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2024年10月の読書メーターまとめ

roughfractus02
読んだ本
31
読んだページ
11540ページ
感想・レビュー
31
ナイス
307ナイス

2024年10月に読んだ本
31

2024年10月のお気に入られ登録
1

  • ワニ🐊

2024年10月にナイスが最も多かった感想・レビュー

roughfractus02
さざ波や大波のように寄せては返す時が小さなマコンドの町を取り巻いている。人が時をまっすぐ延びる時間と間違うと占い師や錬金術師の手に追えない日照りが続き、伝染病が蔓延する。それでも人は時に耐え、自然災害や戦争の大波が寄せては返す中でも一族の掟を守り(よく破られるが)、街を大きくし、外の世界との均衡を保とうとする。が、性や酒や音楽に溺れ、未知の文字の解読に没頭し、引きこもって忘れられながら暮らす人々の間に小さな波が起こり、徐々に大きくなると、時は生まれてはならぬ豚の尻尾の子を再び誕生させ、街自体をも消し去る。
roughfractus02
2024/10/05 03:27

ハードカバー版での7年前の読後とほぼ同じ感想だったのに驚く。始めと終わりを固定してその間にページ番号を配する書物に収まる年代記的作品なのに、この小説は偶然や変異をあちこちに生み出す出来事の時間に満ちていた。が、今回は意味を揺り動かして液状化する感覚が文庫版読後に自分にも起こった。時という考えに思いを巡らしながらスペイン語の時間tiempoが気温のtemperaturaに繋がるな、などと時間から気象を巡る言葉遊びへ思いを巡らした時、一族の代々の名が微妙にズレるように意味をズラすと混沌に向かうことに気づいた。

山猫
2024/10/05 08:44

「時の概念」からして我々の住む世界とは違う、か。なるほど。

が「ナイス!」と言っています。

2024年10月にナイスが最も多かったつぶやき

roughfractus02

先月はセールからデスコラを経てベルクソンへと自分のベースになる考えをアップデートする読書だった、、その間にダ・ヴィンチ関係もだいぶ読んでしっかり見て、、IT機器で流すように見ることが日常になった自分に観察することを叩き込み直すにはいい機会になった、、2024年9月の読書メーター 読んだ本の数:30冊 読んだページ数:11098ページ ナイス数:259ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/743402/summary/monthly/2024/9

先月はセールからデスコラを経てベルクソンへと自分のベースになる考えをアップデートする読書だった、、その間にダ・ヴィンチ関係もだいぶ読んでしっかり見て、、IT機器で流すように見ることが日常になった自分に観察することを叩き込み直すにはいい機会になった、、2024年9月の読書メーター 読んだ本の数:30冊 読んだページ数:11098ページ ナイス数:259ナイス  ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/743402/summary/monthly/2024/9
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2024年10月の感想・レビュー一覧
31

