形式:新書
出版社:平凡社
奈良時代、支配階級の罪業意識に基づいて神仏習合が進む。各地に神宮寺が建立され、仏教を軸とする国家運営が確立する。怨霊信仰から御霊会が流行。空海が大乗仏教の理論としてまとめあげる。一方、天台宗によって持ち込まれた念仏という修行形態が、貴族に広まる。念仏結社なる勧学会が登場。末法思想から自分自身の浄土往生を願う死生観から、本来不吉な念仏を真実を観るための簡便な修行法として勧進した。
飛鳥時代に伝来した仏教は、神仏習合のためには呪術を要し、平安初期には真言密教が流行った。その後は末法思想から天台浄土教が流行った。空也聖人は、死霊鎮送の称名念仏を念仏者自身の往生の因となるとした。源信は観想念仏に耐えない人に称名念仏を勧めた。法然上人は弥陀が選択した唯一の行だから、念仏以外では往生できないとした(専修念仏)。親鸞上人は、弥陀の本願を信じて念仏すれば往生出来るとした。一遍上人は1度の念仏で往生できると。信じることも不要だという。阿弥陀仏の約束した成就の効果が人々に及んでいるに過ぎないからだ。
一遍上人は私の布教は私が生きている間だけだとしていた。だが一遍上人の入寂後、一番弟子の真教は一遍上人の言葉は全て覚えているのでその尊い言葉を人々に伝えようと決心し、遊行した。時衆教団は真教により形成された。時衆は陣僧となり、戦場に行き死者を弔い、死者の遺体処理をした。また葬儀もした。客僚という習慣がある。遊行上人のもとに逃げ込むと救われるのだ。合戦で負けたり、主人の命に背いて追われている者を匿った。その匿った者に家康の祖先がいたという縁で、時宗は徳川幕府の手厚い保護を受けた。御朱印に遊行僧の判が押される。
ホシさん、感想拝読しました。私もホシさんの意見に賛成です。仏教の成立過程に沿って自ら思索した人でなければ浄土教や親鸞聖人の思想を受容できないし、一遍上人の思想については「呪術的にみえてしまうのも致し方ないだろう」と思います。一遍上人の思想は紛れもなく日本浄土教の発展過程において大きなものだと思うので「もっと日が当たっても良いものを」と感じます。老荘の思想に通づるものを感じています。
かずさん、コメントありがとうございます。詳しくもないのに偉そうな事を書いたかなぁと、ちょっと心配していたのですが、賛同いただき恐悦です。例えば、仏教に何の関心もない人が、いきなり一遍の本を読むとしたら、それはちょっと飛躍があり過ぎるかなぁと思います。そういう点においても、一遍上人の評価が芳しくない要因になっている気がします。老荘思想かぁ…。ええと、これは無知なので勉強します^^;
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奈良時代、支配階級の罪業意識に基づいて神仏習合が進む。各地に神宮寺が建立され、仏教を軸とする国家運営が確立する。怨霊信仰から御霊会が流行。空海が大乗仏教の理論としてまとめあげる。一方、天台宗によって持ち込まれた念仏という修行形態が、貴族に広まる。念仏結社なる勧学会が登場。末法思想から自分自身の浄土往生を願う死生観から、本来不吉な念仏を真実を観るための簡便な修行法として勧進した。