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2024年4月の読書メーターまとめ

roughfractus02
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感想・レビュー
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ナイス
306ナイス

2024年4月に読んだ本
30

2024年4月のお気に入られ登録
5

  • Liu Hachi
  • なめらかぷりん
  • 華氏
  • metapa
  • ステビア

2024年4月にナイスが最も多かった感想・レビュー

roughfractus02
相対主義でも反相対主義でもない。著者は人類学に、主義を作らないよう解釈という基盤を導入した。解釈とは「竜を飼い慣らしたり嫌ったりするのではなく、また理論の大鍋の中で溺れさせようとするのでもなく、竜をただ見つめること」であり、竜とは比喩でありその実在はわからないものの謂だ。世界を多くの類似性からなる複合体と捉えた後期ウィトゲンシュタインに倣い、著者は多数の糸が撚り合わさる「縄」に譬えた。3つの来日講演を中心に日本で独自に編まれた本書は、人々に「確信を持てなくする」ようにして多様性へと導く役割を人類学に課す。
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2024年4月にナイスが最も多かったつぶやき

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昨日の朝、桜が咲いたと思ったら、気温上昇で午前中にはもう3,4分咲きで3月が終わった、、先月は文化人類学の古典を読みつつ、個人主義と科学主義が吹き荒れる今に、狩猟採集社会から距離をとるエクササイズを毎日自分に課してきた、、今月ももう少し続けたい、、 2024年3月の読書メーター 読んだ本の数:31冊 読んだページ数:11272ページ ナイス数:337ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/743402/summary/monthly/2024/3

昨日の朝、桜が咲いたと思ったら、気温上昇で午前中にはもう3,4分咲きで3月が終わった、、先月は文化人類学の古典を読みつつ、個人主義と科学主義が吹き荒れる今に、狩猟採集社会から距離をとるエクササイズを毎日自分に課してきた、、今月ももう少し続けたい、、
2024年3月の読書メーター 読んだ本の数:31冊 読んだページ数:11272ページ ナイス数:337ナイス  ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/743402/summary/monthly/2024/3
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2024年4月の感想・レビュー一覧
30

