読書メーター KADOKAWA Group

2024年4月の読書メーターまとめ

coolflat
読んだ本
8
読んだページ
2394ページ
感想・レビュー
8
ナイス
303ナイス

2024年4月に読んだ本
8

2024年4月にナイスが最も多かった感想・レビュー

coolflat
22頁。甲骨文字の発見によりその存在が確証されたのは殷王朝である。それをさらに遡るのが夏王朝であり、『史記』のなかに「夏本紀」として記述されている。夏王朝に関しては、考古学的な文化認識である二里頭文化がそれに相当するものであり、二里頭遺跡の宮殿区が夏王朝の都であるとする近年の中国考古学会や歴史学会の見解に対して、それと同時代の文化資料から論証されねば、王朝の存在を認めることができないとする日本や欧米の研究者との意見の違いが見られる。本書の内容は、先史時代と五帝の時代、そして夏王朝の時代を扱うものである。
coolflat
2024/04/16 05:21

主に家父長家族制が先んじて出現した黄河中流域では祖先祭祀による社会秩序の安定を目指す宗教祭祀の確立があった。さらに農耕祭祀としての動物犠牲や、人柱である人間犠牲というものが活発化した。一方、同じアワ・キビ農耕社会であり家父長家族制が発達した黄河下流域では階層化した社会にあって身分秩序を維持するため、酒器を中心とした礼制の確立などが行われるようになった。長江中・下流域を中心に発達する稲作農耕社会では太陽信仰が共同体の組織的な基盤になるとともに、階層化社会の中で次第に太陽神を威信とする首長権の確立が認められた

coolflat
2024/04/16 05:22

293頁。新石器時代末期はこのように個々に発達した各地の農耕社会において、諸地域での交流関係の拡大によって、単なる物質の交換ではない精神生活の交流が始まった段階でもあった。各地で独自に形成された精神文化やそれに基づく制度・習俗が、中原地域と呼ばれる黄河中流域で新石器時代末期に統合化する過程で、二里頭・二里岡文化が生まれていった。中国最初の王朝と呼ばれる夏・殷は二里頭・二里岡文化に相当するが、初期王朝とは、新石器時代に各地で用いられた社会組織に必要であった精神基盤を取り入れたことによって成立したのである。

が「ナイス!」と言っています。

2024年4月の感想・レビュー一覧
8

coolflat
31頁。同質性の強い社会にいある日本人の多くは、相手と同じ意見を持つのが“正しい”ことだ、相手と同じ意見を持たないと認めてもらえない、と思い込んでいる。だからこそ、承認欲求を満たすために必死に空気を読もうとし、血まなこで“正しい”場所を探す。自分が相手と同じ場所にいることを表すために、つまり自分は“正しい”と認めてもらうために、他人の主張に「いいね」をしてしまう。それはなぜか。不安だからである。
coolflat
2024/04/27 05:37

150頁。疑う力を養うためにはミステリを読むのが最適。アガサ・クリスティーがお奨め。彼女は絶妙なウソをつく登場人物を書くのがうまい。世の中はウソに満ちている。人間はウソをついて生まれ、ウソをつきながら死んでいく。中には無意識のウソもある。そうしたウソを見抜くことこそが「疑う力」に通じる。153頁。ミステリを再読するのも重要。真相を知った上で読み直すと、ウソだと気づかなかった箇所がわかる。あるいは勝手に思い込んでしまったポイントも。この読み直しこそが“正しい”を疑う力を養成する効果満点のトレーニングである。

本読むおっさん(Lester_the_Nightfly)
2024/04/27 10:35

☆ 横レス失礼します。この引用を見て改めて感じるのは,この本はある意味「インテリジェンスの"いろは"」を意図せずに語っているのだなということです。一例を引きますが,昨日まで読んでいた本でパレスチナとイスラエルの交渉が成立の方向に向かっていた時期についての著者の考察と同じ指摘が引用の76頁,83頁に書かれています。こうして本の重要な箇所を紹介していただけるのは自分の読んだ本の考察を深める一助にもなり非常に有難いと思います。長文駄文となりましたが,ご紹介のお礼を兼ねてコメントさせていただきました。

が「ナイス!」と言っています。
coolflat
5頁。紀元前1100年以降、フェニキア人が北アフリカの陸地沿いに西へ航海し、イベリア半島東部と南部一帯に侵入し、彼らはイベリア半島の岩塩や金属、塩漬けの海産物を求め、また魚業交易を確保するためにやってきた。そのために交易都市を建設したが、その嚆矢は何と言っても、伝承によると前1104年頃に建設されたアンダルシアのカディル(現カディス)である。地中海と大西洋へのルートの寄港地であり、北アフリカへの寄港地でもあった。さらに前800年頃、フェニキア人の航行路でもある北アフリカ北岸に植民市カルタゴを建設した。
coolflat
2024/04/24 05:21