roughfractus02
著者の想像力研究で特異な位置を占めるとされる本書だが、ロートレアモン『マルドロールの歌』での動物たちの暴力性と動物へ変身に喜びを見るコンプレックスの強さとして分析する中で著者自身のコンプレックスが浮かび上がり、本書の読者のコンプレックスへと共鳴する。この一連の想像力の過程を著者はロートレアモン主義と呼ぶ。一方、カフカの暴力と変身への苦痛を対比した著者は、言語化不能な痛みを爪の詩的イメージに抽出し、詩的想像力が快/不快を混ぜ合わせ非ロートレアモン主義を示唆する様を非ユークリッド幾何学に展開する科学に重ねる。
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『原子と直観』で原子論を歴史区分した著者はルクレティウスの実在的原子論に依拠して、生命現象を捉え損ねる一方物理現象を過度に厳密化した19世紀以後の公理的原子論に距離を置いた。本書で著者は、詩と科学は一つであるという古代的の思考から宇宙を構成する古代四元素(火風水土)の中の火を取り上げ、五感を駆使した近代的観察の外にありながら生命の本質を捉える直観の現れとし、プロメテウスの神話のエティプス・コンプレックスとの対比から聖書、19世紀小説、生活の中の暖炉に見られた西洋の習慣まで、詩的面での宇宙創造の痕跡を辿る。
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17-18世紀の科学書と同じ体裁で書かれた本書は、通俗科学が適切な抽象化、形式化をしない点を指摘する一方、19世紀以後の科学の過度な抽象化と形式化が物理現象を優先し、生命現象を扱い切れなかった点にも言及する。メスメリズムや動物磁気には物質を生命現象として扱うアニミズム的知があったが、19世紀は世界を生命と物質とに区別して経験と観察を物理現象に特化した。本書は、子供をタプラ・ラサのように扱う近代教育が、既に子供にあるアニミズム的な知を安易に否定し、物理対象(データ)として帰納的に統計化する点も指摘している。
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ベルクソンの時間論が流れとしての持続を知性で区切りをつける人間が直観によって持続の中に身を置くとしたのに対し、科学哲学者としての著者は、持続を物理的持続と知性的持続に分け、物理的持続から知性的持続が共存する瞬間に身を置くことで創造の力が生まれるとした。瞬間における異なる持続の共存を、本書では「弁証法」と呼び、認識論のみならず詩学へと著者の探究の射程を広げる契機となる。物理次元と知における持続の重ね合わせは一方で、因果的時間に固定されるが、持続が生み出す創造の力は両者を共存させる瞬間の隠喩的想像力に変わる。
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極限や収束を用いて還元主義に陥らないような相補的プロセスに客観性を見出していく解析学的手順と、否定辞の厳密な表現の使用に基づき、アインシュタイン以後の「新科学精神」が、単なる排除としての否定でなく(不や反でなく、相補的な非としての非ユークリッド幾何学、非ニュートン的力学、非デカルト的認識論)、仮説と実験と推論の試行錯誤によって理論の限界を指摘しつつ補完し拡張を続ける運動のプロセスと著者は理解する。本書でこの過程における客観性は「客観的凝集」と呼び、技術や観察者の認識も含めた微細構造の変化として扱われる。
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本書はA・コントに発するエピステモロジーにならい、科学的原子論の系譜を4段階に分類する。ルクレティウスの実在的原子論から始め、18世紀以後の実証主義的原子論と批判主義的原子論を経て、20世紀における公理論的原子論へ段階的に進むこの過程は、感覚を通した経験的領域から作業仮説を立てて機械装置を通して記述される技術的領域へ変容する過程として捉えた。その単線的な進歩史観が批判される本書だが、現代でなく古代原子論の側に身を置く著者の姿勢に、科学と詩という後の著者の2大テーマの源を窺い知ることができる(1933刊)。
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時間は流れるが区切ることもできる。ベルクソンは前者を持続と呼び区切られる時間と持続は異質であるとして、真の生を持続の側に置き、感覚や理性で区切られる時間は生に届かないとして、直観こそが持続の中に身を置くことが可能とした。一方著者は、持続を説明する際ベルクソンが引き合いに出す音楽的持続としてのメロディは単に流れるのではなく断絶と飛躍があると批判し、それらを区切る瞬間に内的に発動し自発的に展開する生を置いた。本書は著者の時間に関する認識論的姿勢から瞬間のダイナミズムを意識の深みに直観し、芸術の創造性を見出す。
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事象を受動的に観察することで科学は客観性を担保するのではなく、理論的反省と高精度の技術装置開発を通して自然に参入し現象を作り出す。このように構成的に科学を捉えた著者は事象の科学的認識は精緻化するほど近似に留まるとした。ノイズを排除して事象に迫り誤差が出ればさらに精緻化して客観化に向かう観察という認識行為にはむしろ誤謬や障害が不可避であるという著者の科学認識論は、形式論理学をベースとした科学哲学から批判された。が、ここから科学の権力が客観性を標榜して社会へ介入する手続きが見えるのも確かである(1928刊)。
