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2025年12月の読書メーターまとめ

愛楊
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2025年12月にナイスが最も多かった感想・レビュー

愛楊
やっと読むことができた。オープンアクセス。日本にはほとんど伝わっていない分野である社会存在論に関する手引書である。社会的存在者の還元先のモチベーションは、批判系譜学的なものや、共同体のうちのクラスタリング的なものなど多くあるが、いずれにせよ社会的存在者の特殊性は、物理的存在者とは異なり、違う社会には違う存在者が存在するということにある。物理的存在者の場合はアンカーは物理学における信頼性主義的探究であるが、社会的存在者の場合は共同体的合意であるかもしれないし、系譜学的な権力であるかもしれない。
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2025年12月の感想・レビュー一覧
48

愛楊
2016年。邦訳あり。10年後の今も色褪せないデジタル資本主義批判の本。100ページくらいほど。ネットワーク効果などの要因によって自己増殖化するプラットフォーム資本主義だが、これに対して建てられるプラットフォーム協同主義(cooperativism)もそれに呑み込まれていくことになる。これは地域通貨や分散型SNS(Mastodon、Bluesky)にも転用できる論点だと思われる。けっきょく地域通貨がデジタルプラットフォームの上にある以上、UXや技術力で大手通貨アプリに永遠に敗北せざるをえない。
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愛楊
2016年。機械翻訳から演劇の翻訳まで幅広く扱っている。ただ、ヤコブソンの翻訳概念などには触れられておらず、記号論に関する記述はほぼ無い。機械翻訳に敵意があるという書き方でもない。個人的には、翻訳の政治的局面、つまり翻訳に対する検閲という概念が良かった。検閲は翻訳に対して質的な差を与える。これはContent IDといった現代の著作権システムにも転用できる論点であると思われる。盗用音楽は盗用検知システムから逃れるために色々な技法を開発してきた。そのような視座から、正統芸術とポピュラー芸術の接点が分かる。
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愛楊
2011年に初版が、2017年には第2版が出ている。啓蒙主義・マルクス主義に対するアンチテーゼとして生まれたフランクフルト学派の批判理論について概説している。とはいえ現在も批判理論の開発は続いているのであり、そのまま彼らの主張を鵜呑みにするわけにはいかないというのが著者の基調路線である。自分としては音楽社会学におけるアドルノの社会的批判に対する著者の掣肘が貴重であった。アドルノの大衆文化批判はマルクス寄りのもので、簡単に言えば全体主義的なイデオロギーの再生産に過ぎないとするものであるが、これは正しくない。
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愛楊
2009年。よくまとまったとても良い本で、表現の自由に関して難しい事例を両論併記で解説している。これこそが法哲学という感じがする。この本を読んでほしい人は多く頭に浮かぶ。特にno-platform論証は面白いと思う。学園祭に成田悠輔を呼ぶべきか呼ばないかで揉めたケースがあったが、表現の自由という観点からその招待が擁護されるのかされないのかはかなり微妙な問題であり、最終的にはコストの問題になるだろう。名著。
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愛楊
2022年。新しいVSI。流体力学入門という割には難しく、これは自分の頭が文系であるからなのかよく分からないが、学部で勉強する流体力学はこんなにも多くの事項・用語を習わなくてはならないのかと驚いた。式変形自体は高校の基礎物理レベルではあるのだが、ふだん触れないような事象が多すぎて咀嚼するのに時間が掛かった。バレエの人が回転速度を上げるために体を縮めて面積を少なくするというKelvin's circular定理や、マグナス効果、ベルヌーイの定理などは、身近な事象を物理学的に説明してくれて面白かった。
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愛楊
学部1年くらいのときに読んだが、半分くらいで挫折した。
愛楊
2009年。第4章のタルスキ真理論や情報意味論、ローティに関心があって読んだ記憶がある。しかし特段新しい情報は無かった。ニーチェが入ってくるので、分析哲学プロパーの本という訳ではない。
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愛楊
本書もきちんと座って読めば面白いと思うのだが、対話形式、ラフな感じで講義が進んでいくので、どの箇所が要点なのかが分からず放棄してしまった。
愛楊
書き方が分析的でないために面白さが分からず、途中で放棄してしまった。
愛楊
自分は最初の論文しか読んでいないのだが、ウィトゲンシュタインとカントが同型であり、前期ハイデガーと後期ウィトゲンシュタインがプラグマティズムに含まれるとするローティの主張は面白かった記憶がある。本書の特長は、訳者・編者である冨田の論文解説にあるはずなので、ローティ入門としても道具的価値がありそうだ。
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愛楊
2024年。画期的論考集という名に偽りはなく、現代の分析=ネオプラグマティズム系譜とヘーゲルを絡めて論じている。特にヘーゲルは後期ブランダムのアイデアのもとであるので、推論主義者は面白く読めると思う。ヘーゲルの概念論は、ラッセル的な原子的意味論とは真逆に位置しており、そこから分析的言語哲学とネオプラグマティズムの言語哲学の違いを見ることもできるように思われる。最後の行為の哲学の章は読んでいない。