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リベラル国家は政教分離を謳うが、政治と宗教は分離できないと主張する人類学者の著者は、人類学者が調査対象の人々の言語を駆使して聞き取りする際、キリスト教的な真理を動機とする文化の翻訳の使命に、非対称的な力の関係があることに注目する。この「第三世界が持つ様々な意味を単一の方向に押しやっていく産業資本主義社会の力」は、リベラル国家に潜在する宗教的な真理の権力(フーコー)と見なされる。そのような西洋的主体化と翻訳の余地のないクルアーンに向き合う主体化を対照する本書は、生を理解する日々の実践として言語を位置付ける。
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著者によれば、世俗とは、近代に宗教に対置するように形成され、宗教自身も意味づけを変えつつある社会の動的編成の一部である。著者は、外部を設定し自らを位置付ける世俗概念の形成過程に非対称的な力の編成を見る。本書はこの非対称性を、現代の世俗主義的なヨーロッパにおいて、イデオロギー的本質を生活実践の中に受け入れられたキリスト教とその本質が不在のまま受け入れられたイスラム教との間に見出す。キリスト教世俗主義のアイデンティティを画する外部としてのイスラム教という関係性は、社会的な不均衡を作り潜在的な暴力性を蓄積する。
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ユダヤ教からイスラム教に改宗した父を持ち、サウジアラビアに生まれてインドに移住し、長じて米英の大学で人類学を学び、スーダンで大学の教えつつ当地を調査する。そんな経歴を持つ著者には、近代西洋の植民地主義が異文化理解のために創出した人類学自身の異文化性が問題となる。本書は人類学に潜在する普遍主義をキリスト教の権力史の中に見出し、中世の訓練としての儀礼が制度化されて象徴的行為となり、宗教が象徴システムへ変容する系譜を作図する。最終章ではラシュディ『悪魔の詩』に英中産階級が期待する宗教という政治的文脈も指摘する。
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構造言語学者ヤーコブソンと論理学者クワインに学び、人類学・言語学・心理学の広い射程を持つ言語人類学を創出した著者は、C・S・パースの記号論を語用論の方へ展開していく。本書は、コミュニケーションを今ここ(オリゴ)の出来事を基点とし、言語を何かを示す指示言及的指標と社会的なイデオロギーや権力関係を仄めかす非言及的指標のカテゴリーを区別する一方、言語をこれら指標の大小によって階層・序列化したものと捉える。パースの指標記号を展開しながら、著者は刻々と生成するミクロ次元と象徴的に構造化されるマクロ次元の統合を図る。
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父ダニエルが意識がない部族として紹介したピダハン族と数の概念のないムンドゥルク族の調査を通じて、息子の著者は、数の概念に生得的な数と後天的な数の区別があると主張した。2部族では量の概念(より多い、より少ない)はあるが正確ではない。が、1から3まではある程度理解しうる。ここから認知科学的な知見を通して赤ん坊も区別できるのは3までで4以上は文化的に習得されるアプリケーションであると表現した。一方、4以上の数は人間の身体(指の数)から5を基準とした2の倍数で増えるとし、レイコフら認知言語学の数の概念を刷新する。
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火災保険の防火技師だった著者は、言葉の誤解から火災事故が起こることから言語人類学者サピアの講義を受講したという。人類学的文化相対主義の立場から言語は長年の人々の直観の集積と捉えたサピアは、言語と文化の密接な関係を強調した。一方著者は本書で個々の話す言語が個々の考えに影響するとし、心性と言語の関係に師の考えを転換する。アメリカ英語と中米の言語(ホーピ語、ナワトル語、マヤ語)の音韻や時空概念の対照から師の考えを言語学に集約したサピア・ウォーフの仮説は、その相対主義の難題から共通パターンの探究に向かう道も開く。
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本書は、編訳者池上義彦が選んだ「サピア=ウォーフの仮説」を巡る、サピア、ウォーフ他6名の言語人類学の12の論考を収める。特に人類学の相対主義を言語学の意味論に適用した「場の理論」(同じ意味がそれを用いる場によって言葉を変えること)と「成分分析」(異なる言葉が意味を成り立たせる幾つかの成分を共通に持つこと)の方法を主題とする論考が選ばれており、母国語の意味の静態性を動態的に捉えようと異国の言語と対照する各論者の論理手順が辿れる。一方、構造的な音韻論を意味論に適用して文化記号論へ展開する際の難題も垣間見える。
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人類学者ボアズを師とし、インディアンの言語調査から米構造言語学に踏み出す著者は、本書冒頭で言語(文化的機能)をヒトの歩行(生物学的機能)と区別する一方、言語を人間特有の理性的機能と見なさない。文化を変容し続けるネットワークと捉えるからである(「サピア=ウォーフの仮説」参照)。本書後半では、言語はその自体は集合的な表現芸術であり、幾世代の人々の膨大な直観の要素であるとして「言葉と文学」の章が設けられる。考えることは言語なしには困難であるという著者の言葉は、思考は直観に支えられるという謂だろう(1921刊)。