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自然は連続的であり分割できないが、人間は感覚フィルタを通して対象に分割して認識する。ダ・ヴィンチはそのあわいにあるイメージを螺旋や渦巻きの動きとして描いたが、そこにはルネサンス期の人間の分割する文化と連続変化する自然のせめぎ合いが見えると著者は仮説し、その矛盾を描く場合、文字と素描からの両面的作業となると解した。公証人の息子として生まれ何でも文字でメモする習慣がありかつ光と影の科学的考察から素描すら線をそのまま描くことを避けたダ・ヴィンチの手稿に、本書は表現し得ないことを表現するというパラドクスを見出す。
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ダ・ヴィンチ研究を専門とし、膨大な既成の研究資料と向き合う著者は、手稿とデッサンに立ち戻り、何度も解読する姿勢で本書を書いたという。本書を読むと、ダ・ヴィンチの身体の動きやそれを包む空気感を感じて自らの筆致に込めるほど、官吏風と自称する著者の文体が奔放な解釈を生み出すように見える(「リッタの聖母」に関する矛盾を解決しようとするイタリア語解釈は無理矢理に見えなくもない)。が、この大胆さは、史実を超えて言い表し得ぬものを感じることへと出会い続けるかのようだ。この物語で発展したのは、著者の美的感性かもしれない。
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古代から自然と呼ばれたものを現代は連続して分割不能な複雑さと解する。その狭間でカントが物自体と呼び、認識と存在を分けた人間と世界との関係を、著者はダ・ヴィンチ作品から言い得ないものと言い得るものの関係として捉え直した。著者が言い得るものの側からデカルト的自我を「純粋我」へ徹底すると、ダ・ヴィンチ作品は言い得ないものを突きつける。書誌研究と詳細な注釈を付した本書は、23歳で「レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説」を書いて筆を折り、20年以上沈黙した著者が、再び言い得ないが感じられるもの=美に接近する軌跡である。
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著者が表題を評伝でも伝記でもなく「自伝」としたのは、左利きのダ・ヴィンチの手稿群の鏡文字の筆跡や素描のハッチング線を辿ると、紙や筆記具の使用で推測される執筆年代に留まらず、ペンやチョークを持つ指先から腕へ、肩から胴や頭部へ、鼻腔から漏れる息や揺れる巻き毛へ、ダ・ヴィンチの生きた動きが自ずと伝わる(auto-biograph)ように思えたからだろうか。「左利きの少年」「永遠の女性像」「レオナルドの無学」等各章は時系列に並ばず、各観点が重なり合い、ダ・ヴィンチの生をスフマート技法を施すように指でなぞるようだ。
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1505-06年に飛行機械を作るため、著者は鳥の飛翔の観察を行い、人間が腹這いになる機械、蝙蝠型の翼の機械、バネ動力の機械の3種を構想したという。本書には空の飛行とともに水力装置の研究もあり、水の流れから空気の流れを類推した著者の思考パターンも垣間見られる。一方それらの中を動く場合、圧力が一定の水と圧力が変わる空気の違いから、上側の表面積が下側より大きい鳥の翼の形状を上昇するために上下の圧力差を作るという力学的考察もある。本書は革の表紙の中に日本語解説があり、その後に原書ファクシミリ版が嵌め込まれてある。
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ダ・ヴィンチ絵画の背景を地質学者が見ると地層年代や岩の組成が理解でき、植物学者が描かれた植物を見るとその種が特定できるという。ダ・ヴィンチの徹底した観察と精密描写が織りなす科学的合理性は機械の図にも反映される。本書は、ダ・ヴィンチの科学的思考が図の実現可能性に見る者を誘うことを立体構造で示すCG集である。空気を水に喩えて空にスクリューで飛ぶヘリコプターを設計するアナロジー的発想から、祭典や劇で使われた機械や武器、船、橋を作る際に苦心した部品等細部の発明まで、これらの図は視覚的にその合理性を理解可能にする。
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2巻の原本、1巻の解題、2巻の原本の本文翻刻の計5巻からなるファクシミリ版(レプリカ版)。科学的考察に向かうB・ゲイツ所蔵「レスター手稿」前の1491-1505年の本手稿は機械に関する理論、フィレンツェでの未完の騎馬像制作のための習作、スフォルツァに雇われて過ごす日常の断片342枚を収める。1965年発見の本手稿の量はそれまでの全手稿量を20%上乗せしたという。フィレンツェでの祝祭劇の舞台装置開発の必要から機械、動物、人間の動きのメカニズムが探究され表現される過程が、鏡文字で記され素描で美しく描出される。
roughfractus02
2024/10/17 02:36