141頁。米西戦争に敗北したスペインは三流国に転落した。敗北の影響は従来からのアナキズム指導の労働界にも現れた。スペインの国内的団結というか、一種のナショナリズムのようなものが必要であるという認識から、これらと対立するアナキズム運動が否定されて後退し、逆に社会主義運動が拡大した。すでに11888年結成の労働総同盟は、組合員を二年間で六千人から二万六千人へと大幅に増加させた。アナキズムは、労働組合を主体とする大衆路線を採用したアナルコ・サンディカリズムへと方向を変え、政治闘争主義に邁進していった。

coolflat
2024/04/24 05:21

198頁。戦後「ヨーロッパ最後のファシスト国家」スペインという評価が定着した。ところが1950年になって自体が一変した。8月1日、米下院はスペインに百万ドルの融資を承認する。11月4日、国連がスペイン排斥決議解除を決定した。これによってスペインの国際社会への復帰の第一歩を踏み出すことができた。これはフランコの病的なまでの反共的体質と、欧州大陸とアフリカ大陸の要に位置するという地政学的理由のために、またこの年の6月に勃発した朝鮮戦争という東西の冷戦に直面してアメリカが先手を打ってスペインを受け入れたのだった

が「ナイス!」と言っています。
coolflat
1頁。東国戦国史の特徴。一つは、戦国争乱は単なる領土の取り合いではなく、中世に替わる新しい社会秩序を作り出す運動であり、その主導権を巡り、村・郡・国といった単位で重層的に抗争が展開した。北条氏はそうした動きを取り込むことにより広大な領国を形成した。もう一つは、古河公方や関東管領など、室町時代にこの地域を支配していた鎌倉府の「遺産」が様々な形で引き継がれていたことだ。そのため、室町幕府の将軍・管領が存在した畿内地域に似た状況があった。それが新秩序形成の動きを複雑にし、数多の対立・抗争を生み出す誘因となった。
coolflat
2024/04/20 05:53

184頁。瀬戸内水運などが発達した西国に比べ、東国は陸上交通が重要だったと思われいがちだが、東海水運だけでなく、江戸湾や霞ヶ浦、さらには利根川・入間川・荒川水系などを利用した内陸水運も盛んだった。古河公方が古河城(茨城県古河市)と関宿城(千葉県野田市)を二大拠点としたのも、北条氏が氏照を栗橋城(茨城県五霞町)に派遣して執拗に関宿城を攻めたのも、利根川水運の要であるこの地域の掌握と深く関わっていた。氏康は、関宿を入手することは、一国を取るのに匹敵すると述べている。それだけの富が集中する場所だったのである。

coolflat
2024/04/20 05:53

280頁。秀吉は惣無事令を発し東国を含む日本全土に「平和」をもたらしたとする見解が有力だった。その後の研究の進展により、秀吉は武力抗争の禁止=「平和」の実現ではなく、自身に臣従する者への領土支配権付与を第一義に置いた事、「惣無事」も秀吉が作り出した言葉ではなく「平和」状況を意味する言葉として戦国期の東国で広く使われていた事が明らかにされてきた。1589年秀吉が出羽庄内に侵攻した上杉氏は咎めずに領有を認め、名胡桃城を奪取した北条氏は「征伐」の対象としたのは、彼らの秀吉への態度の違い、恭順か抵抗かによっていた

が「ナイス!」と言っています。
coolflat
22頁。甲骨文字の発見によりその存在が確証されたのは殷王朝である。それをさらに遡るのが夏王朝であり、『史記』のなかに「夏本紀」として記述されている。夏王朝に関しては、考古学的な文化認識である二里頭文化がそれに相当するものであり、二里頭遺跡の宮殿区が夏王朝の都であるとする近年の中国考古学会や歴史学会の見解に対して、それと同時代の文化資料から論証されねば、王朝の存在を認めることができないとする日本や欧米の研究者との意見の違いが見られる。本書の内容は、先史時代と五帝の時代、そして夏王朝の時代を扱うものである。
coolflat
2024/04/16 05:21

