(117頁)というが、だったら具体的にたどって説明してみたらいい。本書のそれは理解の浅い学生が答案の中で一つ覚えのように繰り返すマジックワードみたいなもので、無内容で全く評価できない。この種のあやふやな理屈に基づいてアファーマティブアクションやクオータ制はゼロサムゲームではないなどと強弁されても、いい加減にしろと思う。
(5)補足する。例えば日本の大学入試を例に取った場合、都道府県別の大学進学率は東京の男女がともに75%-80%、宮崎の男子は40%強、宮崎の女子は40%弱のようだ(大まかな数字)。これらの数字が平等でないのはそうだとしても、その内どの程度が「構造化された差別・不平等」の結果で、どうなれば著者は満足なのか、本書の議論からは全く分からない。東京と宮崎で全く同じ数字になるべきなのか、一定の地域差や性差は許容されるのか。その辺を掘り下げないと全く無内容でつまらない抽象論にとどまるだけだと思う。