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愛楊
オタク系DJをミシェル・ド・セルトーで論じている論が良かった。
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愛楊
2022年。比較的新しい。心の哲学の概要を全域的に説明している。少し世界哲学(アフリカ哲学)に触れられているのがよかった。やっぱり思うのだが、Chalmersの拡張された心や汎神論はけっきょくのところ何も主張していないのではないだろうか。一体彼は何をしたことになるのか。
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愛楊
2020年。全体的に要領良く人工知能の倫理に関する論点を整理している。特に重要であると思われるのは、道徳的受忍(moral patiency)という概念である。著者は、カントの間接的義務という徳倫理的な概念のもとでAIへの配慮の必要性を擁護するという議論を紹介している。一見すると人間中心的であるカント義務論であるが、間接的ではあるとはいえ非人間的対象への配慮を理論のうちに組み込んでいるのは興味深いことではないだろうか。ChatGPTに暴言を吐くような人間はこの間接的義務に対して違反するということができる。
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愛楊
2008年。著者は市民権を、帰属・権利・参加の三幅対からなるとする。これらの市民権を守るためには、コスモポリタン的な大きな政治的共同体ではなく、国家のような中くらいの共同体が必要であるとする。これはブレクジットのような事例の理論的説明でもあると思う。しかし、この市民権という規範的制度をどう守っていけばいけばよいのかはよく分からない。それは個人的な徳には還元しえないものであるだろうし、より大きな問題であるだろうからだ。さらに、Brennanの『投票の倫理』とは矛盾しないのか気になったが、おそらくは両立する。
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愛楊
2018年。最後に社会学の党派性と相対主義に対する反論が加えられる。
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愛楊
2008年。英国のアスペルガー症候群研究の第一人者による自閉症に関するVSI。読んでよかった。執筆当時から自閉症に関する脳科学的(臨床的)研究がどれくらい進んでいるのかは私は知らないが、当時は8歳くらいにならなければ診断を下すことができなかったらしい。高機能自閉症はかの有名なウィトゲンシュタインもそうだが、現在でも診断を受けずに苦しんでいる患者は社会に多く存在すると思うので、この分野に関する脳科学的・社会学的、そして哲学においては社会認識論的な研究が進むとよいなと思う。
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愛楊
2013年。リー群やモンスター群の紹介までしてくれる。群論の手引きとしてよさそう。
愛楊
2021年。学部1年のときに受けた創造性に関する科目を思い出した。全体的に当たり前のことしか言っていない気がする。
愛楊
2025年。優れた「推し活」分析だと思う。日本のZ世代における「推し活」は、Possamaiのいう自己投影的でナルシスティックなオタク活動ではなく、推しに対する奉仕的な行為であるというのが著者の分析である。この分析は、Z世代を見る上でも重要な視点を与えるであろう。というのもこの献身性は、無政治性、脱ほんもの(authenticity)性といったZ世代の特性の一側面を示しているからである。この分析の上で、献身的「推し活」の暴力性も見えてくるだろう。つまり、消極的な献身の反自律性、反マスキュリニティ性である。
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愛楊
第3版では、新しく表出的言語(expressivist language)と暗喩(metaphor)に関する章が追加されている。そこを読んだ。前者は昨今の応用言語哲学の一環のようなモチベーションで、後者は反デイヴィドソン・サールの兆しという印象。けっきょく20世紀における大文字の言語の哲学は論理実証主義の残滓であるということだ。最後にLycanは各論者から抽出した(?)「infinite polysemy theory」で隠喩を解決すべきというが、そもそも最初からそれでよかったのではないか。
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愛楊
改定前は2016年、改訂版の本書は2021年。機械学習についてよくまとまっている入門書だと思う。
愛楊
2008年。ロジスティクス回帰辺りまで書いてあるが、既知の事項ばかり。
愛楊
2012年。後半はネタ切れのようになってきて、極値統計学や金融工学の話にまで入り込む。しかし、最初の主観確率の話は確率の哲学への導入として良さそうであるとは思った。
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愛楊
2025年。大規模言語モデルがMIT Press Essential Knowledgeシリーズに追加されるのは歴史的にも面白いと思うが、本書はその期待にもきちんと応えるものである。数式を使わずに技術的な要点を押さえることができており、入門書として完全を期している。本書のオリジナルなところは創造性に関する章にあり、2012年に物理学者によって提唱された「コンストラクタ理論」という理論を用いて、LLMの創造性を分析している。要するに自身が出力したトークンに基づいて再帰的に内部状態が変化していくということだ。
