興味深いのは累進課税の話で、所得税の累進性に対して見直しが行われるレーガン政権までの時期、アメリカではイノベーションが阻害されず経済成長を続けていた。「応能負担税制は意欲を失わせる」というのが虚飾に彩られた汚いブルジョワのイデオロギー、嘘っぱちだということがよくわかる。
普段は不可視で「対話」なぞしようとも思わない彼らの存在に、あなたも気付くことがあるかもしれません。例えば、狭い食堂で肘と肘が触れたとき。通勤電車で人の足を踏んだとき。ほら、ぬらり。
(感想)共生を排した寄生的な存在論から説き起こされる文脈(シュミット、石原吉郎、アーレントなど)は面白く読めた。自分を取り巻く存在は必ずしも敵/友に二分できるわけではないし、議論のテーブルにつくとき書記官が発言することは想定されない(が、彼はそれによって「飯を食っている!」)。他者や共生を肯定的にせよ否定的にせよ重視する思想も、パラサイト的な存在様態を無視してきた。その筋は追えるのだが、パラサイトの持つもう一つ顔、口唇トポス的存在の側面(ブリヤ=サヴャラン、魯山人等)はあまりつかめなかった。
多分望まれる使い方ではないのだろうが、本気で読み込んで勉強すれば、レスバにめちゃ強くなる気がする(そのような使われ方を避けるためか、記述に冗談を挟みつつも、議論の本質的な部分はとても真摯に書かれていると感じました)。しかし、「このタコ!」が悪口として成立する一方、「このイカ!」がそうではないことについては、あまり納得のいく回答はなかったのでは?と感じています。
件の絵師は政治哲学者がいいねをしなくても十分に人気の絵師であったはずだ。しかし、そのいいねがないことによって諦めた才能もあったのではないかと思うと、なんだか空恐ろしい。ふと画面に目をやると、速描きのアドマイヤベガが泣いていた。気がつくと私はいいねボタンを押していた。そこは承認の共同体であった。
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