主に家父長家族制が先んじて出現した黄河中流域では祖先祭祀による社会秩序の安定を目指す宗教祭祀の確立があった。さらに農耕祭祀としての動物犠牲や、人柱である人間犠牲というものが活発化した。一方、同じアワ・キビ農耕社会であり家父長家族制が発達した黄河下流域では階層化した社会にあって身分秩序を維持するため、酒器を中心とした礼制の確立などが行われるようになった。長江中・下流域を中心に発達する稲作農耕社会では太陽信仰が共同体の組織的な基盤になるとともに、階層化社会の中で次第に太陽神を威信とする首長権の確立が認められた

coolflat
2024/04/16 05:22

293頁。新石器時代末期はこのように個々に発達した各地の農耕社会において、諸地域での交流関係の拡大によって、単なる物質の交換ではない精神生活の交流が始まった段階でもあった。各地で独自に形成された精神文化やそれに基づく制度・習俗が、中原地域と呼ばれる黄河中流域で新石器時代末期に統合化する過程で、二里頭・二里岡文化が生まれていった。中国最初の王朝と呼ばれる夏・殷は二里頭・二里岡文化に相当するが、初期王朝とは、新石器時代に各地で用いられた社会組織に必要であった精神基盤を取り入れたことによって成立したのである。

が「ナイス!」と言っています。
coolflat
21頁。呉起は大才であった。兵法に精通している兵家であるとみなされているが、国政を変改させて天下の人々を驚倒させられるほどの富国強兵を、実現させることができる新しい思想を持っていた。が、魏では、軍事にしかその才能は活用されなかった。のちに呉起は楚へ亡命して、大改革を実行しようとするが、自分を信頼してくれた楚王の死によって、挫折し、落命する。もしもその大改革が楚で完遂されていれば、中国統一はおそらく楚によって完成されることになったであろう。呉起の死は、魏をはじめ諸国の命運をのばしてくれたのである。
coolflat
2024/04/12 05:43

127頁。管仲が法家の祖と呼ばれるように、斉にはもともと法を尊ぶ思想的風土がある。中国で最初に成文法を公布したのは、春秋時代の鄭(てい)の宰相であった子産である。その法は貴族たちの恣意的な決まりに苦しめられる民を護るために定めたものである。法とは国民を護るためにある。しかしながら民のための法を、公孫鞅(商鞅)は支配者のための法に変えてしまった。公孫鞅は国主を除いてすべての公族、貴族、臣下、庶民を法の下に置き、秦を強大にした。ついにはその法が中国統一をはたしたといってよい。しかしながらその方が自滅を招いた。

coolflat
2024/04/12 05:43

147頁。孟嘗君の食客の特徴は、その質の悪さである。無法者を客としたのは、天下広しといえでも孟嘗君ただひとりである。なぜそのようなことをしたのか。孟嘗君は賎妾の子であり、ある年齢に達するまで、下層の人々のなかにいて、彼らの実態をよく知ったということはあろう。自分が富力をもつようになったら、多くの人を救いたいと考えたに違いない。孟嘗君は法に対する不信もあって、その法に虐げられた人々に手を差し伸べたのではないか。もしも彼らが悪人であっても、孟嘗君の客でいる限りは悪事を働かない。一種の隔離を行うことができる。

が「ナイス!」と言っています。
coolflat
216頁。ロシア革命の本質はロシアの民衆と兵士が手を組んで残忍な戦争を終わらせようと決意したところにあった。これは左翼主義というより人類史上希に見る最大の「国際的な反戦運動の成功」だった。ところがそうして生まれた共産主義国ソヴィエト政府が今度は独裁権力を駆使し手のひらを返し民衆に対して弾圧を加え強制収容所に送り経済崩壊を起こしてしまった。ついにはソ連が共産主義を放棄して資本主義になだれ込んだ。欧米の強大な資本主義経済支配者が秘密の人脈を通じてソ連の産業を食い物にしてきた。それが「ロシア革命」の結末であった
coolflat
2024/04/08 04:54

198頁。1875年にノーベル兄弟がロシアの石油地帯バクーに進出して製油所を建設し、1883年にロスチャイルド家がカスピ海黒海石油会社を設立してロシア原油の最大の輸出業者となった時が当時「世界最大の油田」バクーに権益が発生した濫觴であった。1918年ソヴィエトがドイツ・オーストリア側とブレスト・リトフスク講和条約に調印し、フィンランド、ポーランド、バルト地方を失った他、60億マルクの賠償金を支払うことになった。そこでボリシェヴィキは油田の資金を活かそうとバクー市に人民会議という組織を強制的につくりあげた。

coolflat
2024/04/08 04:55

このバクーの人民会議を組織したのがアゼルバイジャンに隣接するアルメニア出身のミコヤンで、さらにグルジア出身のスターリンも後ろから強力な支援を送った。ところがアゼルバイジャン民族政府軍が蜂起したので赤軍はあえなく敗退してしまった。この時勝利を手にしたアゼルバイジャン政府が頼みにしたのは、原油輸送ルートのスエズ運河を支配するロスチャイルド財閥を通じて利害関係を持つイギリスであり援軍を要請した。それに応えバクーに駆けつけたのが、ロスチャイルド財閥の縁戚にあたるイギリス人ライオネル・ダンスターヴィル将軍であった。