この本は「読んでいる本」の欄において少しずつ何度も読んでいた。最近集中的にダ・ヴィンチ関係の知識をアップデートしていたので、今回「読んだ本」に登録し直すために見直した。ミクロとマクロの類似からパターンを抽出し、観察と実験でそのルールを遂行して破綻すると科学的探究にシフトする手順が鮮やかだ(K・ポパーの反証可能性の手順を思い起こす)。学生時代からダ・ヴィンチのファクシミリ版を集めるのが唯一の趣味で、鏡文字のイタリア語もなぞる程度はできるくらいにはなったが、マドリッド手稿は大部なので翻刻が出てありがたかった。

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roughfractus02
A3ほどのページにある複製画像はダ・ヴィンチ自身の筆致が辿れるように細部の再現を目指したようだ。事務書類や手稿からダ・ヴィンチの生涯を辿る第1部、現存作品と未完作品全てを調査した第2部、手稿等にある数千点のデッサンの中から663点を選び、解剖図、地図、機械設計、力学等各分野に分けて文献解説がある3部からなる。モナリザ等の絵画は修復後の画像であり、資料はウィンザー城所蔵のものが提供されたという。中世の図書館で鎖に繋がれた大型本を思わせる本書は、頑丈な書見台上で開きたいかも(原書はTASCHEN版2003)。
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ダ・ヴィンチは穏やかな性格で人との会話を楽しみ、工房でも孤立せずにグループで作業をすることを楽しみにしたという。100冊を超える蔵書にも寓話集があったという。孤高の芸術家イメージを解きほぐす際、彼の創作した寓話や童話はその入口となるだろう。本書を読むと、多様な考えが飛び交うルネサンス期に生きた著者が、短いエピソードにくるんでユーモアを交えつつ人々と会話のやり取りする場面を想像することができる。70編以上を収めた本書は、自然を貶め、人間を優位とする考えを諭し、自然の一部として人間を理解せよと戒める話が多い。
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美術考古学者の編者は本書で、絵画芸術(人体の描き方、光と影、遠近法と視覚等)から始め、自然の観察(解剖学、植物学、地理学、物理学、天文学等)を経て、技術(建築、都市計画、機械等)へとダ・ヴィンチの素描と手稿を配置した。この順番は若きダ・ヴィンチが書いた履歴書とは逆だが、絵画の表層に描かれた静止像を深層の動きへ読者を誘う面白い試みだ。皮膚の表面に血管、筋肉、腱、骨が浮かぶのを見ると、体が動き、水が渦巻き、植物が生え、地層が露出して岩をなす長短様々の時間が大小様々な歯車でできた機械のように動くかのようである。
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著者の図やデッサンは言葉にしづらい一連の動きを表現する。解剖図もまた同様だ。死体の解剖作業は著者が菜食主義者になるほど過酷だったというが(生体解剖はしなかった)、動物と人体の夥しい解剖を経た図は、体の動きを骨、関節、腱、筋肉の連続した捻りによって表現する。また、ウィトルウィウスの人体図に興味を示した著者は、一定の比率を持って構成された人体を肉でなく生命として描くゆえに、図は見る側の生きた知覚を意識した彼の芸術作品同様の陰影に満ちた技法が施された。編者は古代から同時代の解剖学までの解剖図との差異を概説する。
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絵画では輪郭より影が重要だ。なぜならこの世界に線などというものはないのだから。今見える些細な動きも見逃さないように観察する著者は、言語で固定された観念とイメージで絵画空間を糊塗することを避け、世界を動きの軌跡である渦巻きや螺旋として描いた。さらに著者は光学と力学を通して見えるものと見るものの関係を動きから捉え、遠いものを小さくぼやけて見せる空気遠近法を実践し、輪郭にぼかしを入れるスフマート技法を発明する。弟子に語りかけるような言葉で書かれた8章944の断章からなる本書は唯一まとまった著者の書物とされる。
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上巻は人生、文学(寓話)、絵画に関する手稿断片を集めたが、本巻は軍事技術、科学、解剖学に関する科学の断片を収録する。これら断片からわかるのは、ダ・ヴィンチが宇宙と人体の照応(マクロコスモスとミクロコスモスの類似性)というルネサンス的宇宙観を基点として世界を観察したこと、さらに観察の経験を優先してその道具として科学的知識を吸収し用いることである。目に見える水の流れを空気の見えない流れに適用しながら鳥の飛翔を観察する際、類似性の原理が破綻する水と空気の圧力の違いの場面で科学的に検討するという手順にも見られる。
