が、具体例を上げてその理由を説明してくれることは本書以外でもあまりないように感じる。説明するまでもないということなのかもしれないが、習慣的に若書き🟰劣る作品、低い評価としているのかとも思えてしまう。「若書き」もまた「B級」と同様、まじめに捉え直されていい概念だと思う。
を思い出す。夢と人間がおなじ材料なら、夢と記憶もまたおなじ材料だろう。ある人物からシェイクスピアの記憶を譲り受けた男(シェイクスピアの研究者)は、予測に反して視覚的イメージではなく、聴覚的なイメージ、つまり、音によって受け継いだ記憶と出会う。はじめは幸福感を得られたシェイクスピアの記憶も次第に地獄と化する。「ものはみなそれ自身であり続けたいと希求する、スピノザはそう書いている」「我にすぎないものこそが、我が身を生かしていくのだ」とボルヘスは書く。
これらはみな刹那性とブレのなさとのせめぎ合いのドラマではないだろうか。人は出会い、様々な形で交流するもいつかはそこを通り過ぎてゆく。変化は時にあっという間に時にじわじわとだが、そうした変化の繰り返しという点ではみなブレていない。本書は初期短篇集ということで、解説には「若書き」という言葉が見られるが、私は詳しくないので具体的にどこの文章が「若書き」に当たるのかはわからない。栴檀は双葉より芳しという言い回しを引いているから、やはり「若書き」の評価は後の「円熟期」よりも低いことが見て取れる。
が、具体例を上げてその理由を説明してくれることは本書以外でもあまりないように感じる。説明するまでもないということなのかもしれないが、習慣的に若書き🟰劣る作品、低い評価としているのかとも思えてしまう。「若書き」もまた「B級」と同様、まじめに捉え直されていい概念だと思う。
趣味で評論や小説を書いたり別名で漫画を描いたりしています。
http://kounotori0.blog.shinobi.jp/
http://countdown00.hatenablog.com/
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これらはみな刹那性とブレのなさとのせめぎ合いのドラマではないだろうか。人は出会い、様々な形で交流するもいつかはそこを通り過ぎてゆく。変化は時にあっという間に時にじわじわとだが、そうした変化の繰り返しという点ではみなブレていない。本書は初期短篇集ということで、解説には「若書き」という言葉が見られるが、私は詳しくないので具体的にどこの文章が「若書き」に当たるのかはわからない。栴檀は双葉より芳しという言い回しを引いているから、やはり「若書き」の評価は後の「円熟期」よりも低いことが見て取れる。