第六章では、ファストではない教養を身につける方法として「(すぐには役に立たなくてもいい)知識を身につける」ことが推奨されている。しかし、それを行うなら、これまでファスト教養だと批判されてきたYouTubeや「教養としての〇〇」といった本からでも十分摂取可能ではないだろうか。そう考えると、ファスト教養とされるものの中で本当に危険なのはごく一部で、胡散臭いオンラインサロン的なものを避ける程度で十分なのではないだろうか(; ・`ω・´)
(続き)ところで私たちは、日常性の中では中身のない会話ばっかりしている。これを空談という(`・ω・´ )好奇心に流されたり、色々あいまいだったりする(`・ω・´ )これらをひっくるめて頽落と呼ぶ!本来性から非本来性へ頽落する!(`・ω・´ )頽落には安心が伴う(`・ω・´ )逆に不安は、本来性・非本来性を露わにする(`・ω・´ )「心の内面世界の外に外界が存在することをどうやって証明するのか?」とか考えているカントもデカルトも相変わらずカスだぜ( ゚д゚)
(続き)デカルトはCogito ergo sum(私は考える、私は存在する)と言ったが、このデカルトはなぜ私が存在するのかと問いきれていない。だからデカルトはカス( ゚д゚)現存在(私たち自身)の存在体制を、「世界内存在」と言う!(`・ω・´ )世界の構成要素を全部集めれば世界全体(世界性)を語れるかというと、そうはいかない(`・ω・´ )世界性とは、周囲にあるものの有意義性のネットワーク全体のことである(`・ω・´ )3次元座標とか延長とか言ってるデカルトはやはりカス( ゚д゚)
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第六章では、ファストではない教養を身につける方法として「(すぐには役に立たなくてもいい)知識を身につける」ことが推奨されている。しかし、それを行うなら、これまでファスト教養だと批判されてきたYouTubeや「教養としての〇〇」といった本からでも十分摂取可能ではないだろうか。そう考えると、ファスト教養とされるものの中で本当に危険なのはごく一部で、胡散臭いオンラインサロン的なものを避ける程度で十分なのではないだろうか(; ・`ω・´)