メモを取り忘れたけど解説の人が書いていた2人のプラグマティズムの哲学者パースとジェイムズの違いがわかりやすかった。使う言葉を厳密に選ぶパースと日常語や俗語も哲学において使おうとするジェイムズという違いだったと思う
あと「くろまめ・めのたま」という詩のここもよかった:「高橋か。ごはんはどうした」/「くろまめと、めのたまでした」/(机の角を離さず、震えて応答する高橋)/つめたい料理よつづけ/大鷲のように大空につづけ/人が 人の姿が/見つかったためしはないのだから
「くろまめ・めのたま」の高橋の震えは、、、建畠哲『死語のレッスン』(2013)の「若草色の痙攣」の”「見なさい、僧侶の本質は痙攣だ」と私の傍らにいた老人がささやいたが、しばし間をおいて僧の袈裟が揺れ始めたのは、その言葉の通りの現象であった。”を思い起こさせた。
巻末の討議で、北川の"ただ当事者同士は例えば平出隆や稲川方人は荒川洋治をすごく嫌っているでしょう。それから「麒麟」の人たちも彼をほとんど評価しませんよね。"→これ、このあとに女性の詩人(の平易な言葉で書かれた詩)についても批判があったと続いて、荒川と女性詩人の関係について特に説明がなく謎だったが、荒川洋治は80年代に女性詩ブームの仕掛け人だったという経緯があった。というのを久谷雉や島田龍のツイッターを見て確認した。
森万紀子は1934年に山形県酒田市に生まれた。1965年、文学界新人賞で「単独者」が佳作になる。このとき新人賞受賞したのは高橋光子「蝶の季節」で、新人作家懇親会の席で高橋と知り合い、同年代の作家、山崎柳子、丸川賀世子ふくめてときどき4人で会うようになった。1972年ころから、郷里の高校同窓会への出席を断ったり、友人知人に会うことを拒むようになったりと、厭人的傾向が強くなる。1978年、埼玉の三郷団地に転居。ここが最後の住居となった。1992年没(山下若菜作成略年譜から)
岡田は監督をやっていたころ、昼間に時間があるため、よく再放送のドラマを見ていた。水戸黄門やサスペンス劇場とか。サスペンスはすぐに犯人が分かってしまう。警察署緊急24時間みたいなドキュメントも好きで、見れないときはビデオに録ったりしていた。だがそれらで感動することはなかった。岡田が感動したのは甑島に行った時である。大学のときに鹿児島県の串木野からフェリーに乗っていった。車も信号もないような島で、島の人たちが港で出迎えてくれた。砂浜で海亀が涙を流しながら卵を産む(それを鷗が上空から狙っている)のを見て感動した
1989
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メモを取り忘れたけど解説の人が書いていた2人のプラグマティズムの哲学者パースとジェイムズの違いがわかりやすかった。使う言葉を厳密に選ぶパースと日常語や俗語も哲学において使おうとするジェイムズという違いだったと思う
谷川健一と谷川雁が兄弟だったというのを今日知った