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意味の伝達では言語に正確さが求められる。が、意味以外の情報も含む発話を通す場合、伝達は受け手の認知と解釈も経るゆえに蓋然的になる、と著者は前書で主張した。以上の語用論的転回を踏まえた本書は、情報伝達を論理的logicというより類似的analogicに捉える。伝達されるものを認知を通して再現される表象(言われたこと)と見なす著者は、各地域独自の前提集合(文脈)を通した解釈を経ながら伝達の範囲を広げていく情報を、変異しつつ拡散するウィルスになぞらえる。本書にはG・タルド『模倣の法則』の疫学的な解釈が窺える。
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文は意味するが、発話は思考を伝える。が、同じ文は異なる発話(表情、身振り、トーンの違い)で伝えることが可能だ。明示的表現と明示されない考えが同時に伝えうるということは、受け手が認知して解釈を生む可能性を作る。本書は、言語を意味論から語用論にシフトさせ、情報伝達の際には全くのランダム性ではなく蓋然的な前提集合が必要になると説き、この集合を「文脈」と呼んだ。著者たちはコミュニケーションの諸問題を、意味の正確な伝達から蓋然的な伝達に移し、言語をコードと意味性から情報の認知と解釈が関連する非論証的な場に置き直す。
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人類学に情報伝達過程を見る著者は、インフォーマント(情報提供者)の記述と人類学者の解釈を区別した。誰かがいったこと=表象を単位とすると、人類学は表象の表象が集まった間接話法的な学であり、人類学者の解釈を含むその蓋然的な知は、新たな解釈を呼び込む余地を作り出す。ここから儀礼等の人類学的テーマを情報伝達から見ると、この学は記号やコードとして言語学的意味性の中には収まらず、知覚刺激によって命題化された表象が、人類学者の長期記憶を通してさらに命題表象化する象徴装置を経て、それら全体の関連性を示唆するものとした。
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象徴表現は認知の装置であり言葉と意味という記号作用には収まらない、とする著者は、エチオピア・ドルゼ族の調査をもとに、儀礼の場とそこに参加する人たちの身体の動きやその場にある様々な物の音、色、匂いなどに触発された感覚を通した暗示的表現として象徴を行為と関係性から捉える。すると、神話や言語、礼儀作法に見られる象徴はそのつどの動的な関係性を意味するのではなく示唆する。では、もしそうなら、象徴はなぜ伝承可能なのか?どのように伝承されるのか?という新たな課題も出てくる(後の「感染」論へと展開する問題が示される)。
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持続し分割できない生を言語的に分割すると「時期」ができるが、それを生自身を分割可能なものとして人間側が操作するのではなく、分割不可能なものの人間側の解釈と捉えると言語は象徴として機能する。著者は儀礼を分割不能なものの分割と捉える象徴的行為と捉え、分割・過渡・統合という儀礼の過程は世俗・聖・世俗という段階の違いを経て、人間側と異なる次元を設定した。W・ターナーの象徴解釈学、J・キャンベルの物語構造論に影響を与えた本書は、この象徴的行為が原始的思考に留まらず、人間自身が活動する際の思考単位であることを示した。
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通過儀礼の儀式を社会からの分離→過渡→統合の過程としたファン・へネップ説の過渡期に注目した著者は、誰もが社会的役割から解放され平等の立場で未分化な状態に置かれるこの境界的時期にも社会(コミュニタス)を見出した。後にその平等主義的社会観が理想主義と批判される著者だが、本書ではこの時期が規制を取り払い、人をむき出しの我と汝の状況(ブーバー)にし、流動する世界(ベルクソン)に立たせる点から、儀式は世界を把握不能と捉え、象徴的解釈を採用すると説いた。著者はこの社会の特徴を中世の巡礼や現代のヒッピー文化にも見出す。
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自然と対称的な社会を作ってきた未開社会には、言語による自然の象徴的解釈とその実践としての通過儀礼が存在する。通過儀礼にはすでにファン・へネップの3段階(分離期・過渡期・統合期)の時間構造があるが、著者は社会に成人として組み込むこの円環的過程で曖昧模糊とした過渡期に注目し、その境界性(リミナリティ)と未分化な社会性(コミュニタス)を掘り下げ、この時期にこそ人間の作る社会の特質があるとした。本書は、アフリカのンデンブ族の調査からこの反構造的理論を導き、境界的で未分化な儀礼の移行期の痕跡を現代にも見出していく。