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愛楊
自分が日本哲学に興味がないからなのか分からないが、第2講まで読んで飽きてしまった。
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愛楊
2012年。ネットワーク科学への触りとしてよいかもしれない。一般書。
愛楊
2016年。inter/outer architectureという概念的分類は役に立ちそうだと思うものの、哲学的な洗練は薄い。いちおう序盤ではフロリディの「意味論的情報(semantic information)」という概念を引いていたりするが、それ以外に情報の哲学に関する文献を引いているところは無い。
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愛楊
抽象的対象に関する手引書。数学の哲学への手引きとしても使えそう。数という抽象的存在者の超越性と認知的な理解可能性をいかにして折り合わせるのかというのが、本書のテーマである。錯誤理論ベースの「抽象的表出主義(abstact expressivism)」はさすがにデフレ化し過ぎだと思う。また、抽象的存在者の定義に非因果性を入れるのは要件としてキツすぎるのではないか。そもそもそのような非因果的な対象を我々はいかにして知ることができるのか。議論はおいておくにしても、本書は面白いので読む価値はあると思う。
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愛楊
2005年。「意味ってなに?」の答えは、真理条件意味論であるということになる。一昔前に意味論の自然化と言えば、生成言語学と連携した形式意味論であった訳で、本書はその路線のど真ん中を行っていた本である。原著はFundamentals of Linguisticsシリーズの一つなので、哲学というよりも言語学の本。
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愛楊
日本語で書かれたサーベイ論文のような本で、方法論に関する記述は少ない。
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愛楊
分かっている人向けの入門書だと思う。
愛楊
2018年。Hadoopが載っているのが良かった。
愛楊
本書は2018年に出版された。2018年は、ちょうど大規模言語モデルが流行り始めたくらいの時期である。したがって、本書はそれ以前のパラダイムに属した本である。本書は構成において優れているものの、並列分散型アーキテクチャや現象学系サイバネティクスなど、認知科学に依拠した古く単発の研究プロジェクトが多く取り上げられている。Multihead-layer Transformerは取り上げられていない。2025年の今に書いたならば、ほとんど書き直しとなるであろう。それだけ技術の進歩は速いということである。
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愛楊
2021に第2版が出版された本で、慶應義塾出版会からの邦訳もある。私的には一番最初のキリスト教の倫理とプラトン『国家』のエリート主義性が面白かった。自己の不遇は自身の身分によるものであり、さらにその身分は超越論的な第三者から与えられているのだから、我々はそのようにするしかない。ニーチェの言う通りであろう。プラトン『国家』のエリート主義は純粋な民主主義と軋轢をきたすものではあるが、哲人政治という思想の源流でもある。
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愛楊
博論本。解釈主義といえばデイヴィドソンかダメットであるが、この本はそれらの解釈主義を中心に扱っている。自分は言語について知りたかったので第3章まで読んだ。ダメットは進化論的自然主義者であるため、犬のような非言語的存在者にまで解釈可能性を認めるが、デイヴィドソンはそうではない。デイヴィドソンの言語的解釈主義は信念中心主義的であるため、誤表象(二階の信念)可能性に訴えて解釈可能性を言語的なものに絞るが、はたしてこれは正しいのだろうか。むしろ、そのようなものとして言語概念を工学しているのではないのだろうか。
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愛楊
Peter Singerが共著に入っている功利主義の入門書。Nozickの経験機械に対して選好功利主義が反論となるという論証と、その論証に対する反論があった。私自身は経験機械でもよいのではないかと思うのだが、そうではないらしい。選好功利主義にしても、けっきょくは義務論的な要素を入れたいということなのだろう。
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愛楊
『論理哲学論考』における倫理や道徳の扱いと、後期ウィトゲンシュタインにおける倫理の位置についてまとめている。『論考』における倫理の位置については私は関心がないが、後期に向かうにつれて段々と共同体内的な対象として倫理が与えられるようになってくるという流れはよかった。倫理は蝶番と同じく、ゆっくりと変わっていくものなのである。正義の倫理におけるような普遍的な道徳原則を拒否する点において、バーナード・ウィリアムズに繋がっていく思潮であると言える。哲学は倫理を作ることはできない。ただ明確化することしかできないのだ。
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愛楊