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手稿の鏡文字を読む際の文字と意味の乖離を思いつつ旧字体の訳文に戸惑ったとしても、ダ・ヴィンチが世界を動きとして捉えようと観察する姿勢は想像可能だ。「畫家は自然を相手に論爭し喧嘩する」(「「繪の本」から」)という言葉には、対象を切り取られた物でなく光や空気の中に激しく止まった状態として科学的に把握する厳格さが伝わるからだ。観察を知識で誤魔化す者に対する批判や自戒は、創作寓話の背景にも自然の動きの精確な表現を与え、絵画を芸術と科学の論争の場にする(1954年初版なので66年発見のマドリッド手稿は含まれない)。
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芸術産品を主な対象とする美術史家によるダ・ヴィンチの伝記は彼の手稿にある工学や力学の幾何学図、軍事や都市計画に関する機械装置の設計図や地図、動物の動きを探究する解剖図等を包括的に扱えない。一方S・ジョブズ、E・マスクの伝記を手がけた著者はダ・ヴィンチを前2者同様発明者(イノベーダー)と捉え、彼の躍動的な宇宙のビジョンを各分野で表現するために新たな技法や技術を発明しつつ試行錯誤する過程として伝記を綴った。下巻は16世紀初頭のチェザーレ・ボルジアやマキャベリとの邂逅からフランスでの1519年の最期までを扱う。
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「キツツキの舌を描写せよ」そんな些細な動きをメモした男は世界をどう捉えていたのか?本書は、多領域で非嫡出子が活躍するルネサンス期イタリア半島の田舎に生まれた1人の非嫡出子が世界を動きとして捉え、水の渦から空気の流れを視覚化し、植物を観察するように動物を解剖してその動きを探究する過程で絵画や機械技術に秀でる様を、残された7200枚の手稿と芸術作品から繙く。本書は『最後の晩餐』に着手する1452-90年代のミラノ時代まで。演劇の舞台装置開発が機械のメカニズムや生物の動きの探究を深めたという著者の解釈が面白い。
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花でなく葉の茎へのつき方を見、身体でなく骨や筋肉や腱の動きを見る。鳥の飛翔では翼面の上下の圧力の差を見、水流では流れる方向より流れ同士がぶつかる際に起こる乱流を見る。ダ・ヴィンチの観察は、生きた世界を静止させないように経験そのものを動かすエクササイズであると著者はいう。このエクササイズでは、動きを止める表現媒体である手稿の文字とデッサンも書きつつ/描きつつあるプロセスへと互いに触発し合う。ダ・ヴィンチ・システムは人工知能化する認識の閉鎖性を外部環境に開き、自然知能へとシフトする構想を持つゆえに未完なのだ。
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科学者である著者は本書で、科学の歴史の先を行く天才的知性をダ・ヴィンチの手稿に見る。確かに流体力学、理論物理学、空気力学、生物の発生学等領域での歴史的発見以前にダ・ヴィンチがそれらの発想を得ていたのは、神の眼より自らの経験から世界を見る経験科学を先取りしていたからだろう。が、興味深いのは、ダ・ヴィンチが世界を運動から捉え、観察と経験を軸に夥しいメモやデッサンを書き記した点だ。渦巻きや螺旋を世界の根本のパターンとし、空気や血液の流れを水の乱流の観察から類推する経験の蓄積が科学を必要としたように思えるからだ。
が「ナイス!」と言っています。
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さざ波や大波のように寄せては返す時が小さなマコンドの町を取り巻いている。人が時をまっすぐ延びる時間と間違うと占い師や錬金術師の手に追えない日照りが続き、伝染病が蔓延する。それでも人は時に耐え、自然災害や戦争の大波が寄せては返す中でも一族の掟を守り(よく破られるが)、街を大きくし、外の世界との均衡を保とうとする。が、性や酒や音楽に溺れ、未知の文字の解読に没頭し、引きこもって忘れられながら暮らす人々の間に小さな波が起こり、徐々に大きくなると、時は生まれてはならぬ豚の尻尾の子を再び誕生させ、街自体をも消し去る。
roughfractus02
2024/10/05 03:27