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著者はインドネシア全体の構造を王族階級(ヌガラ)と農耕共同体(デサ)の多様な動的関係に見た(『ヌガラ』1980)。本書で著者たちは、イスラム教のこの国でヒンドゥー教が残る地域バリでは、男系で内婚を好み共通の祖先を持つと信じるタディアという集団(カーストの中の小カースト)が制度化され、社会単位である村の構造自体を支えている点に着目する。その理由は、強固な絆を作るタディアが<偶発性>を排除せず成長衰退を繰り返す特徴があるからだ。本書は、地域に制約されつつ存続するこの集団の動的編成から、バリの特異な構造を描く。
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相対主義でも反相対主義でもない。著者は人類学に、主義を作らないよう解釈という基盤を導入した。解釈とは「竜を飼い慣らしたり嫌ったりするのではなく、また理論の大鍋の中で溺れさせようとするのでもなく、竜をただ見つめること」であり、竜とは比喩でありその実在はわからないものの謂だ。世界を多くの類似性からなる複合体と捉えた後期ウィトゲンシュタインに倣い、著者は多数の糸が撚り合わさる「縄」に譬えた。3つの来日講演を中心に日本で独自に編まれた本書は、人々に「確信を持てなくする」ようにして多様性へと導く役割を人類学に課す。
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原題はAvailable Light(2000刊)。冷戦後グローバル化する世界で既成の知の編成が崩壊するかに見えた前世紀末、すでに文化相対主義と自民族中心主義に対峙してきた著者は、人類学側から利用可能な光(知)を処方箋を示す。本書は、人類学自身も学の枠組みを問われる中、文化心理学や脳科学に接続し、ゲーム理論的な経済中心の考えが蔓延する断片化する世界に後期ウィトゲンシュタインの言語ゲーム(SprachSpiel:言葉の遊び、上演)を対置する姿勢も窺える。その際心=脳という西洋的な思考習慣が問われる(遺著)。
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19世紀に出発した人類学は20世紀に「あちら側」の対象を書くことから「こちら側」の私も含む関係を書くことに転換し、記述する自己(西洋文明社会)と記述される他者(未開社会)は圧倒的な非対称の関係から相互に浸透し合う関係になったと著者はいう。本書はG・ライルの「厚い記述」のフィルタを通して、文化相対主義に向かう人類学の自己と他者を巡る読み方/書き方を、レヴィ=ストロースとテクストに内在する世界、エヴァンス=プリチャードの写真的技法、マリノフスキーの目撃する私、我々でない人々を書くベネディクトという4例で巡る。
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著者は、人種差別への反動として出てきた文化相対主義にも、人種差別する側が前提とした普遍主義がまだあると批判した。そして一般的で普遍的な知である科学知への信頼が過剰な20世紀に片隅に追いやられた現場の知(事実知や具体知)から、知が一般化し科学化する過程を「翻訳」と呼び、従来の知をlocal knowledgeから形成し直そうとした。人類学においてこの種の知には民俗誌と法がある。本書では、各々の地に密着した民俗誌(伝承文化の記述)よりも他の地の人々にも適用可能に成りやすい法に、その多元性と翻訳可能性を見出す。
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19世紀パリの王国は小王国から成る王族階級ヌガラと多数の村落共同体、水利組合、互助会から成る農村共同体デサと複雑な関係を結んで成り立っていた。著者は両者の内(行政、司法、治安等)や両者間の国家義務や納税等の関係を「多元的集団性」と表現し、その複雑なシステムを影絵劇の儀式が統御していると捉える。神との関係と王国の歴史、抗争を上演するこの劇に支配階級が多大な費用をかけることで経済的な財の集中を防ぎ、その思想において国の威信を伝播したという。本書には1908年オランダの砲撃に王国の人々は死の行進で抗したとある。
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「厚い記述」をスライスした薄いパンを重ねたものに喩えたG・ライルの区別を人類学領域に導入した著者は、複数のサブシステムの中で1つが浮かび上がって「図」となり、他は「地」となる動的システム全体の「薄い記述」を、イデオロギーと名付けた。本書最終章にあるバリ島の闘鶏に関する記述では、儀礼はバリ島人が解釈した彼ら自身の現実のモデルであり、人類学者はその解釈を通してバリ島の文化システムを解釈する。人類学者の「厚い記述」はそのような「薄い記述」(図)の背景に埋没するサブシステムとの象徴的機能を注視することから始まる。
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戦後情報理論、サイバネティクス、分析哲学を導入して文化をシステムとして捉える著者は本書で、自らの人類学的姿勢を集約した論を展開する。古来から存在する文化システムと現在動きつつある社会システムを区別する本巻では、宗教的要素が多く占める文化は、社会から見て無意識的であるとした。この状況を著者はM・ウェーバーの「意味の織物」(蜘蛛の巣)に捉えられたヒトとしてイメージし、目に見えない意味を見出そうとする人類学は、厳密な科学的記述でなくG・ライルのいう「厚い記述」(詳細な記述)によって象徴的に解釈する学と捉える。