非常に素晴らしい本で、自分が抱えていたモヤモヤの大体の要因と分析が詰められている。サルトルの哲学の時代的背景は、否が応でも自分という存在の「偶然性」を自覚しなければならなかった第二次世界大戦であるが、この偶然性の自覚というテーゼは、一様に社会に頽落し服従することが是となっている日本の現代社会においてこそ注目されるべき思想であると思う。人間は歴史的=社会的次元における「事実性」において決定論的に拘束されている。そこからいかに人間は「超越性」を持つ責任を取り戻すのか。自由意志であり、倫理の問題であるのだ。
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愛楊
2018年。概念工学入門といった体の本で、現代哲学をする人は必読だと思う。大体はStrawsonへの批判に当てられる。著者であるCappelenが提唱する「厳格な枠組み」によれば、概念の内包や外延は外在主義的制限によって急速に変わることはなく、それが属するトピックという単位によって我々は同じ対象について語り続けることができる。語の効果などについても研究が進められるべきと著者は述べている。カルナップの「明確化」と概念工学は異なるが、大まかな方向については一致している。
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愛楊
やっと読むことができた。オープンアクセス。日本にはほとんど伝わっていない分野である社会存在論に関する手引書である。社会的存在者の還元先のモチベーションは、批判系譜学的なものや、共同体のうちのクラスタリング的なものなど多くあるが、いずれにせよ社会的存在者の特殊性は、物理的存在者とは異なり、違う社会には違う存在者が存在するということにある。物理的存在者の場合はアンカーは物理学における信頼性主義的探究であるが、社会的存在者の場合は共同体的合意であるかもしれないし、系譜学的な権力であるかもしれない。
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愛楊
2024年。技術の哲学の教科書としてIhdeの『技術哲学入門』よりよいのではないか。基本的に本書は応用倫理学と同じ位置にあると思うので、もう少し理論的な技術の哲学を知りたかった。工学は科学とは異なり進歩や知識が定義できないといったことや、技術の価値・政治中立性に関する内在/外在主義は概念として有用そうである。
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愛楊
ウィトゲンシュタインによれば、色は物理的・現象学的なものではなく文法的なものである。たとえば、白さと透明さは別の文法的空間に存在するものである。これは言語モデルの内部表現でもそうなっている気がする。ただ、彼の色の内的関係が言語ゲーム的な実践に基づいているわけではないとすれば、Moyal-Sharrock的な身体性に基づいた後期ウィトゲンシュタインの読み方はどうなるのか。けっきょく文法(≠言語ゲーム)概念が晩年の『色彩について』の頃において舞い戻っているということなのか。
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愛楊
2018年。最初は流体力学の専門家なのかと思ったが、そうではないらしい。よい入門書。次元に関するΠ定理は勉強になった。
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愛楊
2023年の本。個人的に一番気になったのは、人工主体に関する項の意識/行為者性の内在/関係主義というCoeckelberghの概念的区分である。関係主義はいわゆる解釈主義と呼ばれる立場であり、人工主体に対して意識や行為者性といった性質があるのかという問いに対して、外在主義的に答えを与えるものである。人工知能の意識の議論のうちには注意を意識と等値するような内在主義的アプローチもあるが、このような関係主義的な応答もあるのだ。そしてこの関係主義的アプローチは、Wittgensteinの相貌論にも暗合すると思う。
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愛楊
Philosophy of the Social Sciencesの入門書。接続詞が無かったりと文章が読みにくいように感じる。内容的には、集合的志向性に関する行為の哲学と交差する部分があると思う。存在/方法論的個別/集団主義でヘーゲルやユングを四象限に区分するAgassiの _Institutional Individualism_ という論文は面白そうだと思った。ポパーやヴェーバーは客観性をソクラテス的批判可能性から与えられているものと考えており、これは本当は哲学にこそ必要な態度であると思う。
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愛楊
まさに「哲学の使い道」という題のメタ哲学の本。基本的にはデューイ的なプラグマティズムベースの論。倫理的・政治的な視点を取り入れた科学哲学や思慮深い一般市民との繋がりの必要性などを訴える。最近のELSIブーム(?)と同じ論調となっている。哲学界の競争が昔より厳しくなっているのはアメリカでもそうであるらしく、同じく変わらない日本にいる我々もそのことを知っておく必要があるだろう。哲学に対しても「選択と集中」が効くのか否かについては、イエスというのが本書の回答である。本郷の旧套とした教員に読んでもらいたい本だ。
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2017/11/14(2975日経過)
記録初日
2017/11/14(2975日経過)
読んだ本
805冊(1日平均0.27冊)
読んだページ
193473ページ(1日平均65ページ)
感想・レビュー
554件(投稿率68.8%)
本棚
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性別
職業
大学生
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