が「ナイス!」と言っています。
coolflat
3頁。ダレット計画。シオニストの方針は当初、1947年2月のパレスチナ人の攻撃に対する報復を根拠としていたが、翌年3月にはパレスチナ全土を民族的に浄化する構想へと変容した。ひとたび方針が決まると、任務は6ヶ月で完了した。すべてが終わった時、パレスチナに元から住んでいた人の半数以上、約80万人が追放され531の村が破壊され11の都市部が無人にされた。1948年3月10日に決定され、その後数ヶ月にわたって組織的に実行されたダレット計画は、今日の国際法では人道に対する罪とされる民族浄化作戦だったことは明らかだ。
coolflat
2024/04/04 05:11

345頁。イスラエルは国土から追放し損ねたパレスチナ人を1948年10月に確立した軍制下においた。彼らは国際支援団体の提供したテントの避難所に入った。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は1950年に創設された。UNRWAは国連決議194号が求めてきた難民の帰還には関与せず、キャンプに辿り着いた約100万人のパレスチナ難民に雇用と支援金を与えるためだけに作られた。またより恒久的な難民キャンプや学校、医療機関の建設を委ねられた。おおざっぱに言えばUNRWAは難民の日常生活の世話をするための組織だった

coolflat
2024/04/04 05:11

こうした状況で、パレスチナ人のナショナリズムが再興するのに時間はかからなかった。彼らは帰還権の追求を活動の中心に据えつつ、UNRWAのかわりに教育やさらには社会福祉や医療を提供する機関になろうとした。この初期のナショナリズムは1948年に経験した追放と破壊の後で、新たな方向性とアイデンティティを人々にもたらした。こうした民族感情は1968年にPLOとして具現化された。この指導部は難民出身であり、イスラエルが1948年にパレスチナ人に与えた悪事に対する精神的・物質的な賠償の要求をイデオロギーの土台としていた

が「ナイス!」と言っています。
coolflat
3頁。アメリカは広島・長崎で秘密裏に残留放射線を測定。極めて高い値を確認し、人体に影響を与える可能性に気づきながら科学者に圧力をかけ、その事実を隠蔽していった。一方でソ連もまた原爆の被害を矮小化する報告を行っていた。戦後、残留放射の存在から目を背け続け、アメリカとソ連は核兵器の開発を推し進めていく。しかし調査の理由や結果が最大の当事者である広島・長崎の被爆者に知らされることはなかった。残留放射線の隠蔽は国家だけが行ったものではない。科学者やメディア、そして国民をも巻き込みながら進められていったものである。
coolflat
2024/04/01 06:08

179頁。被爆体験者精神医療受給者証。国は02年、原爆投下時に爆心地から半径12km圏内で被曝地域の外にいた人を対象に、一定の条件を満たせば医療の給付等を受けられる被爆体験者支援事業を開始した。「被爆者」と「被爆体験者」は似ているようで決定的に違う。手帳には「あなたが原爆投下時にいた場所は、原爆の放射線による直接的な身体への健康被害はないことが確認されています」とある。「放射線による身体への健康被害はない」のならば、何の医療の給付を受けられるのかというと、つらい被爆体験を和らげるための「精神医療」なのだ。

coolflat
2024/04/01 06:08

230頁。アメリカは今、「低出力核」の開発・製造に力を入れている。「低出力核」とは、威力を日本に投下された原爆の3分の1程度に抑えた核兵器のことで、有事の際、局地的な攻撃に仕える核兵器とも呼ばれている。2018年、トランプ政権は、オバマ政権の核戦略を大幅に転換する「核体制見直し」を発表した。特に注目集めたのが、「核攻撃を抑止することが核兵器の唯一の目的ではない」として、核兵器の役割を再定義したことだった。そしてこの発表を機に、核爆発の威力を抑えた「低出力核」の導入を決め、核戦力増強へと舵を切った。

が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2012/01/17(4502日経過)
記録初日
2012/01/18(4501日経過)
読んだ本
1444冊(1日平均0.32冊)
読んだページ
409032ページ(1日平均90ページ)
感想・レビュー
1424件(投稿率98.6%)
本棚
49棚
外部サイト
自己紹介

歴史、特に近現代史を中心に読みたい。

読書メーターの
読書管理アプリ
日々の読書量を簡単に記録・管理できるアプリ版読書メーターです。
新たな本との出会いや読書仲間とのつながりが、読書をもっと楽しくします。
App StoreからダウンロードGogle Playで手に入れよう