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国家をシステムとして捉える著者はイスラム社会の宗教面に注視し、その両極にある平穏なインドネシアと戦闘的なモロッコの近代化を比較した。近代化以前、仏教とヒンドゥー教が行き渡った後に貿易でイスラム化したインドネシアの宗教は多層的である一方、ウマイア朝下の軍事征服でイスラム化したモロッコはその浸透速度において異なる。が、近代化は両国とも1830年代に始まったという(前者はオランダの強制栽培、後者はフランスのアルジェリア制服)。一方、著者はその後の民族国家形成の積極的対処にとして両国の宗教運動の違いに注目する。
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西欧的な地理学の環境決定論を批判しつつ、著者は多様な要因で変容する社会システム論を人類学に導入し、インドネシアのジャワ島を調査地として、その農業生産の傾向を内向的発展(インボリューション)と表現した。1950年代に起こるこの傾向は、オランダ人による輸出作物の強制栽培の圧力に疲弊し、従来の棚田と飛地に農業人口が集まって線さん方法が複雑化し生産力が増したことを指す。農地を拡大する先進国の農業生産が近代工業社会に人口減少に苦しむ様と対照する本書は、一方で、この傾向にはインドネシア人の不安が背景にあると指摘する。
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本書はgoods(市場の流れを含む商品)とcommodity(市場内の商品)という区別を設け、経済学的な後者から人類学的な前者に移行する。その際、人はなぜ商品を買うのか?という問いから人はなぜ消費するのか?という問いに移っていく。こうして市場から社会(未開社会であれ先進国の都市社会であれ)へと移った消費の対象は物理的な商品から財へと移り、消費自身も慣習さらに儀礼として定義され直される。本書は消費を儀礼と捉えつつ、貨幣世界も含めた人類の象徴的な社会行為(社交)として、生きた情報システムの流れの中に見出す。
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『汚穢と禁忌』で汚穢を社会外に見出す社会と儀式によって社会内に導入する社会が対照された。本書は「グリッド/グループ」の2概念の強弱を2次元グラフ化し、4つの象限に個人と社会の関係を分類する。グリッド(他者と関連付ける自己の強さの度合)とグループ(境界を持った社会単位の経験の度合)の両者が弱いとその社会は流動的であり身体が社会の象徴となることは少なく穢れの概念は希薄だが、両者が強いと役割分担が明確で社会と身体の構造が重ねられ、穢れは様々な境界と関連する。身体と境界の布置から個人と社会の関係が量化されてある。
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著者は本書で社会を秩序と無秩序でできた不均衡な構造体とし、社会は汚穢を無秩序の表れとし、禁忌を作って秩序を守ると捉える。そこで清浄さ(聖なるものの完全性)を厳格に求める秩序(「レビ記」でのモーセの食べて良いものの選別)によって汚穢を共同体外に置く社会と、儀式の生贄を支え血で汚すことで定期的に共同体内に汚穢を導入する社会が対照される。一方、口で食べるものが服につくと汚いと感じる等複数の例を挙げ、汚穢と禁忌の考えは、現代でも俗化されて、「場違いのもの」として空間の中に境界を区切る役割を果たしているとされる。
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未開社会は均衡を保って存続してきたというイギリス人類学の前提を覆す本書は、どの社会のメカニズムも不均衡であることを、シャン(封建的な独裁体制)、グムラオ(平等主義的な民主主義)、グムサ(両者の折衷的妥協主義)の3体制間で変動する高地ビルマ(元ミャンマー)のフィールドワークで示した。その際、神話がグムラオ革命を起こし、既成の体制を分裂させ、刷新する起因となる点を構造主義から欠陥のようなものとして抽出していく一方、構造的・機能的には合理性を持たない日々の生活の「美的装飾」が、異文化理解に必須である点も示した。
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人類学史の概説に加えて、著者自らが人類学を目指したモチーフも語る自伝風の記述を絡めて、英国発の社会人類学(米仏は主に「文化人類学」)を語る本書は、機能主義批判にはじまる構造主義の台頭から説きおこし、狩猟採集社会におけるアニミズムや出自と縁組等人類学の代表的概念、そして読者の生活に連なる狩猟採集社会や牧畜と農耕の生活形態を紹介する。一方、人類学を科学として扱おうとする構造主義の立場に対しては、ポパーの科学の反証可能性を基準とすれば構造主義人類学は再現も反証もできないゆえに科学ではない、という立場を表明する。
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ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2017/02/06(2699日経過)
記録初日
2017/02/06(2699日経過)
読んだ本
3332冊(1日平均1.23冊)
読んだページ
1278214ページ(1日平均473ページ)
感想・レビュー
3332件(投稿率100.0%)
本棚
13棚
自己紹介

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