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新書851一遍 捨聖[ステヒジリ]の思想 (平凡社新書)

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鳩摩羅什「浄土」、謝霊運「極楽を浄土と呼ぶ」。念仏はあくまで死者のためのもので初めは不吉なものだった。それが浄土教のもとで重要な修行として位置を高められる。(当時は異端扱い)。浄土教が念仏には心を込める必要があると唱えたのに対し、一遍は、単に唱えさえすればよいと主張した。極めてラディカルなこの教えは、万人が阿弥陀によって救われるはずだ、という信仰が基礎になっている。そこに善悪はない。ある者が念仏を唱えるのは阿弥陀がそう願ったからなのであり、阿弥陀に選ばれた、ということなのだ。極めて強力でカルト的な人類愛。
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奈良時代、支配階級の罪業意識に基づいて神仏習合が進む。各地に神宮寺が建立され、仏教を軸とする国家運営が確立する。怨霊信仰から御霊会が流行。空海が大乗仏教の理論としてまとめあげる。一方、天台宗によって持ち込まれた念仏という修行形態が、貴族に広まる。念仏結社なる勧学会が登場。末法思想から自分自身の浄土往生を願う死生観から、本来不吉な念仏を真実を観るための簡便な修行法として勧進した。

03/31 16:06
0255文字
Hiroshi
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時宗の住職が書いた本。清浄光寺(遊行寺)に行くので読んだ。時宗は、宗祖が一遍上人であり、踊り念仏が有名だ。来年は二祖真教(他阿)上人の700年忌でもある。仏教は、「信じる」だけのキリスト教・イスラム教とは違い「修行」が必要だ。だが、念仏系の真宗と時宗では「称名」だけで良いという。インドで生まれた仏教は、紀元頃に大乗仏教ができ、中国に伝播した。善導が中国浄土教を大成した。中国仏教の主流ではない。「凡夫が阿弥陀仏の浄土に生まれることができる」という教えだ。阿弥陀仏は「心の中」にあるのではなく、「実在」すると。
Hiroshi

飛鳥時代に伝来した仏教は、神仏習合のためには呪術を要し、平安初期には真言密教が流行った。その後は末法思想から天台浄土教が流行った。空也聖人は、死霊鎮送の称名念仏を念仏者自身の往生の因となるとした。源信は観想念仏に耐えない人に称名念仏を勧めた。法然上人は弥陀が選択した唯一の行だから、念仏以外では往生できないとした(専修念仏)。親鸞上人は、弥陀の本願を信じて念仏すれば往生出来るとした。一遍上人は1度の念仏で往生できると。信じることも不要だという。阿弥陀仏の約束した成就の効果が人々に及んでいるに過ぎないからだ。

09/25 18:57
Hiroshi

一遍上人は私の布教は私が生きている間だけだとしていた。だが一遍上人の入寂後、一番弟子の真教は一遍上人の言葉は全て覚えているのでその尊い言葉を人々に伝えようと決心し、遊行した。時衆教団は真教により形成された。時衆は陣僧となり、戦場に行き死者を弔い、死者の遺体処理をした。また葬儀もした。客僚という習慣がある。遊行上人のもとに逃げ込むと救われるのだ。合戦で負けたり、主人の命に背いて追われている者を匿った。その匿った者に家康の祖先がいたという縁で、時宗は徳川幕府の手厚い保護を受けた。御朱印に遊行僧の判が押される。

09/25 18:59
0255文字
曲月斎
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日本での浄土教の成立から、一遍の出現に至るまでが前段、後段はその言行録、伝承から教義を探っていく。極楽往生を願う民衆の願いを極限まで切り詰めて行けば一遍に至る。法然、親鸞に比して影が薄いのは否めない一遍に焦点を当てた好著。ただ一遍の没後、直ちに教団化が進んだ。戦国時代に陣僧の職務を果たし、庶民に近い宗教者だったと思うが、江戸期に徳川殿に全国遊行の許しを得る教団になり、権力の統制の下に入るのが現実。浄土系でも巧く立ち回った宗旨との差が出てしまった。一遍の個性、人柄が屹立した存在だったことの証左でもあるが。
0255文字
ホシ
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一遍の本をしっかり読んだのは、これが初めて。真宗が「理屈っぽい」のに対し、時宗は「神秘主義的」という印象を持った。親鸞も一遍も「他力で救われる」点は共通する。2人の違いは唯円の質問を考えれば分かりやすいか?唯円「念仏しても踊躍する気持ちが起きません。早く浄土に行きたいとも思いません。これは、どうした事でしょうか?」/親鸞「そういう者を救うと誓ったのが阿彌陀佛だよ。」/一遍「人間がああだ、こうだ考える必要はないよ。」
かず

ホシさん、感想拝読しました。私もホシさんの意見に賛成です。仏教の成立過程に沿って自ら思索した人でなければ浄土教や親鸞聖人の思想を受容できないし、一遍上人の思想については「呪術的にみえてしまうのも致し方ないだろう」と思います。一遍上人の思想は紛れもなく日本浄土教の発展過程において大きなものだと思うので「もっと日が当たっても良いものを」と感じます。老荘の思想に通づるものを感じています。

10/16 18:43
ホシ

かずさん、コメントありがとうございます。詳しくもないのに偉そうな事を書いたかなぁと、ちょっと心配していたのですが、賛同いただき恐悦です。例えば、仏教に何の関心もない人が、いきなり一遍の本を読むとしたら、それはちょっと飛躍があり過ぎるかなぁと思います。そういう点においても、一遍上人の評価が芳しくない要因になっている気がします。老荘思想かぁ…。ええと、これは無知なので勉強します^^;

10/16 19:38
3件のコメントを全て見る
0255文字
月をみるもの
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読みにくい。聖絵を見に行ったほうが、なんぼかわかりやすい。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%81%8D%E8%81%96%E7%B5%B5
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