形式:単行本
出版社:岩波書店
まずは本を紹介する大人と子供との信頼関係がいちばん大事なのかなあと思いました。乳幼児への絵本読み聞かせも、大人(親や先生)が自分に向かい合ってくれるという安心感と信頼が根底ですよね。するとやはり紹介してくれる人を信頼していると本も楽しく、反対に面白くない本を紹介する人のことは信頼できない人って感じるのでしょう。
人物個性→長編。発想→短編/発想→ひねり皮肉/粗筋を読む物語↔細部の真実味が展開を支える物語/簡略化短縮化の弊害。伝記がただの教訓話/現実の大人は一面しか見えない。物語の大人は全体が見える。現実の大人に寛容になる/正確な言葉や豊富な語彙は受け継ぐもの/想像力=ここにない視覚五感感情思考をここに感じる力/物語読む=想像作る/言葉世代→矛盾ない言葉で物語構築。映像世代→映像を物語化→矛盾多い/メタ認知力=自分と違う立場で自分見る力→自分しか解決できない問題に自力で取り組むため必要/
物語読む=自分以外の意識に入ると同時に一段上から観察する/十歳頃のメタ認知力急伸には感受性発達が必要。感受性=他人の感情を繊細緻密に受け取る力↔自分の喜怒哀楽の激しい感情表現/同じ物語が角度や想像を変えて読むと別の様相→メタ認知力育てる/ゲームで仲間の死→助けられなかった自分を責める。物語で仲間の死→悲しみ/映像→客観他者主人公。物語→主観内面主人公。
cocoさん、こちらいただきますッ✨😌✨著者の『物語が生きる力を育てる』を積ん読したままになってることに気づきました(><)!!読まねば♡
chiakiさん、こんにちは✨子どもの本のことについて勉強中なもので、初めて脇明子さんの本を読みました!機会があれば、私も『物語が生きる力を育てる』を読んでみたいな…と思います(^o^)
お気持ち、良くわかります。赤木かん子さんが、今時の子どもにとって、携帯電話出現の前の物語は全て古典と言ってました。時代が違うという言い訳にしたくないんですが、つい、そう思ってしまいます。
コメントありがとうございます。古典!まさにそうです。古典同様、大人が本をある程度指定して、授業や課題として読む時間を作るべきだと常々思っています。「読むこと」を野放しにしていては、「読む力」は育ちません。ネット小説にライトノベル、「ざ○ねんな図鑑」など情報・ビジュアル中心なもの、映画・アニメ・ゲームのノベライズ等々、子どもの心をつかむものが、今はあふれすぎています。
原作本のある映画やドラマをあまり観る気になれないのは、私ではない他人の持つ印象を押し付けられることが嫌だからだと気付いた。本を読んでイメージを膨らませる→映像でそのイメージを覆される…それは自己肯定感を揺るがせるほど切ない。そうじゃない作品もあるのは知っているけれど…
再読。読み聞かせは親子の幸せな時間と思い出づくりに深く首肯く。ふたりだけの大切な一冊、子が成長した時そう言ってもらえる一冊に出会えるか。いまはその一冊を探す旅路にいるような気持ち。そして旅は先を急ぐ気持ちと永久に終わりたくない気持ちと。あぁ、幸せな時間。素敵な一冊に出会えるよう、大切にしよう。
「なぜ本を読まないといけないのか?読まなくても立派に大人になってるよ」に対する回答がこの本にはあります。本が普及していなかった時代は、子どもの回りにたくさんの大人がいて、やりとりがあったり、昔話や生活の知恵などの生活文化を伝えていた。そういった文化の受け渡しの機会が、現代では本の役割となっている部分が大きいということ。「物語の国」アフリカでの状況は極端だけれど、世界中で起こっていることだ。声の文化から文字の文化へ、そしてコンピュータなど電子メディアへ。環境は刻々と変わるが、人間はそうすぐには変わらない
わけで。やっぱり映像メディアや電子機器に子守り任せっきりはいけないと改めて思うなあ。中毒性があるしね。子どもにはきちんと向き合っていかないと。1人で見てるとマジしんどいけどね。
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