生粋のバイリンガルであり、14歳で東京大学に入学。卒後にフェノロサと出会うことにより、日本の伝統美術の重要性に気付き、東京美術学校(東京藝大)を日本美術専門学校として発足させ、初代校長となる。 活動拠点を米国に移し、のちにボストン美術館中国・日本部門部長となるが、欧米人向けに、老荘思想・禅・茶道の心得を英語で講演したものを、英語でまとめたのが「The Book of Tea(茶の本)」。日本伝統芸術に宿る精神世界、余白の意味、不完全性による完全などを欧米人にもわかるように比喩を用いながら解説している。