ハードカバー版での7年前の読後とほぼ同じ感想だったのに驚く。始めと終わりを固定してその間にページ番号を配する書物に収まる年代記的作品なのに、この小説は偶然や変異をあちこちに生み出す出来事の時間に満ちていた。が、今回は意味を揺り動かして液状化する感覚が文庫版読後に自分にも起こった。時という考えに思いを巡らしながらスペイン語の時間tiempoが気温のtemperaturaに繋がるな、などと時間から気象を巡る言葉遊びへ思いを巡らした時、一族の代々の名が微妙にズレるように意味をズラすと混沌に向かうことに気づいた。

山猫
2024/10/05 08:44

「時の概念」からして我々の住む世界とは違う、か。なるほど。

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1906-41年の間のベルクソンとシュヴァリエの対話を収めた本書は、その出会いから死まで、敬虔なカトリック教徒シュヴァリエを通した信仰の姿勢を特に詳細に記す。本書は『創造的進化』(1907)の時期からコレージュ・ド・フランス退職(1921)後沈黙したベルクソンが、突如『道徳と宗教のニ源泉』(1932)を発表するまでの徹底した内的経験から信仰を導き出す厳格な思考の道筋を示唆する資料として読める。一方で体調を慮り、歩き、花を見て暮らす哲学者の生活から信仰が導き出される過程では、一人の人間の伝記として興味深い。
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ベルクソンは哲学史が一本の時間直線上に収まらず、古代ギリシャ哲学と近代哲学が並行して現代(この講義は19世紀末)に流れ込んでいると考えたようだ。ギリシャ哲学を講じる本巻は、プロティノスに始まり、ソクラテスとソフィスト、プラトンとアリストテレス、そしてソクラテス以前の哲学からプラトンへと一つのテーマを巡ってギリシャ哲学を往復するような構成を採る。プロティノスでは「世界霊魂」からの転落として語られる時空の発生に関するこの形而上学的テーマは、意識、人格、主体、客体中心の近代哲学と別の潮流をなすと考えられている。
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1890年代前半のリセの受験クラスを受け持っていたベルクソンの講義は、本巻で近代哲学史をテーマとすることで自身の姿勢を聴講者だけでなく読者にも明確に示すようだ。古代哲学の発展としての歴史と近代哲学の独自の発展の重なりとして捉えられる哲学史は、カント『純粋理性批判』での哲学の危機/批判を通して分岐するように概説されている。各々のテーマは受験クラスの補講プログラムとして進行するが、通読すると、形而上学の捉え直しと経験を言語に置き換える功利主義や実証主義への批判の姿勢が打ち出され、霊魂論に向かうようにも見える。
が「ナイス!」と言っています。
roughfractus02
『意識に直接与えられたものの試論』(1889)と『物質と記憶』(1896)の刊行の狭間に位置するリセでの講義中、本巻に収録した道徳学の講義を読むと、ベルクソンの記憶理論や精神の形而上学は自身の道徳に対する姿勢から生まれたことがわかると訳者は指摘する。プラトン形而上学における善と悪の問題は、カントにおいて守らねばならぬ定言命法として言葉から実践への手順で道徳を規定した。が、ベルクソンは生きた身体行為が実践を作り、言葉になると考えた。本書では美学aesthetics(身体の学)講義は道徳学講義の前に置かれる。
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2017/02/06(2847日経過)
記録初日
2017/02/06(2847日経過)
読んだ本
3479冊(1日平均1.22冊)
読んだページ
1333159ページ(1日平均468ページ)
感想・レビュー
3479件(投稿率100.0%)
本棚
13棚
自己紹介

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