形式:新書
出版社:中央公論新社
◆というように、ドイツにも保守的・自己憐憫的な国民性と経済力、EU(あるいは旧EC)内の大国として、近隣諸国(特に東欧)に圧力をかけ、言いたいことが言えない状況を作り出している。それが戦争犯罪をナチの犯罪に矮小化しても文句の言えない状況を作出したと言える(尤も、これに批判的な諸外国の目線とドイツ国内の目線もある)。つまりドイツにも、その戦争責任の取り方に限界があり、それはドイツ人一般の加害者意識の欠如に由来するものだと考えられる。これは決して肯定できるものではないが、ただ幾つかの特異な例も別途存在する。
ナチスの蛮行への徹底的な批判的追求がドイツの責任を矮小化しただけではなく、その徹底ぶりがドイツの評価を肯定的な方に振り子を振らせた面もあることは注意を要する。◇元より、ドイツの責任のとり方に不十分な点が多々あることは、日本の責任のとり方を肯定的に評価せしめる事象ではないのは言うまでもない。
厳密に言えばドイツの清算した戦争責任はナチスドイツが行ったユダヤ人に対するホロコーストである。本書の中にも指摘があるがこれは純粋な意味での戦争責任ではない。戦争責任とは別物と捉えることができるものと言える。またドイツの清算の仕方はかなり戦略的に行われているという印象を受ける。
≪続き≫ かといって、日本がよい、ということでもなくて。それこそ個人的に私たちは考えんとあかん、と思った。
出来るはずもなく、止むを得ない方策だったのか。 戦争責任をA級戦犯に限定し国交正常化を図った日中関係において、ドイツと似た構造が見られる。だが、謝れば済むと思っているのか交渉のイロハも知らないような日本の外交はお粗末の一言。
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