近年は特にIT産業の発展が目覚ましい。英語、米国との半日の時差を生かし、低賃金でローエンドのソフト開発を行い輸出している。また医薬品産業は低価格の後発医薬品を低所得国にもたらし国際貢献となっている。人口ボーナス期を迎えているこの国は理系高度人材も豊富である。一方で公的医療不足や格差、汚職、環境汚染といった問題もある。
インドは独立以来非同盟中立の立場をとっており、近年はグローバルサウスのリーダーとして途上国も重視している。中国が周辺国に手を伸ばし印中衝突が続く中で対中経済依存を減らす試みが続く。一方ロシアは特別で特権的な戦略パートナーと位置付けられており、対米不信の向きもある。日印関係は貿易が少なく投資が多いという特徴がある。円借款はメトロ、新幹線、道路といった大型経済インフラの建設に貢献してきた。安倍政権時代には戦略的外交が強化された。
母からの手紙で、磯崎夫妻がテヘランに滞在していることを知り、急いで向かう。イランは豊かな国であり、テヘランは都会だった。ホテルを探し当てご馳走になる。砂漠への憧れから、アラビアを横断してトルコへ抜けるためシーラーズまで南下する。だがイランとの国境を閉ざされており、クウェートのビザは下りないようであった。イスファハンで時計を値切り手に入れる。柘榴と葡萄をよくたべた。
その後アウンサンアトリー協定、パンロン協定と独立交渉を重ねたが、民族問題は先送りされた。独立後コミュニストとカレン民族は武装闘争を開始した。ビルマ連邦は非同盟外交政策をとり、議会制民主主義に基づき段階的社会主義化を目指した。パサパラが分裂し議会の混乱や治安の悪化をウーヌは収拾できず、ネィウィンに選挙管理内閣を委ねられると軍事力により治安回復を図り62年クーデタを決行する。このビルマ式社会主義は経済危機を招き思想統制を強めた。
88年民主化運動が起こったが、クーデタが起こり武力で封じ込まれた。アウンサンスーチーは自宅軟禁となったが、総選挙ではNLDが圧勝した。しかし政権移譲は無期限延期され、経済停滞が続く中で2008年に国民投票が実施され新憲法が承認された。この間軍政は中露に支援され、米国やEUを経済制裁を行い、ASEANは建設的関与を続けた。民政移管後も議会の一部は軍人が占めており、改憲は困難である。直接対話や政治囚の解放、経済改革といった変化があったが、この理由として名誉回復、経済発展、中国牽制が挙げられる。
その後植民地支配により資本主義経済に取り込まれる近代となった。国民国家による支配はナショナリズムを生み、開放闘争が共産主義と結びついた。第二次大戦における戦争協力は独立戦争ともなった。冷戦期の東南アジアはアメリカにとって共産主義の脅威に対抗するための戦略的に重要な地域となった。ソ連とアメリカは開発援助を促進し、それに対応する開発独裁政権が生まれたが、中立主義も主体的な対応の一つであった。これが自律性確保を志向するASEAN設立に繋がった。グローバル化の進展に伴い域内分業が発展し一体化が実現した。
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母からの手紙で、磯崎夫妻がテヘランに滞在していることを知り、急いで向かう。イランは豊かな国であり、テヘランは都会だった。ホテルを探し当てご馳走になる。砂漠への憧れから、アラビアを横断してトルコへ抜けるためシーラーズまで南下する。だがイランとの国境を閉ざされており、クウェートのビザは下りないようであった。イスファハンで時計を値切り手に入れる。柘榴と葡萄をよくたべた。