数年ぶりの嵐山。桜の季節ということもあり見たことのない量の観光客。日本人観光客は非常に少ない。焼きとうもろこしが千円。ニセコ化。或いはニセコが嵐山化?不確かな私の主観によると、聞こえた言語の多さは、英語、韓国語、中国語、日本語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、タイ語、ベトナム語、イタリア語の順。スペイン語以降は全く知らないから勘だけど。
(つづき)心の壁の必要性については認知科学的方向の議論もできそう。壁が崩れる経験により観点も揺れ動く、これにより言葉の意味も流動的となる。意味の変化とは自己の変化、状況の変化というまとめ。意味の変化は「自己の哲学」という出口に辿り着いた。自己の変容とは新たな意味の到来であり世界の変貌である。
もちろんそこに大文字の哲学者の議論や東洋哲学がマッピング可能な議論となっているからこそ学術となっているのだろう。註にはカントやヘーゲルも登場するが、ここまで外部参照に頼らない日本の思想文書は見たことがなく天晴れ。とはいえ、外部接続点としてはガブリエル「意味の場」だとか、語彙埋め込みだとか、ダチョウ倶楽部の意味論の発展、言語創発における意図明示型のコミュニケーションなど、連節したくなった。
文学や思想、科学や数学等に興味があります。
そこそこの遅読者です。
知らない言語が飛び交う異国のカフェで読書する時間が好きです。
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(つづき)心の壁の必要性については認知科学的方向の議論もできそう。壁が崩れる経験により観点も揺れ動く、これにより言葉の意味も流動的となる。意味の変化とは自己の変化、状況の変化というまとめ。意味の変化は「自己の哲学」という出口に辿り着いた。自己の変容とは新たな意味の到来であり世界の変貌である。
もちろんそこに大文字の哲学者の議論や東洋哲学がマッピング可能な議論となっているからこそ学術となっているのだろう。註にはカントやヘーゲルも登場するが、ここまで外部参照に頼らない日本の思想文書は見たことがなく天晴れ。とはいえ、外部接続点としてはガブリエル「意味の場」だとか、語彙埋め込みだとか、ダチョウ倶楽部の意味論の発展、言語創発における意図明示型のコミュニケーションなど、連節したくなった。