とはいえガレア共和国の章でブルブ博士に「暴力で世界をのっとろうとするやつはみんな何かに負けるものだ…これが自然のおきてかもしれん…」とつぶやかせていることも見逃してはならないだろう。初期の巨大ロボットものにおいてコントローラーや巨大ロボットの奪い合いが延々と繰り返されたように、本作でもビッグXの薬を奪おうとする者が次々と現れる。薬が効いてくるときと効き目がきれるときに多少の痛みや苦しみが伴うのは、後の巨大ロボットものを操縦することになる少年少女たちの痛みや苦しみをフィジカルに先取りしているようにも思える。
絵として特にスケール感が掴みにくいシーンでは等身大の人間が格闘しているだけにも見えてしまうせいか、人間をロボットやサイボーグに近づける説明がなされ、いかにビッグX(当初は薬品名だった)が無敵であるかが強調される。巨人化=強大化である以上、人間の強さや弱さあるいは欲望とは何であるかが巨人ロボットものでは炙り出される。
趣味で評論や小説を書いたり別名で漫画を描いたりしています。
http://kounotori0.blog.shinobi.jp/
http://countdown00.hatenablog.com/
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とはいえガレア共和国の章でブルブ博士に「暴力で世界をのっとろうとするやつはみんな何かに負けるものだ…これが自然のおきてかもしれん…」とつぶやかせていることも見逃してはならないだろう。初期の巨大ロボットものにおいてコントローラーや巨大ロボットの奪い合いが延々と繰り返されたように、本作でもビッグXの薬を奪おうとする者が次々と現れる。薬が効いてくるときと効き目がきれるときに多少の痛みや苦しみが伴うのは、後の巨大ロボットものを操縦することになる少年少女たちの痛みや苦しみをフィジカルに先取りしているようにも思える。